八雲 その2

八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を

これは、スサノオノミコトが詠んだ日本最古の和歌と言われる。
北海道の八雲は、どういう経路か知らないのだが、開拓指導者の徳川慶勝により、その歌に因んで命名されたらしい。

八雲立つ、といえば出雲の枕詞。

出雲で調子の良かった旅唄いだが、果たして、遠い蝦夷地でも神様の導きはあるのか。
という事で、八雲編の後半をどうぞ。

袋小路の入り口は、道幅で5メートルくらいだった。
そんな狭い道。シャッターの下りた店の玄関先でギターケースを開いて座っている僕は、通りがかる人にかなりのプレッシャーを与えたろう。
だけど、その不自然さにプレッシャーを感じるのはこちらも同じ。

例えば、こういう時にいちばん困るのが

「何してるの?」

と純粋に尋ねられる事だ。
だが、この時ばかりは、それでも良かった。
誰か声でも掛けてくれた方が気が楽だった。
反応はといえば、未だカーテン越しの影と

「よ~いよい♪」

と笑いながら通り過ぎたオッチャンだけだ。
ああ! 早く誰か酔っ払い来て!ストリートミュージシャンには稀有な台詞)


気落ちして歌が止まってしまうと、自分の中の何かが切れてしまいそうだった。
いつもなら一晩に同じ歌を何度も唄うなんて、リクエストじゃない限りやらないんだけど、不本意な昭和ヒットメドレーを繰り返した。
なるべく絡みやすい歌を唄い続けた方が得策と判断した。
手塚幸ファンなら 「どうしたんですか」 と驚くほどのバーゲンセールだ。

バーゲンの甲斐があったのか、右手の車道に車がゆるゆると止まって助手席の窓がウイ~ンと開いた。
中から、女性がにこやかに微笑みかける。
僕も歌の途中だったがチャンスは逃さず、演奏を続けながら微笑み返しを送った。
すると

「そこ、通れますか~?」

車が、入りきれなかったらしい・・・。
すみませんでした~、とわざわざ謝ってくれるお姉さんが、非常に申し訳なかった。

ようやくの好反応とはならなかったが、それでも少し安心する。
袋小路の関係者が、嫌な顔をするでもなかったからだ。
ここで演奏なんて恐らく誰も思い浮かばない反則技的な場所だったにも関わらず、八雲の人は心が広い様だ。
さすがは北海道、開拓民の血か。

唄い出して1時間以上。
普段なら、そろそろ何か反応がないと不安になる時間だった。
そして、実際に不安はあった。
けれど場所が場所だけに、これは仕方ない。
いつも思う様に、唄えるだけマシだとしよう。
飲み屋街としては、人通りも明らかにない。
飲み屋街というか、ここはささやかな飲み屋ブロックなのだから。

人は、少ないが通り続けている。
僕はいつもの小休止を少なくして、なるべく唄い続けていた。
さすがにネタが尽きてきたので(本当は大量にあるのだが、気分の問題)唄い慣れた曲にスライドして、マイペースに切り替えた。
パチンコ屋のネオンもまだ消えてないし大丈夫だ、なんて考えながら唄っていた時だ。
何やら風呂敷包みを抱えたお母さんが、慌しく横切って行った。
普通のお母さん、といった出で立ちだったが、どこかのお店の関係者の様にも思える。
通り慣れた道に、まさか得体の知れないギター弾きが座っているとも思わず驚いたのだろう。
お母さんは、あら、と小声で振り返っていたが、それでも笑顔に見えた。
僕も会釈を返したが、もうお母さんは角を曲がっていた。

用事を終えたのか、さっきのお母さんが戻ってきたのは10分後だったか。
ニコニコと、また駆け足で通り過ぎた。
通り過ぎたと思ったが、違った。目の前に立ち止まってくれた。

「お兄さん、なんかスゴイね~! アタシ、そこのお店で飲んでるから、おいで!  ジュースでも奢るからさ!」

人の好い笑顔が印象的なお母さん(推定47歳)は、そう言うと 「そこの奥だから~」 と、再び袋小路の闇へ消えた。
あまりにも不意打ちだったので珍しく戸惑っていた僕だったが、現状打破の機会を逃す訳もなく、急いで荷物をまとめた。
せっかくだからジュースじゃなくてビールを貰おうなんて、不届きな事を念頭に置いていた。

