舞鶴

フェリーで北海道へ渡るのに、毎回通っていたのが京都の舞鶴市だ。
海軍で有名な事は広島の呉市と同じで、いまだに『肉じゃが発祥の地』とか『海軍カレー発祥の地』とかで、双方言い争っている様子。まあ、その程度の争いなら笑って見過ごしておこう。


初めて舞鶴に行ったのは、恐らく2000年の6月だった。
それはもちろん、初めての北海道行きのため。
京都市内ならば、大阪時代に友人と唄いに出たりしていた。
ただ、そのころはまだ日本地理に疎い旅人だったので

「え? 京都に海とかあったっけ?」

といった知識のみでの舞鶴入りだった。

もちろん京都には海があり、天橋立で有名な宮津市を西に置き、福井県の小浜市に挟まれた場所に位置するのが舞鶴市だ。
舞鶴港は、鯨の尾の様に入り込んだ湾が特徴的で、北を上に尾っぽの左が舞鶴西港、尾っぽの右が舞鶴東港。僕が今も使う新日本海フェリーの入出するのは、東だ。
ただその頃の僕としては、北海道に渡る船があるのなら、京都だろうが福井だろうがどうでもよかった。
なんとまあ、旅情のない旅人だったと思う。


前日の大阪から京都を経て移動した山陰本線は、次第に里山深くなる景色の中を進んだ。
走行距離にして80キロ超くらいだろうか。
それを乗り換え2回。
時間にして2時間半のゆっくりとした移動。
季節や天候さえ良ければ、山奥を走る列車は色とりどりの紅葉に包まれたり、緑の中で不意に現れる小川に目を奪われたりと楽しい丹波山中なのだが、折り悪く、梅雨空・・・。

実はこの旅、梅雨を避けての移動だったのだ。
北海道に行けば雨に遭わないだろうという安直な思いを乗せて、僕は初の船旅を舞鶴から始めようとしていた。
そして、北海道では雨に遭わずとも寒さに遭った。
全体を通して、苦しい事の多い旅だったと思う。
苦しさの裏には、マンネリから安易に逃げた自分自身の弱さがあり、知人一人いない旅先で唄う事の難しさを知らない無知があった。

何も考えず、知らない所に行けば何かが変わるかも知れない、と考えていただけの旅だった。


当時、舞鶴から小樽へのフェリー出航時刻は、23時30分。
規定である1時間前に乗船手続きを済ませるため、22時には、ここから港へ向かわざるを得ない。

町中で唄えるのは、21時30分くらいまでの事だ。時間が早くあまり気乗りしないが、仕方がなかった。
僕は駅からほどなく歩いたパチンコ屋の角を右に入るアーケード入り口を演奏場所に決め、閉まり始めた商店のシャッターの音を聞きながら、座り込んだ。

飲み屋街でもないアーケードでは、身を小さくして唄う滑稽なミュージシャンへの反応も少なく、しばらくは自転車で何度も通りかかるオジサンが、その都度不思議そうに眺めていくだけだった。
僕にとっては早過ぎるほど時間も早い。
どうやらこの分ではここで稼ぐのは無理だろうとあきらめた。
手持ちは少なかったが、フェリーの切符はすでに昼間に購入した。
そのために往復4キロを大荷物で歩いて、汗だくにもなった。
今夜は唄った事実だけでいいやと、僕はあきらめた。あきらめの早い僕だった。

だけど30分ほど唄ったところで、遠巻きに眺めるだけの通行人に変化があった。
女性が二人、近づいて来るのだ。
歳で(僕はいまだに女性の歳が見かけで分からない。男性でも、分かりにくい)20代後半だろうか。
僕が


「こんにちは」

と愛想を浮かべると、背の高い細身の女性の方が笑顔で応えた。
なんというか、高い声だった。とても失礼だが
漫才のピンクの電話のような組み合わせだった。
(この書き方は、ピンクの電話にも失礼だが)。

