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熊本 その4

※放置気味で、大変申し訳ありません。
なんやらブログの編集画面やなんやらが変わっていて、今までの書き溜めから投稿! って感じがやりにくくなってます。
今回は色気も何もない文章ですみませんが、放置が気になるので文面だけアップしておきます。
ご了承ください。


~以下、本文~



クラブ通りでの演奏は、順調に始まった。

今になって思えば、時期も良かったのだろう。
まだまだ、その辺で寝転がっても十分にやり過ごせる夜が多く、食費・雑費以外の出費はそのままキープ出来ていたのだから。

それから、もうひとつは勘違いを思い出した。
サウナロイヤルを発見したのは、3日後じゃなかった(笑)。
それは、第2期熊本時代とも呼べる2人旅での事だった。
第1期では、やはり白川護岸で寝る事が多かった。
相方のバカの話は佐賀の話の時に書いてるので、割愛する。
それより、佐賀の話なのにあんまり佐賀の事を書いてなくて申し訳ない回だった。
今度あらためて、佐賀の話を書こう。

えと・・・
サウナロイヤルだ。
書いてもいいのかと、はばかられる事が多いロイヤルなのだ。
しかし、そこは愛情を持ってフォローするので勘弁してもらおう。

女性の皆様などは、男が入るサウナ風呂のイメージが浮かびにくいだろうと思う。
少し例を上げると
・近所の昔ながらの商店
・近所の昔ながらのゲームセンター
・近所の昔ながらの銭湯

に近い空気だ。
そして

・運動部の部室

これもまた、近い。

設備を、簡易レビュー風に書き出そう。評価は上位からA~Eだ。
・フロント A´
・エレベーター Dw
・乾式サウナ B
・天然温泉(ちょい温め) C
・飲料水・ビール等販売機 C
・ゲームスペース Dww
・仮眠室 C
・リクライニングシート D

気さくなフロントのおじさんが良い感じでした♪
料金が1500円ってのも安い!
ただ、下りのエレベーターが毎回15センチほど沈み込んで止まるのには心臓バクバクでした(汗)。

飲食営業のスペースがない代わりに、持込が自由で助かりました。
ビールの販売機はいつもキンキンに冷えてて、お風呂上りに くう~っ! と飲み干すには持って来いです。

そうそう。ビックリした事は、卓上ゲームを並べたフロアに

ハトが紛れ込んでいたことかしらwww

でも、作りは古いけれど自由な感じが素敵な、サウナロイヤルでした!
また熊本に行ったら、一度は寄ってみたいです。




だが!
このブログを書いてる途中で検索をかけたら、なんと営業を終えていた。。。


ロイヤルよ。
出会えて良かったよ。

熊本 その3

前回の投稿から3ヶ月以上が経ち、時は2011年2月です。
ちょっとサボり過ぎですね。
反省。


前回は熊本市の下通りアーケードから横道へと抜ける『黄昏クラブ通り』に辿り着いた所まで書いたっけ。

周囲の風景は、今でも鮮明に覚えている。
ただ、名称は『クラブ通り』のみが一般的なのかもしれない。
クラブ通りにはたそがれ東館というビルがあり、栄通りに抜けた所に、西館があった。
それでも通りの入り口には確かに『黄昏クラブ通り』と小さく案内があったので、僕は今でもそう呼びたい。

クラブ通りから南へ1本ずつ動けば、酒場通り、銀座通りと良い感じの名称があった。
銀座通りは少し広めの車道がアーケードを横切り、そこでも唄っている連中がいたっけ。

僕は何より、唄う場所を探した。
すると、クラブ通りにはエントランスを大きく取ったテナントビルがある。
そこならば目の前を通るタクシーの邪魔にもならず、右側でシャッターを下ろしたチワワ専門のペットショップ前(時は恐らく 「どうする~ア○フル~」 のCM影響で空前のチワワブームだった)ならば、唄えそうな感じだ。
今では十数年を唄い回った飲み屋街の中でも、なかなかの好条件だった。

僕は、珍しく躊躇しなかった。
さっき使ったばかりの手書き看板を出すと、おもむろに演奏準備を始めて唄い出した。
「本日、熊本初上陸! 広島から旅をしています」といった内容だったはずだ。
『旅唄い』を名乗り始めたのはその後からだったが『手塚 幸』は名乗っていた。
ちなみに僕の『手塚』は芸名で『幸(みゆき)』が本名だ。よく、逆だと思われる。

