小樽、札幌は何回も訪れていたけれど、函館は初めてだった。
理由は、やはり移動手段の偏りか。
一気に動いて一気に戻る、という船旅に慣れてしまい、ついついスッ飛ばしていた函館だ。
慣れというのは安心感でもあり、新しい事にチャレンジする気持ちを忘れると、それはたちまち慢心と臆病に変わる。
昨夜の八雲で、臆病を振り払った僕。
何もないと感じた所から、偶然を自力で掴み取ったという自信は大きかった。
「今なら何でも出来る」 という万能感に支配されるのは良くないけれど、未知のものに立ち向かう時に、モチベーションは大事だ([ひ]~ちゃん関係者談)。
さてさて。
無人駅のトイレのヒーターでモチベーションをギリギリ保った僕は、乗客のそう多くない始発で函館へ南下した。
通学の学生や出勤の方々に混じると、すぐに場の空気を変えてしまう大荷物の旅唄い。
天気はすこぶる良く、またしても函館本線の心地よい魔物に捕らえられてしまい、一睡もしてないので、ウトウトがスヤスヤに変わる。
しかし、それを許さないうちに列車は終点の函館に着いた。
函館駅は、視野の開けた東側の国道と、海に挟まれていた。
残念ながら大きな改装工事でも行っている様子で、全体像が分からなかった。
ただ、歴史、とまでは重厚さを感じないが、どこか発展に取り残された駅前商店街と路面電車の停留所の佇まいが、懐かしさに似た気持ちを呼び起こす。
港町。きっと、好きな町だろう。
駅を北へ上がっていけば、連絡線の消えた今もなお青函を結ぶフェリーの往来する函館港がある。明日はきっと、お世話になる。
とはいえ、まずは今日の事。とにかく、どこかで身体を休ませたかった。
夜と違ってうららかな陽気の函館だったが、右も左も分からない町で、適当に休みながら(眠りながら)時間を潰す方法が見当たらない。
なので、例によって公衆電話のタウンページ。
いつもの如く、飲み屋街を探す。
嬉しい事に、スナックの欄はズラリと番号が並んでいた。
珍しくメモを取ったのは、あまりの眠さに記憶力が低下している事を自覚していたからだ。
そしてもうひとつ、明日から本州に南下するための予備知識を得るため、手っ取り早くネットカフェを探した。6年以上経った今となっては、町名も忘れた。たぶん、花、という字が入った町名だった。
駅前の大きな地図で、飲み屋街と思しき地名をいくつか確認する。
有名な五稜郭から、そう遠くない位置にありそうだ。
恐らく、夜にテクテク歩いていたらすぐに分かりそうだった。なので、こっちは後回し。
次に、ネットカフェ。
こちらはずいぶん、遠くなりそうだ。
路面電車に乗るか。
結局、知らない町で知らない路面電車に乗るくらいなら歩いてみようと思い立ち、僕は市電に沿ってしばらく進んだ。
歩いて、見る。それが旅の基本だろう。
『どつく前』 という行き先の市電が否応なく気になったが、どうも行き先が違う。
どつく前は、たぶん函館ドック前。
駅前にまず見えるのは、松風町の大門商店街。
なんと大門!(※津市 参照)。
それこそ、開拓移民の時代から商業を営んでそうな店舗が軒を連ねる、時代を切り取った様な商店街だった。
松風町って、すごく素敵な名前。
通りの向こうにサウナの文字を発見したので、これは、と思いちょっと覗いてみた。
が、どうにも営業してるっぽくない・・・。
調べ物もあるしさ、という大義名分でごまかし、僕は遠くネットカフェへの道のりへ舞い戻る。
翌朝に歩いたら、実はしっかり営業していたサウナ。
「くそっ。明日の青森よりも目の前の事をもっと調べてりゃ良かった」
と後悔したのは、ネットカフェまでの道のりが恐ろしく長かったからだ。
住宅地をすり抜けたネットカフェに汗だくで辿り着いたのは、90分後。
このブログを書きながら調べてみたが・・・僕が探し当てたネットカフェは、恐らく花園町の自○空間というネットカフェ。
五稜郭まででも3キロ近くあるのに、そこから更に倍ほど歩いた産業道路沿いの、地図で確認するところのラサール高校が見える辺りなのだ。
そうだ。なんか学校が見えたのを覚えてる。
