津 その2

その2どころか、書こうと思えば3でも4でも際限なく飛び出す津での話。
それでも前回の予告どおり、ここは津のアニキの話を少々。

少々・・・。
いや、無理か。
何せ、話題が尽きないから。
なので、馴れ初めでも話しておこう。

津での初日、ラウンジ・ジュネスさんにて営業を終えた事は前回に書いた。
話は、そこからになる。
楽しく飲んで唄わせて頂き、Kビル前で再びギターケースを開いているところに話しかけてきたのが、ごっつい顔の尾上さんだった。
えらく興味津々の顔つきで

「自分、津の人間ちゃうやろ? へえ~、ここで唄うん? いつまでおる?」
といった具合。
出会いから今も変わらず、言いたい事だけをマシンガントークで畳み掛ける

そんな尾上さんの口癖は 「聞いて!」 だ。

だから、その日もやっぱり言いたい事だけを熱く語った。

「明日、近くでな、俺らライブやんねやけど、けえへん? いやいや唄うてよ、な!」
彼の暑苦しいほどの勧誘に折れるまでもなく、そうでなくてもこの街でもう少し唄って行こうと思った矢先だったので、僕は不案内な土地柄、場所をよく聞いてから承諾した。
連れの女性は 
「そんな急に言うても迷惑やん」 と、彼を制していたが 「いえいえ、出会いですから」 と、僕は約束した。

朝の10時くらいに集まるというので、昼間のイベントだろう。
今晩を、昼間に過ごした野外舞台で寝転がって過ごせば、どうやら会場は遠くなかった。
僕は1時過ぎまで唄い、荷物をまとめた。
深夜だというのに、寝ぼけたようなセミの声を聞きながら、コンクリートのステージ上で眠った。
ひんやりとした感触が心地良いが、明日の朝、背中は痛いだろう。



夏の早朝なので陽は早くから照り付ける。
汗ばんだまま目覚め、気が付けば数日風呂にも入ってない僕だったので、せめてもの礼儀として体をキレイにしたかった。やっぱり、背中も痛い。
ただ、蚊には、それほど刺されていない。これは、夏場の野宿でラッキーというべきだった。

新しい着替えは底を突いていたが、公衆トイレの水道で体中の洗える場所だけはタオルでゴシゴシ洗って、ついでに長い髪もグシャグシャに洗って準備を整えた。
その光景は、海辺やキャンプ地でなら様になるのだろうが、街中の公園ではちょっと目立つ午前6時過ぎ。犬を散歩させていたオバさんの視線が、僕の狭い背中に刺さる。
それでも

「おはようございます」と挨拶すれば「おはようございます」と返ってくる、この嬉しさよ。すると

「これ食べる?」
とオバさんが菓子パンを差し出したので、恐縮しながらも頂いた。
時々、電車で隣り合った方や道を尋ねた方など、特に年配の方から頂き物をするのだが、いったい、どういう基準で人を選んでいるのだろうかと不思議に思う事がある。
ある時

「たまに、その辺のオバちゃんから飴とかミカンとかもらうじゃん」
という僕の何気ない一言に、知人は

「それはない」

と事も無げに言い切った。
ないのか?

「よく道を尋ねられる」とか「よくアンケートに引っ掛かる」とか、声を掛けられやすい人がいるけれど、そういうのと同じなんだろうか。
もし、物を頂きやすい人というのがいるなら、僕はそっちの方だと思う。

午前も8時を回り、更に陽が高くなってくると、今日も1日暑い事が予想された。
これなら、さっきTシャツを洗って干してても乾いたんじゃないかと悔やまれた。
しかし、手で絞った衣類の乾かなさを僕は知っているつもりだ。
もしもTシャツ1枚をあと2時間で乾かそうと思うなら、延々と手に持って振り回し続けなければならないだろう。
その作業でくたくたになるし、何より、朝のシャワータイムより目立つ事は受けあいだ
東京の旅ミュージシャンは、車のドアにタオルを結んで走りながら乾かしていたっけ。
なるほどと思ったが、あれも排ガスにまみれそうだな。

暑さもあったが、時間を潰す作業もなくなったので、コンビニを物色に歩いた。
この街で、いちばん最初に入ったコンビニだ。
道中、その対面に本日の会場と思しきお店の看板が見えたので、なんだこんなに近くなのかと気が抜けた。
昨夜の尾上さんが一生懸命に地図を書いて説明してくれた場所は、彼の