支度の遅い(荷物の多い)僕を心配してくれたのか、再び戻ってきたお母さんに案内されて、お店に入った。入って、驚いた。
小さなスナックか居酒屋さんかと思っていたら

広々としたホールと長いカウンターがあり
なんと特筆すべきはギターやらベースやらドラムセットの置かれたステージがあった。

「ここはねえ、昔はダンスホールだったのさ」

カウンターに案内された僕は、北海道独特のアクセントでお母さんの説明を受けていた。
なるほど、全盛期が偲ばれるといった雰囲気で、ホール中央には不規則にテーブルが並び、数名のお客さんが飲んでいる。男性も女性もお客さんの様で、皆ラフにくつろいでいた。
僕が店内をしげしげと見回していると、上品なママさんがおしぼりを持ってきてくれたので、恐縮しながらも、とりあえず生ビール(恐縮してない)をもらった。

「いやあ。こんな人、珍しいからさあ」

そう言って笑うお母さんとグラスを合わせて、まずはお礼を言った。
お母さんは良い飲みっぷりで

「外なんかじゃなくて、ここで唄っていけばいいよ~
 ほら、こっちの方がチップも入るからさ~

と、僕の肩をバンバン叩きながら話す。
豪快ながら、なんて鋭い所を突いてくれんだろう。
助かります、と照れながらも、心でガッツポーズをする旅唄い。

しばらく色々と話をさせてもらい、僕のビールは2杯目になった。
聞けば、ずいぶん古くからやってるお店で、ゴールデンカップスのメンバーも演奏に来たらしい。
マスターもかなり音楽好きらしいが、今は飲みに出かけていると聞いた。
こういうお店のマスターって、そういう人が多い気がする。

「そろそろ、ステージで唄ったら?」

とママに促されたので、緊張の面持ちで準備に入った。
横目で見ると、ホールのお客さんも期待している様子だ。
そこで更に緊張する旅唄い。

おっとりと上品だけれどやけに手際よくマイクセッティングするママさんに感嘆しながら、僕はたどたどしい挨拶で唄い始めた。
まだまだ完成されたオリジナルも少ない頃で、そうでなくても初めての場なので、カバー曲を中心に唄ったと思う。
それが良かったのか、偶然に居合わせただけのお客さんも、かなり真剣に聴いてくれた。
少しだけ、リクエストにも応えさせてもらった。

悔しい事なのだが、今となっては、お店の名前も、お母さんの名前さえ失念してしまっている。
それでもチップを頂いた事だけは忘れていないのが、なんてイヤらしいんだろう。
何せ、路上で唄い出せはしたものの、実は今夜中に投げ銭が入る自信がなかったのだ。
明日は駅前で昼に唄おうかとも考えていたところに救いのお呼びがかかり、安心感と緊張感が複雑に絡んでいた。

何とか喜んでもらったが、残念な事にお母さんは

「アタシは明日が早いから」

と、途中で帰られた。
お母さんは漁師で、夜中の2時に起きるという。
海の女の優しさと豪快さに、心から感謝した。

「まだ飲んでていいからね」

と言ってくれたお母さんとお店に甘え、僕はしばらくカウンターで飲んだり、演奏させてもらったりを続けた。
そのうち
すごい勢いで酔っ払って入店してきたファンキーなオジサンが実はマスターで
今日は旅のミュージシャンの方が来てるのよ、というママの説明も聞いたか聞かずか
おうおう!! と僕の演奏にノリノリで握手してくれた。
こういうお店のマスターって、そういう人が多い気がする・・・。

結局、0時くらいだったろうか。
お店の閉店に合わせ、僕も荷物をまとめた。
頂いたチップは、函館まで十二分に足りる。

「明日は、函館に行こうと思います」

ママさんには笑顔で挨拶をした僕だったが、実際はまだまだ不安があった。
僕が閉店まで甘えたのは、今夜の行き場を考えていないからだ。
なるべく遅くまで時間を費やしたかった。
本来なら、あまり長居せず、ある程度でお店を出ればよかったのだろう。
申し訳なかった。

外に出ると、八雲の町は眠り始めていた。
酒で熱くなった顔に、冷たい風が気持ちよかった。
だけど僕は知っていた。この心地良さは、あっという間に命取りだ。
まだ9月の末とはいえ、野宿の準備などない僕には堪えるはずだ。