「週明けの産業道路に荷物を投げて~」
と唄ってるのは、僕の『ささやかな渋滞』だが、たぶんその歌詞の元になったのは、ここか熊本だ。
ダラダラに汗をかいて
「これで店内に入ったら、さすがに嫌がられるよな」
と思い、汗が引くまで道端で座り込んでいたのだ。
コンビニで缶ビールを買ってヘラヘラしてたら、道行く車の窓から不思議なほどにジロジロと見られた。
いやあ。思い出した思い出した。
調べてみるもんだ。
さあさあ。
ネットカフェには無事に入ったものの、歩き疲れて缶ビールなんて飲んだヤツが調べ物などするはずもなく、よく寝て気がついたら終了時間。
また、あの道を歩くのか。トホホ。
それでも体力は回復したので、まだまだ明るい空の下、今度は繁華街を探す。
五稜郭公園の緑が眩しい。
さすがは観光地なので、あちこちに目印や案内図があって便利だ。
それを見ながらテクテク歩く函館。迷いようもない。
と思ったのに、なぜか目的地とズレてゆく雰囲気。
函館の道。
どこか違うと思っていたら、放射状、同心円状の道が多いのだ。
同じく北海道の札幌や、京都の町ならば、碁盤の目の様に道が交差する。
真っ直ぐ歩いて真っ直ぐ曲がれば、脳内地図は位置を誤る事がない。
しかし、微妙に曲がり行く1本道を頼りにすると、いつの間にか目的地から離れてゆくのだ。
そりゃ、どこの町でも一緒なんだろうけど
曲がってるのに曲がってる感じがしない
というのが、函館の罠だった。
すでに駅前サウナの罠に引っかかっている事を、この時点では知らない旅唄い。
目的地付近である五稜郭公園入り口の十字街には、到着した。
午後の4時過ぎくらいだったろう。
北海道で有名な丸井今井デパート付近は、やはり賑やかだ。
放課後の学生や、ショッピングの女性、まだまだビジネスの方も多く歩いている。
それでも1本裏手に入っただけで急にひっそりとした道が現れるのが面白い。
散策が楽しい街。
今夜、僕が唄おうと思っているのは、五稜郭公園前電停からひとつ手前、中央病院前電停の裏道だ。
裏道とはいうが、僕が唄うからにはメインストリート。紛う事なき夜の王道。
昨日の失態を避けるため、今日ばかりは明るいうちに歩いてみたが、良い通りじゃないかと思う。
車1台しか通らない感じが、米子の朝日町通りを髣髴とさせる。
名前も知らないその通りにネオンが灯るのを、僕は待った。
陽が落ちた。
昨日、八雲で固めた決意だが、さすがに緊張してくる。
良い通りだとは思ったが、すんなり唄わせてくれるとは思わない。
さっき通った地下道からはギターと歌声が流れていたので、函館に路上シーンがない訳じゃない。
デパートの前で唄ってるのも、遠くから見えた。
だからといって、飲み屋街での演奏が「あり」なのか「無し」なのか、それは出たとこ勝負だ。
僕は、遠くに地下道の演奏を聞きながら、表通りのガードレールに腰掛けて、ウイスキーをあおっては時間を待った。
今からまさに飲みに行くぞ、という団体が、数多く通り過ぎて行く。
そのうちの3割ほどが、だんだんと僕の唄う通りへと流れ始めた。
頃合いだろうか。
と思った矢先
「お、ストリートミュージシャンか」
とは、通りがかりの団体さんからの声。
「ええ。旅しながら唄ってるんですけど、今夜は函館でお世話になります」
そう僕が返すと、珍しく興味津々に質問してくる真っ赤な顔の男性。
「おお、そうか。函館はミュージシャン多いからな。地下か? 向こうか? 後で聴きに行ってやっから」
そう言って本当に来てくれる人は数少ないが、悪い気はしない。
なので僕は
「いえ。そっちの、裏の飲み屋街で唄おうと思ってるんですが」
と、答えた。
すると途端に男性は
「そりゃあ、やめた方がいい!!」
と、半分笑いながら驚いた。
これには僕も驚き、やっぱ危険地帯なんかなあ、米子もヤクザ多かったしなあ、と躊躇し始めた。
「やっぱ、まずいですか?」 と尋ねれば
「う~ん。向こうで皆と唄えば?」と答える。
見知らぬ街への緊張感には、八雲でもらった元気も空気が抜けていく様だ。
しかし、今夜はやらねば。
