八雲 その1

記念すべき、というか第1回の投稿が北海道の話だった。
(札幌)http://tabiutai.blogspot.com/2009/04/blog-post.html

当初は、どういった感じのストーリーが展開されるのか、まだはっきりとは決まっておらず、とにかく書き出した。
書き出してみて、重いなあと反省して、次にはちょっと旅情めいた事も書いてみた。
(長門)http://tabiutai.blogspot.com/2009/05/blog-post.html


すると今度は、照れくさいなあ、となってしまった。
しかし、旅なんて恥ずかしい事の方が多く

「俺達は恥をかくために旅をしてるんだろう!」


とは、同じく旅ミュージシャンの言葉。
わざわざ恥をかこうとは思っていないが、結果的にそうなる事は多い。
なので恥を忍んで、そんな恥ずかしい、照れくさい話を書き続けている。


北海道の話をしよう。
札幌から函館へ伸びる渡島(おしま)半島に位置する、八雲という町だ。
平成17年の合併で、日本唯一の 『日本海と太平洋の両方に面した町』 になったらしい八雲。
知名度は低いはずだけど、素敵な出会いがあった町。



僕はその時、3度目の小樽で唄った後だった。
下関からスタートして、日本海側を縦断しようと思っていた、2003年の秋。
山陰を過ぎた辺りから順調になったので、寒くなる前に一度、北海道へ渡ろうと思ったのだ。
だから、次の目的地は本州に逆戻りだった。
そうなると一度、青函を渡る事になる。順当に考えれば、次の目的地は函館辺りだろうか。
北海道も3回目ともなれば、さすがに札幌・小樽だけでは物足りなくなっていたので、ちょうど良いかも知れない。


僕は、頭になかったルートを確認するために、午前中の小樽駅でしばし考えた。
函館までは半日を費やす事になるらしいが、実は手持ちが危ない。
ただ、途中の乗り継ぎ駅の長万部(おしゃまんべ)というのが気になる。
そういえば昔、タモさんがテレビで


「おしゃ、まんべ!!」


とか、やってたな。なんか有名な町なんだろうな。
軽々しくもそう思った僕は、そこを開拓地とする事に決めて、ひとまず函館本線に乗り込んだ。
切符は、千円で間に合うだけを買った。


あまり乗客がいなかったので気を緩めてポケットウイスキーなどをチビチビやっていると、列車は石狩湾を右手に見送りながら、やがて山間に入って行く。
天候は、晴れ。
気分は良かった。


ふと、網棚の上にギターを乗せる時に落としたチラシの様なものが目に入り、暇を持て余していた僕は、何気なく拾い上げてそれを眺めた。道央の案内めいたチラシだった。
ひとまずの目的地になった長万部は、まだまだ先だ。小樽から見れば南の太平洋側にある、内浦湾に面した長万部。
その途中に、僕は倶知安(くっちゃん)という地名を見つけた。聞き覚えがある地名だ。温泉もあるらしい。


温泉街は意外に稼げない。
そんな教訓もまだまだ知らなかった僕はワクワクしてしまい、通りかかった車掌さんに切符を見せて倶知安まで幾らなのか聞いてみた。すると、数十円プラスで足りる事が分かった。
程なく、僕は倶知安の駅に降り立った。


うーん。
どうだったんだろう・・・。
地理的には羊蹄山が南南東に見えたはずなのだが、それがキレイに見えたとかいう記憶もない。
今、一生懸命になって思い出してみるのだが、どうにも閑散とした広大な駅前が朧気に浮かぶだけで、具体的な記憶が蘇らない。

蘇らないのは、降りた瞬間に失敗だと決め付け、煙草を一服したのみだからかも知れない。

それは決して倶知安が悪い訳ではなく、下調べもせずに途中下車した自分が悪いのだ。


じゃあ次は長万部だと、素直に長万部までの切符を買った。
本数が少ないので、やけに待った。
暇になると空腹に気付くもので、駅の売店でおむすびを買って食べた。
食べるとなんだか気が楽になるもので、ビールなんか買って飲んだ。
すでに切符を買っているので、出費が気にならないのだ。
まだまだ未熟な旅唄いは、下調べのなさを反省材料にしなかった。しないまま、やがて来た列車に乗り込み、長万部へと向かった。
500円玉があったし、唄えばどうにかなるやと思っていた。


