出雲

まずは唄えそうな場所探しという事で、リサーチのつもりで座ったラーメン屋台だったが、オッチャンは数十年ぶりに出雲へ帰ってきた自分じゃ分からないと言う。

「どっか、唄っても良さそうな場所ってありますかねえ」 と尋ねた僕に、困った顔もせず

「ん~・・・分からへんな~」

と、おもいっきり大阪弁で答えてくれた。

仕方ないので、自力で探す事にした。
先行投資は水に消えたが、誰かに尋ねたところで結局、気乗りしなかったら唄わないんだし。
ん? 投資は消えてないか。ラーメンは食ったんだ。。

出雲の飲み屋街は一箇所集中型で、逆に困る事もなかった。
僕は駐車場そばの焼き肉屋横でギターを出し、準備にかかった。
車の往来はあるが、駐車場付近で道も大きく取ってある。問題はないだろう。

人見知りの僕も元気な片田舎では、なぜか緊張感が薄くなる。
いつもなら唄い出すまでに3本は吹かす煙草も、1本で済んだ。
日本酒も、1合で済んだ。いや、なら飲むなというところか。

気負わずに唄っていると、早速の通行人がヤジを飛ばしながら通り過ぎる。
ヤジと言っても、愛のあるヤジだ。好きだな、田舎町のこういう気さくなところ。
とか思ってると、ヤジのお兄ちゃんが戻って来て
「頑張れ!」と小銭を入れてく小憎らしさ。
好きだな、こういう人(笑)。


初めての出雲から、もう8年ほど経つだろうか。
今ではその場所じゃなく、もっと狭い、代官町の入り口で唄ってるけれど。
それでも僕にとって思い出の場所。
出雲の縁結びの神様に会った場所だ・・・。


嘉山さんはこの町で、本当にいろんな人と結びつけてくれた。

「俺はな、ミユキちゃん。あんたに心をもらったよ」

そう言う嘉山さんのお気に入りは、河島英五の『時代遅れ』だった。
若い頃は柔道で慣らしたという嘉山さんが、酒に酔い、歌に涙した。
決して酒は1日2杯じゃないだろうが。

時代遅れの町で、時代遅れに人情もろいオヤジ相手に、時代遅れの店で、時代遅れの旅人が唄う。
出雲の始まりは、そんなふうだった。
補足しておくけれど、時代遅れってのはこの場合、褒め言葉なんだぜ。
もちろん、僕の歌に対してもだ。


嘉山さんのお店は、和風スナックだった。
マスターは飲みに出かけ、ちょっと朝丘雪路似のママさん(歳はご本人より若い)が切り盛りするという、これまた時代がかった定番のお店。
名前を「かなこ」という。
今ならば、なんて良い名前だ! と暖簾だけで大絶賛していたところだが、その頃の僕はまだ残念ながらマナカナファンではなかった。
当時15歳のマナカナさんより、NHK『びっくりか』のセイ子お姉さんが好みだったろう。


僕はマスターに紹介されてお店で唄った。
年配の優しい常連さんに囲まれ、かなり唄った。そして腹いっぱい食べさせてもらった。
翌日も唄わせてもらい、更に翌日には松江のパブで唄う事も決まった。
明日は旅に出るという僕に、招待してくれた店の社長は松江の最高級ホテルを用意してもてなしてくれた。
この3日間、一銭も使う事のなかった僕の手元には、10万近い金が残った。
たかが、道端の歌唄いが。

その後、旅の動きに困っては、いつも出雲を訪れていた。
その度になんとか持ち直し、旅は続いた。
イベントで唄わせてもらい、他にも繋がりは増え、僕は広島から大阪へ行くにも、あえて山陰を通っていたぐらいだ。

年に5回は訪れる町。
まるで新しい故郷が出来た様だった。
道行く人も

「久しぶり」
「いつ帰ってきたの?」

と、親しげだ。

そうやって、数年が経った。
路上唄いの旅も5年ほどが過ぎ、各地にお気に入りが出来始めると、しばらく出雲との縁が遠くなった。
なんだかんだで1年ぶりになりかけたある日、僕は関東から広島へ戻る旅路の上、出雲へと立ち寄った。
久しぶりの代官町は平日で人気がなく、雨が降り出しそうな夜だ。

2時間唄ってみたが何もなく、やはりそんな時に限って雨は降り出す。
僕は仕方ない、と荷物をまとめ、千円の持ち合わせで久しぶりの『かなこ』さんへ顔を出した。

あら、と少し驚いたのはママさん。嘉山さんの姿は見えず、お手伝いのお姉さんがいた。
お久しぶりです、と挨拶して熱燗を頼んだ。

常連のお客さんが1人、お連れさんとカウンターで飲んでいる。
後ろでは、ちょっと見慣れない4人の団体さんが入ったばかりの様子だった。

「嘉山さんはお元気ですか?」

僕が尋ねると、ママさんはお通しを出しながらちょっと顔をしかめた。

「飲みすぎでぇ、寝ちょーが」

らしいな、と笑い、僕はグラスの熱燗を飲み始めた。
しばらくすると、カウンターのお客さんに挨拶を頂いた。
「どこ行ってたの?」
「ええ、東京まで」
そんな会話の中、お連れさんに