漁師のお母さんにきちんと唄えなかった心残りは、ここでしっかりと唄う事でしか果たせない。
僕は、半笑いの男性に、もう一度だけ食い下がった。
「好きな感じの通りなんですがねえ。危ないんですか」
男性は、やっぱり同じ様に笑いながら答える。
「そりゃ、よっぽど上手いなら別だけど」
そうか・・・。
なんだ いいじゃん ( ´,_ゝ`)オイオイ
「まあ、頑張って」
と去って行く男性に頭を下げ、僕はギターケースを抱えた。
ちょっと酒が足りないのが心配だが、唄いに行こう。
すぐにビールが来た(爆)。
裏通りの、更に裏路地へ入りそうな店舗の横で座り込んだ僕にグラスのビールを持って来てくれたのは、3軒ほど隣のお店。
お礼を言って、帰りにグラスを返しがてら寄る事にした。
その後も、思ったより数多くの人が立ち止まってくれた。
聴いてくださった地元の方に尋ねてみると、数年前までは、唄ってる人がいたらしい。
すごい上手かったよなあ、と、誰もが噂する。
「すみませんね、そんな場所で唄って」
と、さすがに恐縮したのだが いやいや兄ちゃんぐらい唄える人ならいいよ と言ってくれた。
僕が上手いと思っているのは、半分は歌であっても半分は選曲なのだ。
真正面から 「歌が上手い」 と言われて、どんな歌唄いも嫌な気分になるものか。
そんな良い雰囲気で、かなり長時間に渡って唄えた。
後で店に呼んでもいい? と言ってくれた方がいたが、どうやらタイムアップなので、函館の夜は唄い収めにした。
午前1時半。
荷物をまとめ、ビールを差し入れてくれたお店にグラスを返しに行く。
だいぶ余裕が出来たので、1、2杯飲ませてもらおうかと思う。
コンコン、とドアを開けると、いらっしゃい、と静かな店内。
あれ・・・?
「これ、頂いたんですが・・・違いますよね?」
「ええ、違います(ニッコリと)」
間違えた、隣だった。クラブMARIA
再び、コンコン、とドアを開けると いらっしゃ~い! と賑やかな店内。
ご馳走様でした、とグラスを返すや否や
「ちょっと座って行ってさ~」
と、山本リンダ似の色っぽいママさん。
僕もそのつもりだったので、荷物を置かせてもらい、先にトイレを借りた。
素敵な函館だったが、難を言えばコンビニもなく、トイレをどうしようか悩んでいたのだ。
飲む体制を万全にして、着席。
「アタシ、こういう人好きなのさ~」
と、ビールを注いでくれたママさん。
クラブMARIAの丸いカウンターには、お客さんと女の子たち。
せっかくなのでとリクエストを頂き、唄わせてもらう。
お客さんも若いのに落ち着いた方が多く、すごく真面目に聴いてくれた。
程なく落ち着いて、また飲み始める旅唄い。
ママさんは良い感じに酔ってるがベロベロでもなく、逆に真面目な面持ちで話しかけてきた。
「アンタが良かったら、しばらく店の前で唄ってもらっていいよ~。きちんとイス置いてよ」
本当に嬉しい言葉だ。
路上で唄っている人間なら、その大きさは分かるはずだ。
だけど、僕には自信がない。
お店の名前を背負って唄うというのは、難しい。
とても名誉に思うが、内情は単純じゃなかった。経験は、いくつかあった。
それぞれに色んな思惑があり、ただ唄いたいだけの僕は、いつもその思惑に応えられなかったのだ。
それに僕は、急いでいた。
もっと、日本中を唄い回りたかった。
いや。唄う事はすり替えだったかも知れない。
何か、動き回る事でしか紛らわしきれない気持ちを抱えて、僕は唄う旅を続けていた気がする。
逃げていると呼ばれても仕方がない行為だ。
だけど、ただひとつ。
何かの代替行為として旅を続けていたのだとしても、唄う事そのものは僕に厳しかった。
決して、逃げ込めるような生温い行為ではなかった。
他人と自分とを
言葉と生き様とを
雨と太陽とを
疲れと眠りとを
気温と気圧とを
季節と温もりとを
短くなるタバコの先端を
待つ人のいた時間を
待つ人もなく迎える帰郷を
そのどれもを、決してごまかしてはくれなかった。
それはいつも、僕の喉元に突きつけられていた。
家のないお前は、さあどうする?