僕は国道5号線に向かって歩いた。
夜の間は眠らない事に決めたからだ。
せっかくなら1駅ぐらい歩いてやれと、僕は星を頼りに方角を決めて歩き出した。

冗談ではなく、カシオペアを見て方角を確かめた。

この行き当たりばったりな決断もまた、途中で後悔に変わる。

案の定、一気に冷えが来た。
コンビニで飲み物を買った後、カバンの中の長袖シャツを出して重ね着した。

この時点では知らないのだが、僕が向かっているのは八雲から1駅の山越(やまこし)という駅だ。
距離で、ほんの4キロ程だ。大した距離でもない。

なのに、2時間もかかった。

その頃、僕の荷物は短期旅行用の車輪の華奢なキャリーバッグで、ギターケースは背負うタイプではなかった。こいつが結構、腕に負担なのだ。
その状態で、そのうち現れる舗装もそこそこな道路を歩くと予想以上に疲れるのだが、路面よりも道そのものが大問題だった。

やがて、歩道が消えるのだ。

コンビニにパチンコ屋、ビデオ屋っぽい灯りを背中に南へ歩く事、20分ほど。
次第に街灯が少なくなり、真っ暗な民家の影だけが右手にある。
更にいうと、南下する僕の左手は海で、思いっきり海岸線になっていた。
大型のトラックや乗用車が結構な速度で走る道だったので、僕は用心深く歩いた。
こんな時間に歩道を歩く人間は誰もおらず、僕は歩いてくる中、どっかの駐車場でカップルを1組見ただけだ。歩道では自転車さえ通らなかった。実に、駅前から20分の距離で。

ただでさえ歩行者なんかいそうもない道を、僕ときたら真っ黒な服に真っ黒なギターケースで、ご丁寧にキャリーバッグまで真っ黒だった。

反射素材は何もなく、轢いてくださいといわんばかりだ。

なるべくガードレールのある側を歩き、ガードレールさえなくなると、歩道と思しき幅のある方を選んで歩いた。
右へ左へと安全な道を探すのだが、その間も信号のない国道をビュンビュンと走り去るトラック。
これは、たまったものじゃない。
大昔の携帯ゲームに

車が左右から走って来る道路を カエルを操って 轢かれない様に渡る

というのがあったが、まさしくそれだった。
しかも、僕はゲームの様に3匹もいない。

それでもだ。
それでも1時間ほど気をつけながら歩いていると、今度は街灯さえなくなった・・・。

落ち着け! 落ち着け! 暗闇に目を慣らせ!

そう言い聞かせて煙草でも吹かしていると、確かに目は慣れた。
慣れたが、道行く車の知った事ではない。
ドライバーは人影など見えない国道を

まさか真っ黒なカエルが右に左に横切ってるなんて思ってくれない。

ひたすら耳を澄まして目を凝らし、僕は神経を尖らせるしかなかった。
冷や冷やモノで、カメの歩みだ。カエルでカメって、どんな生き物だ。

やがて、最大の難関がやってきた。

進行方向へ向かって、ゆるやかな右カーブ。
僕は、海岸線の逆を歩いていた。なんとか時折、自販機などがあって安全だったからだ。
しかし、どう見てもある一点で歩道が消えている。ガードレールが、終わりを告げている。
そのまま車道の端を歩いたりしてると、前方からの車に対して死角になるので

かなりの確率で、カエルさんサヨウナラだ (。-人-。)チーン…

どうしよう。
反対側って、海だよな。
さっきから 「ドドドドドド・・・」 って聞こえるもんな。
海鳴りだよな。
ジョジョじゃないよな。

そして不安げに目を凝らす左前方。
ガードレールはあるけど・・・

歩道、なし(´,_ゝ`)プププ

ノォ~~~~~っっ!!

これは、いくらなんでも歩けないだろう。
考え込んでいるうちに、前方からヘッドライトらしき灯りが見えた。
見えたと思ったら、グゥゥゥウォ~~~~!! と一瞬でトラックが走り抜けた。

右側を歩いた場合のシミュレーション上、まず1匹目のカエルさんが死んだ。

こうなったら、歩道はないがガードレールのある海側を歩こう。

また耳を澄まして目を凝らし、僕は海側に渡って歩みを再開した。
ガードレールが道標にはなっているものの、高さで二十メートルくらいはある断崖だ。
踏み外せば2匹目のカエルさんも無事ではすまない。
車、来ませんように・・・。

そうこうして怯えながら歩く事、5分。
街灯は皆無に等しく、右手にまばらにあったはずの民家の灯りもない。
車も、なぜかピタリと通らなくなった。
こうなると、いちばん明るいのは空だった。見た事もない満天の星空だ。
僕は今まさに星明りで歩いているのだと、妙な感動が胸に沸き起こっていた。
不思議な感慨に、つい立ち止まってしまう。

