松山

広島に在住(必ずしも家があった訳ではないが)しているにも関わらず、四国にはなかなか渡らない旅唄いだった。

よく唄いに出ていた呉からフェリーで2時間ほどの距離なのだが『いつでも行ける距離』という気楽さと、逆に『海を渡る』という言葉の重みに打ち負かされ、気がつけばたかだか瀬戸内海を渡る決意に4年をかけてしまっていた。

広島の知人複数が「四国、良かったですよ~」と言うのを、フ~ンと聞き流すだけの4年にピリオドを打つべく、僕は2003年に海を渡った。
重ねて言うが、たかだか瀬戸内海である。

ところで、これを書きながら「あん時のフェリーってなんぼだっけ」とネット検索していたら、片道1600円だった『呉・阿賀~松山・堀江』の航路は2009年6月で
なんと高速ETC1000円の功罪にて廃止されていた。
1600円という片道運賃が廃止当時である事を考えると、僕が使っていた当時は、もう少し安かったのではないかとも思う。
なんにしても、同じ交通手段を使っては二度と旅が出来ない事になった。


旅唄い初となる松山市の上陸地は、堀江港だった。

『みなと食堂』なんていう安直でありきたりな古い看板が見えて、僕はいつもそんなものに嬉しさを覚える。どんなに有名な観光名所よりも、人の生活が息づいている実感に安心する。
初めての町だけれど、ここも日本なんだと、きっと音楽が大好きな人がいるんだと。

JR予讃線で駅をいくつか南へ下り、松山に到着した僕を迎えたのは、やはり城下町の佇まいだった。
標高132メートルの勝山(城山)山頂には言わずと知れた松山城があり、城山公園の堀を西堀から南堀へ黙々と歩いた。広い、閑静と呼んでもいいほどの道路を、ゆったりと路面電車が走っていく。堂々として、なおも微笑ましい光景だ。
同じ路面電車でもこれが広島の場合は、市街地の込み入った大通りを過ぎると、途端に住宅地をこれでもかとすり抜けていくので、どことなくせせこましい感じがする。嫌いじゃないけど。

すると次に僕を迎えたのは打って変わった喧騒で、伊予鉄道の松山市駅に近づくと、途端に松山は大都市の顔を見せた。
松山市駅は、JRを差し置いて四国一の乗降者数を誇るらしい。
道後温泉を有するこの町は、観光地としても有名。
『城下町』『温泉街』なんて、日本人をたぶらかすには持って来いの町じゃないか。

ついでに言うと、松山は『文学の町』でもある。
ちょっと前に司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読み終えていた僕は、実はそれも手伝って松山へ渡ってみようと思ったのだ。
その割に、文学めいた行動は何ひとつ行わなかった。
飲んで唄っているだけという、文士崩れみたいな行動だった。


松山の紹介も尽きないのだけれど、前回の続きを思い出した(忘れていた)。

市内の大きな繁華街である2番町だか3番町だかで唄っていた僕は、肉まん売りの中国籍らしいお姉さんに冷たい水を差し入れられてウキウキしていたという話だ。

その前にひとつ、エピソードを追加しよう。

時系列でいくと、その前日、つまり初日には少し離れた別の所で唄い、嫌な思いをしていたのだ。
初めての街では緊張のあまりに誰も通らないような薄暗い通りで唄っては通行人を驚かす事の多い僕なのだが、松山初日もそうだった。
天候のチェックを怠っていた僕は、まず初日の夜に雨に遭った。
ポツポツと、どうにも止まない雨の中で、繁華街の中心には程遠い街外れのテナントビルの下で唄っていた。屋根が広かったからだ。
傘を差した通行人は、どう対処して良いのか理解しかねるといった気まずい視線で過ぎていくばかりだったが、テナントにセレブなお店が多かったのか、ビルを出入りする社長さん(注:手もみ発言)やお姉さん(同)には、すこぶる反応が良かった。
味を占めたので、天候が回復した翌日も、午後9時あたりから、その場で唄っていたのだ。
しかし、苦情が出た。

苦情は、車道を挟んだ、向かいのお寺からだった。
最初、渋い和装のお父さんが悠然と近づいて来るのを見た僕は
「あらまた社長さんかしら」
と、媚びた笑みで迎えた。
すると無表情に

「あなたのせいで、私の娘が非常に苦しんでいる」

と言われ、話が読めずにいると、更に

「あなたは昨夜もここで歌を唄われていましたね。なかなかにお上手で素敵な事だと思います。でも、私の娘は、あなたのせいで眠れなくて困っているのです」

と補足説明があった。
なるほどそれはいけない、と合点がいったので謝って早々に撤去しようと思ったら

「あなたの音楽は素晴らしい事だと思います」

と、またこちらを気にしてか、帰り支度の僕に言葉をかけてくれた。
いえいえ僕も初めての街で要領が悪かったです、申し訳ありませんでしたと詫びた。
しかし、お父さんはまだ言うのだ。