「このお兄ちゃん、ミュージシャンだよ。なんか唄ってもらったら」

と紹介してくれた。

その時の僕は久しぶりに故郷に帰ってきた気分だったので、嬉しくて、すぐにギターを出して唄わせてもらった。
チップをもらい、酒の追加を頂いてご機嫌だった。

そろそろ、とお勘定を済ませた常連のお客さんは

「まだ、飲んでていいから」

と、僕の前につり銭を置いて帰った。
お連れさんも喜んでくれた様子で、僕も満足だ。

料理の手も空いたママさんが煙草に火をつけていたので、僕は上機嫌で、もう1杯お酒を頼んだ。
だけどママさんは熱燗を用意するではなく、僕にひとこと言った。

「ミユキちゃん。あんたが唄うと他のお客さんが唄いにくいんだわ」

とっさに、すみません、と笑って謝ったが、ママさんは冷たく続けた。

「うちもカラオケ1曲200円、商売でやっとるけんね。営業妨害だが」

僕は黙り込んでギターをしまい、そのうち出された熱燗を一気に飲んだ。
気付けば後ろでは、カラオケの本を持て余している団体がいた。

ご馳走様、と小さく呟いた僕に、ママさんがお勘定を書いて渡した。
1500円。
僕はその代金を払い、申し訳ない気持ちで、カウンターに乗ったままの頂いたチップを置いて出ようとした。
するとママさんは怒ったように「そげな事、言うちょらんが」と、金をまとめて僕に手渡した。


雨の中、僕はトボトボ歩いた。
自分が、情けなかった。
バカさ加減に気付かなかった自分が悔しくて、どこまでも歩いた。
来た事もないような遠くの、公園の公衆トイレの広い個室に新聞紙を広げて、ずぶ濡れのまま寝た。
一気に飲み干した熱燗が、胸の中でずっと燃えていた。


それからどれくらい経ったろう。
数年後、僕は改めてその時のお詫びをするため「かなこ」さんへ行った。
ママさんは変わらない風情で、あらいらっしゃい、と招いてくれた。
常連の方も、相変わらずだった。
姿の見えない嘉山さんの事を尋ねると、糖尿で長い事入院しているという。

しばらく静かに飲んでた僕にママさんが

「久しぶりに唄えばええだが」

と笑顔で促してくれたが、僕にはもう、断ることしか出来なかった。
ただ、結局は自分から謝れなかったが、やっとあの日の酒が胃に落ちた気がした。



あれから出雲でいちばん変わったものは、オッチャンのラーメン屋台かも知れない。
小さかった屋台はしっかりと大きな骨組みで囲まれ、隣にはテーブルとイスが並んでいる。
オッチャンは変わらず、いつも寡黙にラーメンを作り、丼を洗い、仕込みを続けている。
相変わらずの大阪弁だけど、出雲の町に愛されている。

決してでしゃばる事なく、『おっちゃんラーメン』の看板だけが夜風に吹かれている。









Googleマイマップ「西高東低~南高北低」http://maps.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&hl=ja&msa=0&msid=117155757855294201939.0004585263f0a10720fca&ll=35.572449,132.670898&spn=2.086457,3.526611&z=8


作中、承諾を頂いてない一部の固有名詞を脚色しています。
ご了承ください。

4 件のコメント:

  1. 読んでいて、胸がくっと締め付けられ、少し動きが止まってしまいました。幸さんほどセンチメンタルな語りができる人を僕は知りませんよ。
    僕は今、四国に来ています。四国の人は旅人に温かい気がしています。

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  2. >さろ坊
    ありがとう。
    胸が締め付けられる部分は、君も重なる体験を持っているって事で。
    お調子者の、性だよね。

    四国はやっぱり旅人をもてなす文化が、気質として今でも残っているのかも知れない。
    以前『お遍路詐欺』なんて言い回しを聞いた時には、ああ日本も終わったか・・と切なくなったが。

    この数日、空模様が良くないみたいだね。
    計画的に進めるよう、祈ってる。

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  3. 手塚さん、いたー!!!
    いなくなったかと思って、びっくりしたー!!!

    ブログの端っこに、尋ね人みたいなの書いちゃったじゃないですか(笑)↓
    http://ameblo.jp/balloonartist/

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  4. >ё∫さん
    すんません。。
    尋ね人、いま見せてもらって切なくなりました。
    新聞広告みたいで。。

    ちょっと思うところがあって、雲隠れしてました。
    ちょっとずつ、復帰します。

    ご心配、ありがとうございます。

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