断崖の下、相変わらず低い音で海鳴りが響いている。
その音は、天空から聞こえてくる様にも思える。
見上げれば星は数え切れないほど、星座盤みたいだ。
水平線の下に、漁船の灯りもチラホラ見えた。
あのお母さんも、そろそろ海に出る時間なのかなあと思い出す。
今日1日を、思い出す。

呑気に酒でも飲みながら列車に揺られた昼間。
唄う場所が見つからないと決め付けて焦り始めた夕方。
開き直って唄い始めた八雲の道端。
今、こうして真っ暗な海沿いの国道を歩いている僕は、一体、何の集大成なんだろう。
失敗や成功はあったろうか。
反省材料はいくつもあったが、どこにも失敗などなかった気もする。
失敗した訳でもないのに、一時はかなりへこんだものだ。
なんて、馬鹿らしいんだろう。

星明りで歩く道のりの険しさを知ったけれど、それもまた僕だけの小さな体験だ。
浮かれてみたり、勝手にへこんだり、誰かのお陰で持ち直してみたり、そんな繰り返しの旅。
いつか、それらは何かになるのだろうか。

もう一度、満天の星空を眺め、何らかの答えをねだる様に僕は大きく息を吸い込んだ。
薄っすらと雲の帯が棚引いて、星々に照らされている。
快晴の様にも見えていたが、雲が出てるんだな。そう思った僕だったが、全くの見当違いだった。
雲に見えていた空の帯は、なんと天の川だった。
星明りに照らされているのではなく、それこそが星の集まりだったのだ。
天の川がこんなにはっきりと見えるなんて生まれて初めてだったので、気が付かなかった。

しばしの感動の後、訳の分からない涙が溢れて止まらなかった。
いや、訳はあったろう。
それこそ幾千億という星の集まりで輝いて見える天の川が、その姿の通り、僕のちっぽけで小さな小さな後悔や経験さえ積み重ねる事でひとつの答えを導けるだろうよと、暗に囁いている気がしたのだ。
明日の函館もまた、知らない町だ。不安はある。
けれど、僕には唄い出す事でしか前に進む方法がない。
唄った結果の対価でしか、生きる希望も実力も手には入らない。
明日は、躊躇せずに唄い出そう。


涙は止まらなかったけれど、僕は歩き出した。
止まらないままに歩き出した瞬間、背面から轟音と共にトラックが追い抜いて行った。
そこで、僕は一気に青ざめた。
猛スピードのトラックのせいじゃない。

あと2、3歩で、道が終わっていたからだ・・・。

実は、立ち尽くしていた所でガードレールは終わり、道の先に茂る雑草の向こうは断崖絶壁だった。
ヘッドライトが照らしてくれたお陰で見えたのだが、ウルウル涙混じりに歩いていたら3匹目のカエルさんも、どうなっていた事やらである。


函館本線八雲駅から南へ1つの山越駅に到着したのは、それから30分ほどだった。
そこでも僕は寒さのために窮地に陥る訳だが、それはまた、次の機会に話そう。


※なお、今回よりコメントの書き込みに、アカウント入力を省略してみました。
  設定方法が分かってなかったんです。。。
  初コメント歓迎ですので、お試しがてら、よろしくお願いします。
  コメント記入者の欄で『名前:URL』を選択してください。
  URLは、未入力でもOKです。
  携帯からのコメントは・・・どうなのか分かりません。
  

ちなみに下の写真は、まったく逆方向の積丹半島・島武意海岸でのものw



Googleマイマップ「西高東低~南高北低」

http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=117155757855294201939.0004585263f0a10720fca&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&ll=42.255654,140.272483&spn=0.001755,0.004436&z=18

9 件のコメント:

  1. テスト書き込みだっちゃ。

    返信削除
  2. お初の書き込みだっちゃ!今回の話、暗いよ狭いよ怖いよ~!!
    え?なつかしのアニメ大会じゃないんですか?