最後の小銭も失くしたお前は、さあどうする?
誰も見向きもしない事を、さあどうする?
唄う事は、いつも現実を突きつけてくれた。
そういう意味で僕の 『歌そのものとも言える旅』 は、夢なんかじゃなく現実だった。
函館で、最後のグラスを空ける。
僕は、何度もお礼を述べた。
頑張ってねぇ、とママさん。
お礼のつもりで来たのに、チップをもらって店を出る僕。
また、きっと来ます。
そう言っては、それっきりの函館。
そういう事だ。
そういう事を、僕は平気で覚えている。
一期一会なんて、夢のまた夢。
返しきれない心が、いつまでもいつまでも、日本中に置き去りのままだ。
Googleマイマップ「西高東低~南高北低」
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=117155757855294201939.0004585263f0a10720fca&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&ll=41.849105,140.740356&spn=0.435785,1.060181&z=10&iwloc=00045852d22638630692e
山越駅
珍しく、前回より時系列に沿って話は続く。
要するに、真っ暗闇の海岸沿いを歩いてた黒いカエルさんが、それからどうしたのか。
八雲の隣、山越駅に辿りついたのは午前3時前だったか。
駅より、僕にとっての救いは、広々とした駐車場が併設してあるコンビニを発見した事だった。
どこまで続くか分からない真っ暗闇を歩く旅人は、恐らく誰もが、こうやって文明の灯りに安堵するものだ。
小さな無人の駅舎ひとつでは、やはり深夜に心細い。
一般には馴染みの少ないかもしれない山越を、僕もおさらい気分で説明しよう。
明治36年に開業されたこの駅だが、この段階ではまだ国鉄所有ではなく北海道鉄道である。
当初は「山越内」という駅名で、翌年から「山越」に名称変更された。
ヤムクシナイは、アイヌ語で「栗の樹がある川」の意味。
江戸時代に松前藩が平定したヤムクシナイ場所。
そのうち江戸幕府の直轄領となり、最北端の関所を設けたらしい。
辿りついた晩には暗くて文字も読めず 「なんで関所みたいな門があるんだろう」 と思ったが、その通りに関所だったのだ。
そんな歴史のある山越駅で、朝を待つ事になった旅唄い。
始発は、午前7時を回らないと通らないらしい。
「じゃあ、もう一駅くらい歩けば良いじゃないか」 と他人事なら言えたが、自分事なのでやめた。
もう、カエルさんのライフゲージが、肉体的にも精神的にも少なかったのだ。
まずは朝までどうしようかと、真っ暗な無人の駅舎に向かって引き戸に手を掛けたら、スッと開いた。
ラッキーといわんばかりに、即座に荷物を隅に置く旅唄い。
気分的には、カエルさん・1UPだ。
ところが、試しにうずくまってみたものの、暖は取れない事も判明。
そこで、コンビニ登場。
こんな山奥で荷物も取られるものかと、タッタカターとコンビニに向かう。
が 『時間つぶしに延々と立ち読み』 なんてマネの出来ない小心者の自分を思い出し、トイレを借りて暖かいコーヒーだけ購入して、駅舎に戻った。
ああ暖かいな~、と感じたのも束の間の錯覚。
夏の終わりの出発のために衣類の手持ちが少なかったので、総出で対応しても寒さが押し寄せる。
これは、朝までなんか持たない。
変に水分なんて補給したら、トイレが近くなるだけだった。
カエルさん、再びライフ減。
よって、トイレはあるかな~と探してみたら、キレイなトイレがあるある。まあ、無人とはいえ駅だし。
しかし、体内の水分を放出すると体温もそれだけ持っていかれる。
駅舎とトイレを往復する事3回目、僕はひとつの違和感に気付いた。
普通だったら手洗いのすぐ横にあるはずの、あのガーッと温風で手を乾かすヤツが、壁の妙な場所に、しかも半端な高さで設置してある。
なぜ? と思い、そっと覗いてみると
ヒーターだった。
北海道! 恐るべし!!