「いや、近いねんけどな」
という言葉とは裏腹に、天竺への道のりほど遠く感じられていたからだ。

知らない街で道順を説明されるというのは、心細さも手伝って、どうにも距離感がつかめない。

会場が分かったので、後は安心だ。
僕はコンビニでお茶のボトルを買い、さっき頂いた菓子パンを頬張った。
こんな時、不健全で有名な旅唄いは、朝から缶ビールなんて飲んだりするのだが

「まあ、ちょっと唄ったら、後はビールでも飲んでて」

という、やはり昨夜の尾上さんの言葉を信じたからだ。
駄目なヤツだ。

指定時刻の10時にはまだ時間があったが、僕は会場になるお店へ到着していた。
「さわ」さんというスナック営業のお店だが、場所を借りたという。だから、機材からアンプからを搬入しないといけないらしい。
誘ってもらったんだから、そのくらいは手伝わせてもらう。
僕は参加したイベントは、なるべく最初から最後まで居合わせたい。

しばらく手持ち無沙汰に煙草を吹かしていると、車が1台やってきた。尾上さんだった。
早いな~! と言われながら、挨拶を交わす。
本日の演奏メンバーも一緒だ。
昨夜、尾上さんと一緒だったキーボードのサツキさん
それから、ギター・ボーカルのユウコちゃん
大人しそうな女性二人に、ごっつい野郎が1人加わって、『文音(あやね)』というバンドだという。

会場になるのは階段を上がった2階で、機材セッティングは当人達の都合があるので任せて、僕は更に集まりだした手伝い兼お客さんたちと荷物を運び入れ、椅子を並べ、窓に遮蔽用のアルミホイルを貼った。
アルミホイル作業が気に入った僕は、1人でひたすら、その作業を続けた。
まだ知人と呼べる人はいないし、雑談の糸口も少ない。
黙々と作業を続ける事でしか、皆に認めてもらう術が僕にはなかった。
3人のミュージシャンが音合わせを続ける中、暗幕の隙間から漏れる光をさえぎるため、窓にアルミホイルを貼り続けた。
そんな作業のせいあってか、集まった方々も僕に話しかけてくれ始めた。

なのに、だ。
作業がひと段落したところで挨拶がてらの缶ビールを開けた瞬間、僕はいつものお調子者になっていた。駄目なヤツ。
ともあれ、尾上さんの知人は誰も温かい人達で助かった。



お陰で、緊張しがちなライブ演奏も事なきを得て、反応は上々だった。
まあ、そんな感じの出会いだった。


それから津が気に入った僕は、年に数回、春、秋の辺りを狙って唄いに出掛けていた。
更には、どこで唄っていても難しい正月三が日を、無理やりに津の飲み屋街で唄っていた事もある。

「正月なんて、神社の入り口でも行けばあっという間に稼ぐだろ?」

とは言われるのだが、こちとら夜が専門商売。
しかも、そんな日にそんな場所で唄ったりしたら、きちんとしたくじ引きで営業してる玄人さん達がただじゃおかない雰囲気。夜の街なら見逃される事も、昼日中というのは勝手が違う。

正月と限らず、真冬はどこにいても大変なもの。
どこで唄おうと、実入りと寒さの厳しさで挫けそうになる。
だから、ひたすら動き続ける。
宿泊費に満たない飯代を移動費につぎ込む代わりに、電車でひたすら眠った。
始発から電車で眠りこけて同じ路線を何往復もするなんて迷惑極まりない行為なんだろうが、死にたくなかったというのが現状だ。

好きで選んでいる道。
弱音は吐きたくないが、非常手段で生き延びる事は多々ある。


その翌年から年末は東京のライブハウスで過ごす事にしているが、直前は大抵、津にいる。

だから大晦日に
「良いお年を」 と言った相手に、年始早々から出会ってしまうと
「東京、行ってないの!?」 と驚かれる。

行ってるのだが、1~2日で戻っているのだ。
拠点を決めて短期間にあちこち動く僕は、いつも

「実は、ここに住んでるんだろ? 旅してるとか嘘はつくなよ」
とお叱りを受けたりもする。
多くの人は

『昨日は広島で唄っていて、今日は三重にいて、明日は静岡で唄うつもり』

といった、僕なりの旅唄いのやり方が理解できないのだ。
どうしても、金持ちのボンボンだと思われる節がある。


気軽な身軽な旅唄いのように見えて、その裏には、留まるより動いた方が楽な事実があり、数日の雨を避けるために、せっかく昨夜稼いだ金を全額つぎ込んで、数百キロの旅をする事だってある。
人間、生活において何を優先するかだけだ。
僕にしてみればデザインに飽きたからと、新しいキャリーケースを買う人達は理解不能なのだ。
しかしそれもまた経済を回している事実。