長万部駅は終点だったはずで、居眠りしている所を車掌さんに起こされた。
陽は傾きかけていたけれど、駅前に降り立つと青い空が広がっていた。
大地よりも、まずは広大な空が目に飛び込んだ。
白くかすむ青空から目線を落としていくと海らしき色が見え、その海へ向かって限りなく水平に、建物が並んでいた。


僕は、今もそうするように急いで電話帳を開いた。
― スナック
この町の飲み屋街には、どれくらいの店があるんだろう。どれくらいの規模なんだろう。それを、慌てる様に調べた。
だけど、僕が望むような形の飲み屋街などなさそうだという事に、薄々は気付いていた。
その頃の僕が望んだ、適度に飲み屋が密集して、民家はほとんど無く、代わりに人通りはほどほどにあるという、自分勝手な理想の場所など、ありはしないという事に。


国道を挟んだ海側に数件のスナックや料理屋がある様子だったので、僕はそちらへ渡った。
それから、格子状になったやけに幅の広いその道を、僕は何度も何度も行き来してみた。
だけど夜になったからといって、どうにも座り込んで演奏など出来る雰囲気ではない。
騒音苦情か、でなければ余程の変わり者として、10分で通報される自信だけがあった。
道端で唄いながら旅を続けようという余程の変わり者のクセに、そんな事を考えていた。


僕は、また少し考え込んだ。
どうしようか。
夜にならなければ、分からないこともある。
でも、うまく唄えたからといって、ここで一晩を過ごすにはどうしたらいいだろう。
函館まで行ける小銭は、まだ残っているだろうか。
何も分からない。
何の下調べもない事を、初めて怖いと感じた。


次第に夕日が海と反対側に落ちてゆく。
僕は歩き疲れ、線路を渡る高架の上で黙り込んだ。
とりあえず歩き回ったが、海側も山側も、それっぽい場所が見当たらない。
最後の手持ちで、動くしかない。


改札では、仕事帰りの人や学生で、小さなラッシュになっていた。
ここで唄うのはどうだろうかと、一瞬だけ考えた。
でも、駅前で唄うのは駅員とのトラブルの可能性が高い。
ギターを出してはみたけど止められたじゃ、格好も付かない。
すべてを言い訳にして、僕は移動を決めた。


簡単な直線だけで終わる様な路線図を見ると、函館が聞いて呆れるほど、手持ちはまったく足りやしなかった。動けるのは駅10個分ぐらいだ。
僕はとにかくその中から、いちばん大きい町なんじゃないかと思われる駅を選ぶしかなかった。
いくつかの駅名の中、八雲という駅名が実線で丸く囲まれていた。
多少は、規模の大きい町かも知れない。
僕は、その駅に賭けた。勘だけだ。


1時間もかからず、八雲へは到着した。
駅の規模としては決して大きくなかったが、道路沿いに建つビルや雰囲気は良い感じに思えた。
早速タウンページを開いた僕だったが、すぐに落胆した。スナックの欄は、数行で終わっていた。


スナックの在り処を捜すまでも無く、僕は待合室で考えた。
もしかすると、この駅前がいちばん良いのでは、とも思えた。
時刻は午後7時過ぎ。
まだまだ帰宅する人々が駅を使うだろうし、駅構内から少し離れれば、苦情もないかも知れない。
そして、上手くいけば今日中に函館へ移動出来る。
函館ならばさすがに、深夜まで唄ってどうにかなるだろう。
しかし、その考えもまた、すぐに消えた。消さざるを得なかった。
函館への最終は、すでに終わっていたからだ。




これまで数年。
広島や、大阪や、北海道。九州でも唄い、途方に暮れた事は多かった。
だけど、ここまで心細い事がなかったのも事実だ。
北海道の未知の町で、自分の得意な土俵が見当たらない。
たとえ結果的に一銭も入らない夜だったとしても、唄う事で自分を鼓舞してきた部分がある。
だからといって、まだ唄える場所があるか分からないこの町で、何の反応も実入りもなかったとしたら、一体どうすればいいんだろうか。

すべては、計画性のない行き当たりばったりな動きのせいだ。
余計な出費を抑えて、最初からストレートに函館までを移動していれば良かったのだ。
つまらない後悔が湧き出る。湧き出たが、今更そんなものに意味はない。
残された方法は、八雲というこの知らない町で唄って稼ぐのみだ。
とにかく歩いてみよう、ここで一晩を過ごすとなれば、まだまだ時間はある。