その日は、平日の夜だったろう。
午前1時前ギリギリで、普段の客足を知らない通りだったが、後1時間ほど唄えれば良い方だと思った。とにかく怖いのは近隣からの苦情だ。しかもビルの敷地内なので、どこかのテナントから口頭で苦情を受ければ止めざるを得ない。
でも、1時間だけなら。

なのに気づけば熊本初日。
終わったのは朝の4時前だった(笑)。

10月だったのでいい加減、空が明るくなって、とまではいかなったが、背面のビルから帰宅するお客さんだけでなく、色々な方が立ち止まってはくれた。
聴いてくれる人がいると興味を持ってくれる人も増え、僕の熊本の街に対する印象はすでに、とても良いものとなっていた。
最後は若い集団で、すぐ近くの店でバイトをしてるという仲間同士だった。
行き先も決まっていない僕だったが、彼らとは笑顔で別れた。
手持ちも、数千円増えていた。

幸いにも(だとは思う)酒の準備が少なかったので、そうして熊本初日の記憶は今も残っている。

すぐに日が昇るはずの街中を、また再び白川へ向かい、僕は白々と明け行く空を眺めながら缶ビールを飲んだ。それは、尻尾を巻いて逃げ出した数時間前よりはるかに美味かった。
そしてスニーカーを枕に眠りに就いた僕は、架橋工事の音ですぐに目を覚まさなければならなくなるのだが。

近所の怪しいサウナに気づくのは、それから三日後だった。
その自由奔放なサウナの話は、また時間を見て。


Googleマイマップ『西高東低~南高北低』
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=200525636569057990770.0004585263f0a10720fca&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,1&ll=32.80195,130.707969&spn=0.000997,0.002197&z=19

熊本 その2

さあさあ、熊本の2話目だ。
前回に書いたのがもうひと月も前なのだけど、どうせ手探りの記憶な訳だし、忘れられない事は多いので、大丈夫だとは思う。


手持ち数百円で熊本市内に辿り着いた僕を待っていたのは、いきなりの土砂降りだった。
何気なく入った地下道があまりにも居心地の悪い(長時間居座るとか寝転がるとか出来そうにない)雰囲気だったので地上に出たところ、ものすごい水しぶきが歩道に上がっていた。雲行きは怪しかったので覚悟はしていたものの、真夏を思わせる激しいスコールで、しばらく他の通行人と一緒に雨が止むのをアーケードで待った。

アーケードの入り口付近では、やけに元気なマイクパフォーマンスで煽るゲーセンのお兄さん(ナイナイの岡村君も来たとかで、ちょっと有名らしい)がいて、まったく飽きなかった覚えがある。
 
そんな感じで、十月の熊本はまだまだ残暑と呼べるほど暑く、にわか雨も多かった。
ただし晴天率は悪くなく、まだまだ夜をどう過ごせばいいか分からなかった熊本では、川沿いに寝転がってばかりだったので助かった。
僕の場合野宿といえば、寝袋や毛布の用意などまったくなく、地面にダンボールでも敷いて寝るだけだった。どこかのアウトドア雑誌で 『スニーカーは枕になる』 と聞いてたので、それを実践するくらいだ。よって、冬場に野宿はない。出来ない。

よく寝た川原は白川の護岸で、白川はアーケードを抜けてシャワー通りという怪しい名の通りを抜けた所、国道3号線沿いにある。
路上演奏が終わるとそこへ向かい、コンビニで買った缶ビールを飲んで寝た。朝になると時々、上のほうで工事をしてるおっちゃんが「おはようさ~ん」と声を掛けてくれたりしたっけ。
そのうち、路上前の夕方にも立ち寄る場所になり、白川の流れをボーッと眺めるだけが時間の潰し方になった。よく、詞を書いていた。

だから時々、中高生のカップルが先に陣取ってると

ちくしょう、俺の聖域を汚しやがって。お前らどっか行け。こっちはどこも行くとこないんだぞ。

なんて心で毒づいていた。
別に僕の場所ではないんだが、通勤電車の位置とか馴染みの店のカウンターとか、そんなのと一緒だろう。この気持ちは、路上演奏場所の場合は少し違う。路上は早いもん勝ちだから。

初日の話をしよう。
熊本は九州でも博多に次ぐ規模の飲み屋街じゃないかと思う。
そんな感じだから、小心者の僕は唄う場所をどこに設定しようかと悩んだ。
夜の9時前ともなればアーケードのそこら中に路上演奏の若者が現れ始めたが、そこは決して僕の場所じゃない。僕はもっとうらぶれた通り、街灯がかすかに灯る程度の道端で良かったのだ。