さて。
津のアニキの話が反れてしまった。

津のアニキ・尾上さんは、僕と出会ってからというもの、度々一緒に路上で唄っている。
元々が長渕剛好きで、嘘か真か、僕と同じ場所で路上演奏もやっていたという。
それはそれで構わないのだけど、僕がついつい酒を飲みながら唄うという、これまた見る人から見ればけしからんスタイルでやってるものだから、酒好きには定評のある彼も付き合わないはずがない。
昼間のたこ焼き屋に入って、3人で1万円払ってしまった事もある。もちろん、ほとんどが酒代だった。
しかも彼と来たらその辺の飲み屋は飲み尽くしているような男で

知り合いの若いママさん連中に平気で差し入れを頼む。

挙句、見かけだけはストイックな雰囲気で演奏を行いたい僕の周辺には

飲み屋から直の水割りと
飲み屋から直の灰皿と
飲み屋から直の乾き物と
ギターを持った酔っ払いが2人並ぶ

という、恐ろしい光景になってしまうのだ。

「ちょっと尾上さん・・・これはやり過ぎじゃないん?」

と制止しても

「いい、いい。皆、知り合いやに」

と聞く耳を持たない。
しかも、多少は知らないお店の方が驚く様子を見せながらも、津の飲兵衛たちはその光景に対して寛容なのだ。
同じビルのお店から困った顔をされる事があっても

『よそ者が土足で上がりこんできてやりたい放題やってる』

というのは、尾上さんがいる限り通用しない。

だから、僕一人の演奏の時、その目は冷ややかに突き刺さる。




ただし。
それでも、僕は彼と唄うのが好きだ。

実は、僕の方も年上の彼に慣れ過ぎたのか、酔っ払い同士つまらない喧嘩で別れてしまう事がある。
だけど、数ヵ月後にまた津で唄っていると、どこからかボロボロのギターケースを抱えた尾上さんがやってきて

「いつ来たん? 久しぶりやん」

と、いたずらっぽく笑うのだ。
前回の喧嘩の気まずさに渋い顔をしてる僕に

「まあ、乾杯しよや!」

と、コンビニでいちばん安い酒を手渡し 「さあ、稼ぐで~」 とか言いながら、ドッカと隣に座り込む男なのだ。
僕の分まで手土産を持ってきておいて、何が 「いつ来たん?」 なものか。
実は僕が来たらいつでも連絡するよう、後ろの店の知り合いに頼んでたらしい。


そんな津に、今年はついに出向かなかった。
昨年の盆に行ったきりだ。
生活の仕方と拠点が変わったせいで、動きが取り辛くなった。

来年の1発目は、津にするか。。








Googleマイマップ「西高東低~南高北低」


http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=117155757855294201939.0004585263f0a10720fca&ll=35.090698,136.400757&spn=0.95288,1.755066&z=9

2 件のコメント:

  1. ご無沙汰していました。
    最近ようやく落ち着いてきたので、コメントしに来ました。
    僕も旅に出てから、よく人に飴やミカンを頂くクチなのですが、不思議ですね。見た目なのでしょうが、食べ物を恵んでもらう時って、なんだか平和を実感します。
    今頃、幸さんはどこにいるのでしょうか。そんなことを考えています。

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  2. >さろ坊
    ん。
    ご無沙汰。
    そちらは、冷え込む地域なんかな?

    たぶん、見た目だろな。
    物欲しそうな・・・(笑)。
    なんにしても、人に声を掛けられやすいのは生活力のひとつ。
    食べ物は分かりやすいけど、その他も大きかったなあ。

    しばらくまた、新潟にいるよ。
    今月は知り合いのライブ手伝いとかもあるし。
    で、暮れは恒例になりつつある東京年越し。

    マネージャーのロングバケーションが春までなんだけど、忙しくなる前に九州へ行きたいらしい・・・。
    さてさて、どうなるやら。

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