周辺を歩いた挙句に分かった事は、あちこち歩いても仕方がないという事だけだった。
駅から見える距離に、1件のパチンコ屋がある。
大通りから1本裏道に入ると駐車場があり、併設するように飲食店があった。
駅前を除くと、その裏道のみが人通りの多い場所だ。多少なりとも、夜のお店の灯りが見える。
その、ほんの5~6軒のお店が集まる袋小路の入り口で、ここしかないと決めた。
よく、飲み屋のテナントビルの下で唄う事があるが、それと同じ理由だった。
ここを通るからには、お客さんにしても業界人にしても、お酒の入る世界の住人だろうと思ったからだ。

決めたには決めたが、踏ん切りは付かない。
何せ、どっかと腰を下ろしたお店の入り口は、いつ背中のシャッターが開くとも知れない。
この数年に少しだけ蓄えてきた勘を働かせたが、分からなかった。
上手い具合に今からお店を開けそうなお姉さんが通りかかったので

「こちらは営業されてるんですか」 と尋ねると

「いえ・・・今日は閉まってらっしゃると思いますけど」 というギリギリの答えが返ってきた。

それでも少々安心した僕が

「そうですか~。今から唄おうと思ってたので、気になったんです」

なんて余計な一言を発すると

「はあ・・・」

と、要領を得ない感じの作り笑顔で、いなされた。
意味合いとしては 「はあ?」 だったのだろう。

何とかで不安材料のひとつが消えた僕は、意を決してギターケースを開く事にした。
譜面台にハーモニカホルダー、その他諸々が、車も通れない細い袋小路の路上に並べられていく。誰が見ても不思議この上ない光景なのは分かっている。
この時ほど、なんで僕は駅前で唄えないんだろう、と自分で思った事もない。
明らかに、そっちの方が自然に見えるのに。

だけど、先程のお姉さんに 「ここで唄おうと思って」 なんて言ったからには、後へは退けない。
そういった追い詰め方で唄わざるを得ない様にするのが、こういう時の対処法だ。
誰が訝しんでも、何か? と澄ました顔で黙々と準備を進めるのだ。
ポケットウイスキーの残りを流し込み、妖艶なスナックの看板を眺める。
そうすれば、夜を唄う路上唄いの魂は少しずつ盛り上がっていく。
今夜もまた、ここで男と女の飽くなき駆け引きが繰り広げられるのさ、なんて。

が、そこに

チリンチリ~ン ♪

と、可愛らしいお子様のお乗りあそばす三輪車が軽快に通り行くと、路上唄いの魂は少し凹んだ。
お子様の三輪車は、どんな時も戦意を奪う。
いつまでも戦火の絶えない国では、お子様型ロボットの運転する三輪車をそこかしこに走らせればいいと思う。

戦意は奪われたが、喪失はしていない。
したら死ぬ。

そんな訳で、こういう時に便利な長○剛大先生(今更、伏字もないだろうに)の、とんぼよ~、を唄い出す旅唄い。
いきなり、お向かいの2階でカーテンが開くが、唄い始めたからには逆に何が起こっても止める理由にはならない。
カーテン越しの人影に愛想笑いをしながら、僕は歌を続けた。
止めたら死ぬ。

唄い始めまでにかなりの時間を浪費したせいで、40分も唄うと、周囲は一気に人影がまばらになった。
買物帰りの方や三輪車のお子様は消え、逆にフラフラと町を徘徊している様な雰囲気の通行人が増えている。
近隣の苦情が出るならば、すでに出ていてもおかしくない時間なので、あくまで様子を伺いながらだったが、僕はかなり安心して演奏を続けた。
ただし、反応はまだゼロだった。
それでもいい。それでいい。
今夜のうちに、ひとつだけでも反応があればいい。
たったひとつの反応さえあれば、気力は持つ。
唄わなければ何も出来ない身を実感した今となっては、今夜は唄わなかった駅前さえも明日の昼には唄えるだろう。
今夜をどうするかは、唄い終わってから考えよう。
僕は最後のウイスキーを流し込んで、臨戦態勢になった。


~起死回生の八雲編とその後に続く~




Googleマイマップ「西高東低~南高北低」
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