が、熊本。
そんな場所を探していたら陽が昇るほど飲み屋エリアが広い。
なのでなんとなく見つけた銀行の横、駐輪してる自転車やバイクの影で演奏する事にした。
景気づけ(安定剤)の酒も飲んだ。飲んだので持ち金はもうないに等しい。
それでも、なかなか唄い出せない。時間は、刻一刻と無駄に過ぎる。

何を唄ったか、もう思い出せないが、とにかく30分ほど経って唄い出した。
唄い出すと僕の迷いは吹っ切れたのだが、反応はイマイチの様だ。
もう1曲やると、今度は反応があった。
小銭が入った。
更にもう1曲やると、千円札が入った。
これはイケると思い、もう1曲やろうと思った矢先に、警備の人にダメ出しされた。
凹んだ。
凹んだ挙句、千と何百円の上がりだけで尻尾を巻いて白川護岸へ消えた。
ヘタレは今もだが、なんとまあ諦めの早い旅唄い初心者だったのだろう。
夜しか稼げない街で生き抜くためには、唄える時間に唄うというのが鉄則なのに。


わずか3曲で終わった熊本初日。
さあ、明日からはどこで唄おう。
そんな呑気な考えのまま缶ビールを飲んで眠りに就こうとしたが、少しずつ不安になる。
果たして、他の場所でも苦情は出ないのか。
もしかしたら、アーケードしか唄えないのかも。
あれだけ通りがあるけれど、一時期の大阪がそうだった様に、取締りが厳しい街はとことん厳しいものだ。

戻って、もう一回唄おうか。

時刻は0時を周ったところ。

まだ、間に合うんじゃないか。

もし駄目だったら、諦めてもっと小さな町へ移動しよう。そう覚悟して、僕はもう一度だけ街に戻った。
アーケードでは、まだまだ沢山のミュージシャンが唄っている。
ここは無理だ。
音が重なるのだけは、絶対に嫌だ。
音声多重の演奏から逃げる様に角を曲がったのが、それからしばらく世話になるとは思いも寄らない、黄昏クラブ通りだった。

~次回へ続く

熊本 その1

九州で最も長く滞在したのが、熊本市だ。
長くなりそうなので、最初から分割形式にするつもりで書き始める。


九州を巡った2002年、福岡~佐賀、そして生まれ故郷の長崎と周り、島原から船に乗った。

いわゆる修学旅行のみの体験地だったため、知らないと言い切って良い土地だ。
なのに、フェリーに乗った時の手持ちは確か、800円ぐらいじゃなかったろうかと思う。
今なら、大移動にはちょっと躊躇してしまう金額だ。
恐いものなしというほどの心境ではなかったが、旅唄い初心者の僕にとって未知のものは全てただの未知であり、今日メシが食えるかどうかという悩みも熊本がどんな街なのか知らないという事態も、同様レベルの不安だった。

とにかく当時は、記憶に留めておこうという気持ちがなかったので、思い出しても移動経路自体が曖昧だ。
城下町島原のフェリー乗り場で夜を過ごしたのだから、島原港から乗ったのは間違いない。
それに、島原から熊本へ向かうフェリーは、今も当時もそこからしか出ていないはずだ。

ああ。少し思い出した。
静かな島原の街を、とても深夜帯には唄えないとみなした僕は、真夜中のアーケードを抜けて港まで歩いたのだ。
ただどうしても、その経路をどうやって調べたかを今も思い出せず(なんとなく、ではなかっただろうが)、見慣れないコンビニめいた店先でシーフードヌードルを食べた事だけが思い出される(※この頃から、全国シーフードヌードルレシート収集計画は始まっていた)

この調子で地図を眺めて、思い出していこう。

今になって地図で見れば、市街地から島原港までは2キロ強。
歩くといっても、大した距離ではない。
だけど、全く知らない街を真夜中に歩いて移動するのは非常に長く感じる。
道の途中に地図らしきものが見える度に確認していたので、確かに1時間以上はかかったと思う。

時期は、10月の半ば。
まだまだ九州の秋は暑かった。
その頃の出で立ちだけは、はっきりと憶えている。
ジーンズに黒い半袖のTシャツ。
首にはタオルを巻き、荷物といえば大き目のリュックと、ペラペラの薄いソフトケースに入ったギターだった。