「旅行されてるんですか~」

と、再び高い声で尋ねられ

「旅行・・・というか、まあ、そんなもんです」

僕は、旅行ってどういうんだっけと思い出しながら、困りながら答えた。
それでもせっかくのお客さんだしと、僕はいつものように唄おうとしていたのだが、高音の女性(着ている服から表情から話し方から、ピンクの電話のヨッちゃんだった)は、なんだか非常に話したがった。しかも

  ありがたいイエス様の話だった。

高音の女性が熱心に話す横で、ポッチャリな女性がうつむいて、ニヤニヤしていた。

ありがたいイエス様の話を聞かされながら、僕は早々に帰って頂くため

「僕もまあ、カトリックの生まれなんで」
と、自分の不信心を棚に上げて言った。
あきらめてもらおうと口にした僕だったが、ヨッちゃんは歓喜の表情で

「なんだ~! イエス様の事、ご存知じゃないんですか~!」

なんて興奮し始めた。完全に逆効果だった。
不信心が、いっぱしのカトリック教徒みたいな顔をするから、天罰がくだった。

その後、ものすごくありがたいイエス様のお話は止まるところを知らず、僕ももうムキになっていた。
結局は、どうぞ私達の集会に顔を出してくださいという話に、必死で抵抗していた。
ヨッちゃんが嬉々として語る

「私達の集会では、泣き出したり倒れたりする人が続出で」

という恐ろしい集まりに、どうにか連れて行かれないように頑張った。
いっそ相手にされまいと「ま、僕も神様なんて本当に信じてるわけじゃないし」なんて棄教発言まで飛び出したが、火に油を注いだ。
口数少ないポッチャリの女性(ミヤちゃんか・・・)は終始うつむき加減で含み笑いをしながら
この人なんにも分かってないわwww 的に首を振っていた。
それはそれは、腹の立つ光景だった。

僕はもう神様に謝って、さっさと逃げたかった。
フェリーの時間があるので、と何とか頭を下げ、見逃してもらった。
酔っ払いには強かったが、宗教や自己啓発の方々には弱かった。

話し始めて、ようやく30分。
ヨッちゃんは「戻られたら是非」と連絡先を残し、相方と名残惜しそうに去っていった。
まだ多少の時間はあったが、僕はこれ以上その場にいたくなかったので、逃げるようにフェリー乗り場へと向かった。
お陰で、人生初の舞鶴のイメージは痛いものになった。


市役所を大きく迂回して歩く夜の移動では、昼のように汗だくにはならずに済んだ。
時折、街灯の他には何もない道を大きなトラックが走り過ぎ、背中をライトに照らされながら、僕は前島埠頭への道を歩いていた。
黙々と歩く、港への真っ暗な道。
それは独りぼっちであったけれど、小樽という目の前の目標があるだけに寂しさはなかった。
なのに付き纏う寂しさは、さっきまでの忙しい会話のせいだ。

あのまま誰も声を掛けず、一人で演奏を終えて荷物をまとめられたら、まだ穏やかな心で船に乗れたはずだった。
あの2人が近づいて来た時、僕は結局、あらぬ期待をしていたのだろう。
何やら憐れみの目で近づいてくる彼女達に、優しい言葉のひとつや、餞別でも期待していたのだ。

楽しく唄って、楽しく話して、優しくしてもらって、楽しく別れる。
そんなもの、ある訳がないのに。
水無月の空は鈍く低く、垂れ込めた雲に、ぼんやりと遠い街の明かりが映っていた。


予定より早い22時前に港へ着くと、大型トラックの乗り込みが始まっている様子だった。
僕は待合室の2階に上がり、缶ビールを1本空けた。

荷物を床に置いてソファーに寝転んでいる人は、昼間にも見かけた。
それが来年の自分の姿だとは、まだ知らなかった。

港に横付けされた大きなフェリーが見える窓際では、老夫婦が外を指差しながら、何かを話している。

4時に着いたら電話する、と話しているのは、若い女の子と見送りの家族だ。

そうだった。この船は30時間以上をかけて、早朝の4時に小樽へ到着するらしい。
今では新型のスクリューを搭載した高速船に変わり、20時間で到着する。
その代わり、乗船券の値段は上がった。
時間が短くなったのに高くなるなんて、と憤っている僕は、フェリーを遊園地の乗り物と勘違いしているようだ。


