熊本 その1

九州で最も長く滞在したのが、熊本市だ。
長くなりそうなので、最初から分割形式にするつもりで書き始める。


九州を巡った2002年、福岡~佐賀、そして生まれ故郷の長崎と周り、島原から船に乗った。

いわゆる修学旅行のみの体験地だったため、知らないと言い切って良い土地だ。
なのに、フェリーに乗った時の手持ちは確か、800円ぐらいじゃなかったろうかと思う。
今なら、大移動にはちょっと躊躇してしまう金額だ。
恐いものなしというほどの心境ではなかったが、旅唄い初心者の僕にとって未知のものは全てただの未知であり、今日メシが食えるかどうかという悩みも熊本がどんな街なのか知らないという事態も、同様レベルの不安だった。

とにかく当時は、記憶に留めておこうという気持ちがなかったので、思い出しても移動経路自体が曖昧だ。
城下町島原のフェリー乗り場で夜を過ごしたのだから、島原港から乗ったのは間違いない。
それに、島原から熊本へ向かうフェリーは、今も当時もそこからしか出ていないはずだ。

ああ。少し思い出した。
静かな島原の街を、とても深夜帯には唄えないとみなした僕は、真夜中のアーケードを抜けて港まで歩いたのだ。
ただどうしても、その経路をどうやって調べたかを今も思い出せず(なんとなく、ではなかっただろうが)、見慣れないコンビニめいた店先でシーフードヌードルを食べた事だけが思い出される(※この頃から、全国シーフードヌードルレシート収集計画は始まっていた)

この調子で地図を眺めて、思い出していこう。

今になって地図で見れば、市街地から島原港までは2キロ強。
歩くといっても、大した距離ではない。
だけど、全く知らない街を真夜中に歩いて移動するのは非常に長く感じる。
道の途中に地図らしきものが見える度に確認していたので、確かに1時間以上はかかったと思う。

時期は、10月の半ば。
まだまだ九州の秋は暑かった。
その頃の出で立ちだけは、はっきりと憶えている。
ジーンズに黒い半袖のTシャツ。
首にはタオルを巻き、荷物といえば大き目のリュックと、ペラペラの薄いソフトケースに入ったギターだった。

そうそう。
恒例のキャリーケースなんて、まだ転がしていなかったのだ。
それだけ装備が少なかった訳で

・移動するにも要領は悪く
・唄う場所選びの要領も悪く
・着替えが1日分くらい
・そしてハーモニカ~、ポケットに少しの~小銭~♪

という、清清しいほどに天晴れな路地裏の少年っぷりだった。

島原では結局一銭にもならない演奏を終えていたし、カップラーメンを食べて残りが1500円(恐らく)ほど。
十年以上の旅を続けた今となっては、そんな軽装備で見知らぬ土地へ出発なんて恐ろしくて出来ないだろう。
いや、島原では夜の街で稼げないと諦めての移動だったので仕方はなかった。
それにしても、経験が増えるというのは僕の場合、逆に自分を臆病にしてしまう様だ。
恋に破れた乙女か、まったく。


雨がパラついたりと雲行きの怪しい港の朝だったけれど、船が進むに連れて晴れ間も見えてきた。
ウトウトする間もなく、1時間ほどで熊本港のターミナルに着く。
船旅は北海道に続いて2回目という事もあり、港にありがちな閑散とした風景にも不安はなかった。
火の国・熊本である。唄える場所はきっとある。
とりあえずの気がかりは、市街地までの移動手段だった。

熊本駅まで行けば何とかなるだろうと思ったので、港で確認するとバスがあった。
ただ、やけに遠くて高かったらどうしようかとも思った。
どこかで聞けば教えてくれるだろうが、明らかに足りない場合の落胆が嫌だったので、何も言わずに乗った。
初乗りからじっと運賃表を睨み、足りなくなりそうだったらいつでもピンポンを押せるように構えていた。
が、次第に上がり始める料金に心でストップをかけているうちに

「次は熊本駅~」

とアナウンスが流れ、結局は400円くらいで乗れた




のだと、思う(笑)。

捏造ではないのだが、どうしても思い出せない。
熊本駅を基本にしたのは間違いないし、そこまでのルートは限られている。
地図で見るところ、熊本港から熊本駅までは10キロ以上ある。
この根性なしが、徒歩で歩いたはずがない。
手持ちの減り方から考察するに、400円ほどでバスに乗ったと考えるのが妥当だ。


とにかく、歩いたのは熊本駅からだった。これだけは流した汗と共に憶えている。

これまた昨夜の島原と同じ2キロほどの距離だった訳だが、今回は真昼間。
市電の走る熊本市ではあるものの、まだまだ夜までは時間もあり、もう出費はしたくない。
駅前地図を見る限り、どうやら白川(この川には本当に思い入れがある)という川沿いに歩いて行けば市街地のようだ。


僕は、ひたすら川沿いを歩いた。
阿蘇山と熊本城を見るだけの修学旅行生だった僕にとって、どこを歩いても初めての景色ばかりだ。

時刻は正午に近く、すぐに汗まみれになった。

何を見ても知らない。

どこを見ても分からない。

知らない町の名前が、知らない川沿いに流れてゆく。

何度も何度も立ち止まり、肩の荷物を道端に投げて、タオルで汗を拭った。

不安は、なかった。

ただただ、どこまでも旅を続けていたかった。

空は、ゆっくりと曇り始める。


駅前の地図で目印にと覚えておいた路面電車の走る道が左手に見えたので、そこからは軌道敷に沿って歩いた。そこが道のりの半分だ。

だけど、殺風景な川原の道から開放されたせいもあり、そこから先は早かった。
古風なビル街を抜けると、大きな公園が見えた。
観光客用の案内板に 『熊本城』 の文字も見え始めたので、後は気の向くままに歩き始めた僕だったが、数分後には市街地の勢いに圧倒されていた。

気が付けば、大阪や福岡のど真ん中に来たような雑踏に晒されている。

熊本、実は賑やかだったのだ。

慣れ親しんだ百万都市の広島より、人が多い気がする。
静かな城下町だなんて思い込んでいたのは、なぜだろう。
ああ。
子供の頃、毎年のようにお袋が里帰りしてた天草が仮にも熊本県だったから

熊本=静か 

なんてイメージを勝手に作っていたのだろうか。
それとも修学旅行二日目の島原で武家屋敷の通りを見て、記憶がすり替わっていたかも知れない。全国の小中学校は、修学旅行の行き先を1箇所に絞った方が良い。

という事で、許して熊本。
PARCOもあるのに。


そ~んな感じで、旅唄い初心者の手塚幸が辿り着いた大都会・熊本(言い過ぎかな)。
次回からは、少しずつ重いエピソードも出たりして。

という訳で、続く。


Googleマイマップ「西高東低~南高北低」
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(白川沿い)