新発田 ~近況から追憶へ

三月も残りわずか。列島のあちこちで桜が咲いているらしい。
現在、執筆中の新潟でも、そろそろ夜間の路上演奏が寒さとの戦いにならず済んでいる。ヨシノ桜の開花予想は、4月の7日あたりらしい。
そんななか、昨日ふと感じた春の訪れは

冬の間ずっとキッチンで固形化していたオリーブオイルが、サラリと流れ出た事

だった。
水温む~ とは春の季語だが、まさかオリーブオイルで春を感じるなんて、もこみち君でも知らない体験だろう。
それにしてもまあ生活感にあふれ、旅唄いっぷりがどんどん消え失せてゆく手塚幸。




早や6年が過ぎようとしている新潟での生活。
そろそろ、この愛する新潟の話を書こうかと思う。



新潟県内に初めて訪れたのは、忘れもしない2003年の秋口だ。
以前に書いた函館http://tabiutai.blogspot.jp/2010/03/blog-post_12.html五稜郭での演奏翌日に青森へと渡った僕は、弘前~秋田~酒田~鶴岡と移動して、新潟へ入った。ほぼ、海岸線の旅である。

前日までの雨雲を吹き飛ばしてくれた日本海は、今になって思えばらしくない青空で新潟入りを祝福してくれた。今では鉛色の空(by桑名シオン)が新潟のデフォだと思っている。
この街の人間は本当に、青空を畏怖し崇拝しているみたいだ。
「日照時間でいくと東京と大差ないんですよ」なんていうソーラーパネル設置推進派の言葉は、どうにも実感できない。

新発田市の話をしよう。

鶴岡からの順路で考えれば、まずは村上市が新潟県の入口という事になるのだが、当時の僕には新発田以外に考えられなかった。
その秋、三回目の小樽へと旅していた僕には、ずっと気になっていた地名があったのだ。それが、新発田だ。
舞鶴~小樽間の航路しか使っていなかった僕には、フェリーの船内(現在地を示す案内板)で見かける新発田という奇妙な文字並びの地名がいたく記憶に残っていた。それは紛れもなく高校野球で見聞きした、新発田農業の影響にほかならない。

日本をまったく知らない旅唄いの僕は、その頃から「なんとなく聞いたことのある土地や駅名で降りてしまう」癖があったし、弘前で3万円近く稼いだ資金も残りわずかだったため、降り立てばそこは新発田だった。
そしてそこには


驚くほど何もなかった(笑)


日本海沿岸の町にありがちな光景だった。それは山口県は長門の時から知っていた。日本海の町はいつだって、見事なまでにのどかなのだ。
駅前から海に向かう道(脳内地図がそう告げていた)は商店街だったが、かつてそうであったろう賑わいもセピアの彼方へと消え去り、そこにはシャッターという哀しい暖簾ばかりが降りているだけだった。

僕は「あいたたた~!」を通り越して「アイヤ~! ココ何モナイアルネ!」になりそうな心の声を騙しながら、落ち着きを取り戻すため駅舎に隣接したJRコンビニでおにぎりでも買って缶ビールを一杯やると


手持ちもなくなった(バカ)


当時を思い出しながら、本当にバカだったと思う。
あとちょっとで県内最大都市である新潟市に手が届こうという場所で、どうして少ない手持ちも考えず、そういう無茶をやらかしていたんだろうと。

でも仕方がなかった。
僕は、基本的に大都市が苦手だったのだ。それは多分、今も。

こうなったからには今夜はここで唄うしかないじゃないか、と、何度口にしたか分からない自業自得のセリフで街を散策すると、意外や意外、盛り場はいい感じだった。昨今では、どれだけ店が並んでいようと人通りのない通りばかりだと嘆く人もいるけれど、少なくとも新発田は僕の好みだった。もしかすれば「かつて」というのが僕の好きなキーワードなんだろう。

「昔は肩がぶつかるぐらい人が歩いててねえ」

というのは、どこに行っても耳にする地元の方の言葉で、そしてそういう街は僕に優しかった。かつての賑わいがなくなった今だからこそ、せめて僕の目の前だけでも肩をぶつけながら酒と歌を楽しんで欲しいと思うのだった。
そして夜になり、



肩はぶつからなかった(笑)



なんて書くと語弊だらけだな。
実はすっかり忘れていたが、その日は祭日だった。
確かに昼の間、あちこちで豊作祝いの祭りがどうとか見かけていたのだ。そんな日は逆に、飲み屋街に人はいないのだ。

かといって僕が唄わない理由はなく、あるのは唄わなければ無一文というシビアな現実だけだ。
居酒屋村さ来の前を借りた僕は、視界に入る呼び込みオッチャンをいないものと思い、ほとんど人の通らないその場所で唄い始めた。そして一曲終わると遠くから聞こえる軽い拍手。

やった~
呼び込みさん攻略成功~

僕は死ぬまで言い続けるが、飲み屋街で唄うのに、呼び込みさんを敵に回せるわけがない。そして、味方に付けるとこれほど安心できる人々もいない。
勘違いも多いけれど、今じゃ呼び込みさんにヤクザの息がかかっている事は少なく、ちょっと世間と生活感がズレてるだけの気のいいオジサンたちというのがほとんどだ。場所柄、そういう人たちとの面識が多いだけなのだ。

祭日のあおりは受けたものの、30分に一回はなんらかの反応ももらい、投げ銭も少しずつ増えた。途中で居酒屋の店長さんも声をかけてくれ、なんと上がりにビールを奢ってくれた。しかも店内に招いて。


その居酒屋も今は別の店舗になっている。
個人的には寂しいが、それを言ってもしょうがない。


ただ、新発田の新道(人はそう呼ぶ)は、今もちゃんと生きている。
かつての賑わいなどなくても、やっぱり今でも僕が唄いに行けば優しく迎えてくれる。
それは、そのうち知りあう新発田ミュージシャンであったり、店先を貸してくれる優しいママさんだったりのお蔭なのだけど、その奥底に新発田という街の懐の深さと温もりがあるのだ。外を歩けば知り合いばかりという小さな街には、そういう良さがある。






Googleマイマップ「西高東低~南高北低」
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=200525636569057990770.0004585263f0a10720fca&msa=0&ll=37.949638,139.325116&spn=0.002301,0.00273

2 件のコメント:

  1. お久しぶりです。お元気されてますでしょうか?本年もよろしくです^^

    https://plus.google.com/u/0/109783272526915180721/posts

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  2. >yamato様
    新年のコメントへ今年の終わりに返信など。。。
    申し訳ありません。しばらくチェックしてないんです(笑)。

    今年はついに広島へ行けませんでしたが、またきっと会えると信じています。
    本年も残り少ないので、来年までヨロシクです(`・ω・´)ゞ

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