「娘はあなたのせいで、薬を飲まなければ眠れないのです」

・・・・・・。

エンドレスと思われたが、15分で帰してくれた。
こちらが悪いので言い返す事は出来ないのだけど、それにしても、その、なんか、長かった。

そういった事があり、僕は前回記述の通り、苦手な大通りでの演奏に踏み切ったのだった。
結果的には、それが一番で、苦情も出難い訳だ。
最初からそうすればいいのに、僕もまた、なんか、それにしても、だ。


よし。本題に入ろう。
中国籍のお姉さんにねだられてデヘヘな僕は、しばらく唄っていた。
空気をモノにした感じが、僕の調子も上げていく。
時刻も0時を回るかそこらの、松山最高潮な夜だ。
信号待ちの人から投げ銭が入り、肉まんを待つお客さんがリクエストをくれたりと、僕のギターケースも賑やかになってきた。
そこにだ。僕の演奏には似つかわしくない、若くてちょっとカッコイイお兄さんが2人近づいてきた。

「あの、お店で唄っていただけたりしますか? ここを通られたお客様が、聞いて欲しいとおっしゃっているので」

なんと、営業の誘いだった。
こんなカッコイイ黒服のお兄さんがいるんならホストクラブだろうかとか考えながらも、断る手はない。
是非お願いしますと答え、僕はまた荷物をまとめた。

案内されてすぐ目の前のビルへ向かうと、2階へと階段を上がるようだ。
階段の手前で、僕は少し違和感を感じた。
生地の薄い、ヴェールのような大きな布切れが、所狭しと行く手を阻んでいるのだ。
僕の浅い経験値によれば
これはエッチ系のお店じゃないのかと
頭に黄色のシグナルが点滅し始めた。そんな所で、演奏なんか必要なのか。

しかし引き返せない僕は、それでも丁寧に案内する2人のイケメン(当時は言わなかったが)に従うしかなく、明らかに桃色な字体で書かれた店名を記憶する暇もないまま、ご入店した。

薄暗い店内は、上ってきた階段と同じ薄布がカーテン状に仕切りを作り、そのひとつの席に
僕は生のセーラームーンを見つけた。

これは  噂の女子高生パブか…。

頭のシグナルが、真っ赤に点滅した


が、演奏のお願いはお客さんから確かに入っていたため、ステージ代わりになる場所もなかったけれど、キャッシャー前という不自然な位置で、明らかに場の空気を読めない長渕剛(リクエスト)を演奏し、足元の灰皿に千円札を入れられ、極度の緊張のために2回も弦を切り、繋ぎ、茶を濁し、散々で逃げ帰った。
まあ、それでもお兄さんに「ありがとうございました」とは言われたが。

という事で、恐らく僕は人生で後にも先にもないだろうという、女子高生パブでの演奏を経験した。
呉・松山フェリーと共に、これは忘れられない思い出だ。


その翌日に、昨晩唄っていた場所が関係者によって防護策を講じられていたりと、なかなか一筋縄ではいかなかった松山だが、最後にもうひとつエピソードを。

翌年に再訪した松山で、夜の路上もうまく行かずに昼間の演奏を余儀なくされた僕は、地下道でギターを出していた。
昼というのは本当に僕のエネルギーを奪い、それでもせめて広島へ戻る交通費は、と頑張っていた。
夏の盛りで、吹きぬける風もほとんどなく、汗が額を流れた。
1人、また1人、と、年配の女性を中心に少しの小銭をいただき始めて1時間。
もっさりと荷物を背負った眼鏡のギター弾きが脇に立った。

「ええ声してはりますねえ」

とか何とか言っただろうか。
少し話をすると、彼もまた旅の途中であり、他県からの瀬戸内流れ旅真っ最中らしい事を聞いた。

僕は普段、滅多な事では旅人や路上ミュージシャンと交流はおろか言葉も交わさない。
そんな僕が、なぜか記憶のどこかで

「思い出せ、思い出せ、こいつは知らない奴じゃないぞ」

と叫んでる。

実は向こうも何かを感じていたらしく、お互いに探り探り話していたが、僕の方が先に思い出した。
3年前あたり、広島路上で知人に紹介されて一緒に唄った[ひ](そんな名前なんです)だった。
その時は大事な譜面のファイルに缶ビールを倒してすんませんでしたとか挨拶して

「次は北国で会おう」

と意味不明な約束を交わして別れた。
実際には彼の本拠地である三重県で会ったりするのだが、その後、今に至るまであちこちで再会しては唄っている、数少ない古くからの友だ。
彼=[ひ]~ちゃんも、その時の旅の事をブログに書いてるので、是非とも読んで欲しい。

[ひ]暮庵 ストり旅日記書庫【'04夏!ストり旅日記 -瀬戸内開眼編-】
http://hp.kutikomi.net/higurashian/?n=column4&no=5


[ひ]~ちゃんとの再会がエネルギーをくれたのか、その後、昼間のチップとしては破格の5千円札を頂いた僕は、夜を待たずに松山を後にした。
[ひ]~ちゃんも、少し離れた地下道で唄っていたらしいが、僕にメインストリートを奪われた彼は散々だったようである。
そのお返しは、後に四日市でのモツ鍋になる。







Googleマイマップ「西高東低~南高北低」
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