そうそう。
恒例のキャリーケースなんて、まだ転がしていなかったのだ。
それだけ装備が少なかった訳で

・移動するにも要領は悪く
・唄う場所選びの要領も悪く
・着替えが1日分くらい
・そしてハーモニカ~、ポケットに少しの~小銭~♪

という、清清しいほどに天晴れな路地裏の少年っぷりだった。

島原では結局一銭にもならない演奏を終えていたし、カップラーメンを食べて残りが1500円(恐らく)ほど。
十年以上の旅を続けた今となっては、そんな軽装備で見知らぬ土地へ出発なんて恐ろしくて出来ないだろう。
いや、島原では夜の街で稼げないと諦めての移動だったので仕方はなかった。
それにしても、経験が増えるというのは僕の場合、逆に自分を臆病にしてしまう様だ。
恋に破れた乙女か、まったく。


雨がパラついたりと雲行きの怪しい港の朝だったけれど、船が進むに連れて晴れ間も見えてきた。
ウトウトする間もなく、1時間ほどで熊本港のターミナルに着く。
船旅は北海道に続いて2回目という事もあり、港にありがちな閑散とした風景にも不安はなかった。
火の国・熊本である。唄える場所はきっとある。
とりあえずの気がかりは、市街地までの移動手段だった。

熊本駅まで行けば何とかなるだろうと思ったので、港で確認するとバスがあった。
ただ、やけに遠くて高かったらどうしようかとも思った。
どこかで聞けば教えてくれるだろうが、明らかに足りない場合の落胆が嫌だったので、何も言わずに乗った。
初乗りからじっと運賃表を睨み、足りなくなりそうだったらいつでもピンポンを押せるように構えていた。
が、次第に上がり始める料金に心でストップをかけているうちに

「次は熊本駅~」

とアナウンスが流れ、結局は400円くらいで乗れた




のだと、思う(笑)。

捏造ではないのだが、どうしても思い出せない。
熊本駅を基本にしたのは間違いないし、そこまでのルートは限られている。
地図で見るところ、熊本港から熊本駅までは10キロ以上ある。
この根性なしが、徒歩で歩いたはずがない。
手持ちの減り方から考察するに、400円ほどでバスに乗ったと考えるのが妥当だ。


とにかく、歩いたのは熊本駅からだった。これだけは流した汗と共に憶えている。

これまた昨夜の島原と同じ2キロほどの距離だった訳だが、今回は真昼間。
市電の走る熊本市ではあるものの、まだまだ夜までは時間もあり、もう出費はしたくない。
駅前地図を見る限り、どうやら白川(この川には本当に思い入れがある)という川沿いに歩いて行けば市街地のようだ。


僕は、ひたすら川沿いを歩いた。
阿蘇山と熊本城を見るだけの修学旅行生だった僕にとって、どこを歩いても初めての景色ばかりだ。

時刻は正午に近く、すぐに汗まみれになった。

何を見ても知らない。

どこを見ても分からない。

知らない町の名前が、知らない川沿いに流れてゆく。

何度も何度も立ち止まり、肩の荷物を道端に投げて、タオルで汗を拭った。

不安は、なかった。

ただただ、どこまでも旅を続けていたかった。

空は、ゆっくりと曇り始める。


駅前の地図で目印にと覚えておいた路面電車の走る道が左手に見えたので、そこからは軌道敷に沿って歩いた。そこが道のりの半分だ。

だけど、殺風景な川原の道から開放されたせいもあり、そこから先は早かった。
古風なビル街を抜けると、大きな公園が見えた。
観光客用の案内板に 『熊本城』 の文字も見え始めたので、後は気の向くままに歩き始めた僕だったが、数分後には市街地の勢いに圧倒されていた。

気が付けば、大阪や福岡のど真ん中に来たような雑踏に晒されている。

熊本、実は賑やかだったのだ。

慣れ親しんだ百万都市の広島より、人が多い気がする。
静かな城下町だなんて思い込んでいたのは、なぜだろう。
ああ。
子供の頃、毎年のようにお袋が里帰りしてた天草が仮にも熊本県だったから

熊本=静か 

なんてイメージを勝手に作っていたのだろうか。
それとも修学旅行二日目の島原で武家屋敷の通りを見て、記憶がすり替わっていたかも知れない。全国の小中学校は、修学旅行の行き先を1箇所に絞った方が良い。

という事で、許して熊本。
PARCOもあるのに。


そ~んな感じで、旅唄い初心者の手塚幸が辿り着いた大都会・熊本(言い過ぎかな)。
次回からは、少しずつ重いエピソードも出たりして。

という訳で、続く。


Googleマイマップ「西高東低~南高北低」
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(白川沿い)