    はい、鯣でございます。
    このネット上の出会いも「旅」の一部でしょうか。未知の何かと出会う「旅」。
    今日もささやかに出会う人たちがおり、感じた事や見た事聞いた事をささやかに披露しあい・・・。
    あ、アメーバブログ、始めたんです。

    ささやかにでも、誰かと繋がりあえるというのは、いいものですね。ぬるま湯なのかも知れませんが。

    満天の星、一緒に見ている気分になりました。しかし、
    『ヤバイ、この人、死ぬ!』と思ったのは、我が旦那様に次いで二人目でございます(^^!)
    何度も言いますが、死なないで下さいね(>_<)

    返信削除
  3. >鯣さん
    初コメ、大感謝です。

    ブログ書きながら思うんですが、つくづく、旅って心でするもんだなと。
    旅は様々な移動の中で、体験を、経験と記憶に変える事だと思います。
    よく『旅』と『旅行』の違いを尋ねられたりしてましたが、今はそう答えられます。

    写真とお土産と思い出で終われば、それは旅行でしょう。
    わざわざ予定を立てて資金をつぎ込むのだから、旅行ならばそれで十分だと思います。楽しくないと意味がない。
    ただ、旅はそこに、新しい希望や憧れが発生する瞬間があるんじゃないでしょうか。辛いだけの旅も、また正解だと。

    終わった後に、ようやく目的がはっきり見えてくる、旅ってそんなもんだと思います。
    [ひ]~ちゃんの18切符旅なんか、まさに分かりやすいですわ。
    自分は「そこで何が出来たのか」まで導き出して、旅が終わるあの感じ。

    いつも誰かとどこかで繋がってる安心は、孤独な旅で大きな支えです。
    今後も、死にかける事はあっても死にませんので、ご安心を。

    ではでは。
    また引き続き御愛読ください。

    返信削除
  4. 始めまして。
    さろ坊さんの日記からこちらに来させていただきました
    手塚さんの独特の雰囲気が文章から出ていて
    いつも楽しく拝見させていただいてます。

    くれぐれも事故や、トラブルにお気を付けてよい旅を。
    更新楽しみにしています。

    返信削除
  5. やぁだ・・・ウチの旦那さんも「死なないから大丈夫」って言うんですよ。どこにそんな根拠が?!
    手塚さん、もしや一月生まれとかですか・・・?

    あ、「八雲」はやっぱりこういう由来なんですね。神代の時代の話、最近好きなんです。ヤマトタケルとか。

    ウチの近くの地名「小碓(オウス)」というのは、ヤマトタケルの幼名からきているんだそうです。
    観音様の有名な「大須(オオス)」とは別の場所です。どちらも名古屋市内ですが。

    返信削除
  6. 海岸線でのカエルゲームを僕はかつてインベーダーゲームと表現したことがありましたが、なるほどカエルゲームの方が適切な表現ですね(笑)
    わかります、わかります!全くおんなじことを経験した者として。この怖さ、怪談の比じゃないんですよね。ああ、僕は読んでいて心臓の鼓動が速くなってしまいました(苦笑)

    返信削除
  7. >ヒゲメガネさん
    初めまして!
    コメントありがとうございます。
    さろ坊も上手い具合にコメントくれてますので、元気に過ごしてる事でしょう。

    過去の記録としてのブログなので、時系列が繋がらないところもありますが、これからも全国いろんな場所での思い出を綴っていきたいと思います。
    今後も、是非ヨロシクお願いしますね。


    >鯣さん
    二二六事件生れです ヾ(・∀・。)ノダ-!!

    最近はありがたい事に、マネージャーがしっかりと管理してくれてますんで、死なないと思います。
    頭が上がりませんわ。。

    乞じ…(違う)古事記とか日本書紀とか、複雑怪奇ですが楽しいですよね。
    小碓は知りませんでした。
    ちょっと、勉強したいと思いますd(・c_・`。)


    >さろ坊
    久しぶり 北の南の 旅人が

    インベーダー、書いてたね~。
    今回は絶対に反応せざるを得ないだろうと、確信的にアップした話です。

    俺はあの体験があったからこそ、君を尊敬してるんだ。
    おおよそ人が歩くために作ったと思えない真っ暗な海岸線を、独りきりで歩いていた君を。

    本当はこの後、北海道にありがちな駅のトイレのヒーターで、裏表と身体を温め続けた朝方の話があるんだ。
    それもまた、君の恐ろしく寂しい記憶を蘇らせるだろう。

    新潟も昨日、春一番が吹いたよ。
    3月には俺も、ちょっとだけ長崎に出向いてくる。
    久々の九州だ。
    君もまた、宮崎で頑張っててくれ。

    返信削除
  8. ども!

    ハラハラしましたが・・
    カエルさんご無事で何よりでした。。^^;

    返信削除
  9. >カゼアシ・アッちゃん
    どもども!!
    ま、無事だったんで今も生きてるんですが(笑)。


    そういや、昨夜の神戸ライブは大成功で終わりました。
    そっちも、明けて今日やね。
    頑張って!!
    ヨコちゃんにも、ヨロシク!!

    返信削除