30時間の孤独な船旅。
とはいえ、広島からだって大阪からだって、移動中はいつも独りだった。
街中で唄って誰かと笑っても、夜が終わる前には独りに戻っていたはずだ。
なのに胸に引っ掛かる不安は、目的地の遠さと、本当に誰も知人のいない心細さだった。
仲間との馴れ合いにウンザリして逃げ出したのに、ここにきて自分の意気地のなさを知った。

15分が経ち、まばらだった待合室に乗船客が増え始めた。
あちこちで、しばしの別れを惜しんだり、身体に気をつけて、と言う声が聞こえる。
お車で乗船のお客様は・・・とアナウンスも流れ始め、周囲は急に慌しくなる。
慣れた様にのっそりと身を起こしたソファーの男性と目が合い、一瞬、不思議なシンパシーを感じた。
お互い独り者だな、という、暗黙の会釈を交わした。
その時だった。

「あ~、間に合いました~」

耳に響くその声は、長々とイエス様のお話を聞かせてくれたヨッちゃんだった。
ピンクの電話(違うけど)の2人が、なんと見送りに来てくれたのだ。
あの後フェリーの時間を調べ、まだ僕がいたら車で送ろうかと話していたらしいが、もういなかったので直接来てみたという。
僕は思いもかけなかった事態と、苛々しながら話していた事実に気まずさがあったので、これ以上ないくらいに恐縮していた。

「わざわざ・・・すみません」

わざわざ、といえば、なぜか真っ赤なワンピースに着替えてきたヨッちゃんは

「せっかくなんで、見送りに来ようと思ったんです」

と、照れくさそうに笑っていた。
僕も同じように照れ笑いで

「見送りって、嬉しいもんですね」

と、答えた。
そのうち、徒歩でご乗船のお客様は・・・と、乗船を促すアナウンスが始まり、フェリーへ続くタラップ前には列が出来始めた。
ソファーから起き上がったあの男性が、不機嫌そうに僕らの横を通り過ぎた。
僕が悪いわけでもないのだが、なんとなく申し訳なく思った。

見送りに来てはもらったが、さっきが初対面なので、そうそう話す事もない。
僕は不自然に黙り込んで、ヨッちゃんも黙っていた。ミヤちゃん(この例え、本当に失礼だな)に至っては、最初から喋ってない。

これ以上は間が持たないので、僕も乗船口へ向かうため、じゃあ、と断って荷物を抱えた。

「じゃあ、わざわざありがとうございました」

僕が言うと、ヨッちゃんは恥ずかしそうにミヤちゃんと顔を見合わせて

「ええ。神様が、行くようにおっしゃってくれたんで」

と笑った。
その時の僕が、いったいどんな顔だったのか知りたい。
漫画かアニメだったら、フニャフニャフニャ~、と情けない効果音と共に崩れていただろう。

もしも彼女が
「どうしても見送りに行きたかったんです」
と言ってくれてたら、僕は帰りにまた、聞きたくもないイエス様の話を聞くためそこを訪ねただろう。
だけど実際に僕がその場を訪れたのは翌年で、自分達で出したお店をやってる、と教えてくれたそこは閉めてあり、赤く塗られた木製の格子だけが、張り紙と共に埃をかぶっていた。
破れてめくれた張り紙には 50%off と書かれてあった。


《追記》
フェリーに乗り込んだ僕は『フェリーには必ずカップ麺を買って乗り込む事』という勉強をした。
それから北海道では、6月でも凍え死ぬかもしれないという勉強をした。

その後フェリー慣れした僕は、カップ麺用意に周到になっただけではなく、大浴場1番乗りとコインランドリー1番乗りの記録を続けるのだった。








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