これって電源入るのかな、と思いながらも勝手にスイッチオンすると
ジワ~
点いた点いた~!!
その後は、腰の高さ辺りに設置されたヒーターで、裏表まんべんなく温めながら朝を待ったのだ。
カエルなのに、干物状態。
以上で、山越の夜は終了(笑)。
せっかくなんで、次回はこのまま函館編に続こうと思います。
写真参照 wikipediaより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:JR_Hokkaido_Yamakoshi_Station.jpg
Googleマイマップ「西高東低~南高北低」
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=117155757855294201939.0004585263f0a10720fca&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&ll=42.250631,140.326653&spn=0.056163,0.140419&z=13
要するに、真っ暗闇の海岸沿いを歩いてた黒いカエルさんが、それからどうしたのか。
八雲の隣、山越駅に辿りついたのは午前3時前だったか。
駅より、僕にとっての救いは、広々とした駐車場が併設してあるコンビニを発見した事だった。
どこまで続くか分からない真っ暗闇を歩く旅人は、恐らく誰もが、こうやって文明の灯りに安堵するものだ。
小さな無人の駅舎ひとつでは、やはり深夜に心細い。
一般には馴染みの少ないかもしれない山越を、僕もおさらい気分で説明しよう。
明治36年に開業されたこの駅だが、この段階ではまだ国鉄所有ではなく北海道鉄道である。
当初は「山越内」という駅名で、翌年から「山越」に名称変更された。
ヤムクシナイは、アイヌ語で「栗の樹がある川」の意味。
江戸時代に松前藩が平定したヤムクシナイ場所。
そのうち江戸幕府の直轄領となり、最北端の関所を設けたらしい。
辿りついた晩には暗くて文字も読めず 「なんで関所みたいな門があるんだろう」 と思ったが、その通りに関所だったのだ。
そんな歴史のある山越駅で、朝を待つ事になった旅唄い。
始発は、午前7時を回らないと通らないらしい。
「じゃあ、もう一駅くらい歩けば良いじゃないか」 と他人事なら言えたが、自分事なのでやめた。
もう、カエルさんのライフゲージが、肉体的にも精神的にも少なかったのだ。
まずは朝までどうしようかと、真っ暗な無人の駅舎に向かって引き戸に手を掛けたら、スッと開いた。
ラッキーといわんばかりに、即座に荷物を隅に置く旅唄い。
気分的には、カエルさん・1UPだ。
ところが、試しにうずくまってみたものの、暖は取れない事も判明。
そこで、コンビニ登場。
こんな山奥で荷物も取られるものかと、タッタカターとコンビニに向かう。
が 『時間つぶしに延々と立ち読み』 なんてマネの出来ない小心者の自分を思い出し、トイレを借りて暖かいコーヒーだけ購入して、駅舎に戻った。
ああ暖かいな~、と感じたのも束の間の錯覚。
夏の終わりの出発のために衣類の手持ちが少なかったので、総出で対応しても寒さが押し寄せる。
これは、朝までなんか持たない。
変に水分なんて補給したら、トイレが近くなるだけだった。
カエルさん、再びライフ減。
よって、トイレはあるかな~と探してみたら、キレイなトイレがあるある。まあ、無人とはいえ駅だし。
しかし、体内の水分を放出すると体温もそれだけ持っていかれる。
駅舎とトイレを往復する事3回目、僕はひとつの違和感に気付いた。
普通だったら手洗いのすぐ横にあるはずの、あのガーッと温風で手を乾かすヤツが、壁の妙な場所に、しかも半端な高さで設置してある。
なぜ? と思い、そっと覗いてみると
ヒーターだった。
北海道! 恐るべし!!
これって電源入るのかな、と思いながらも勝手にスイッチオンすると
ジワ~
点いた点いた~!!
その後は、腰の高さ辺りに設置されたヒーターで、裏表まんべんなく温めながら朝を待ったのだ。
カエルなのに、干物状態。
以上で、山越の夜は終了(笑)。
せっかくなんで、次回はこのまま函館編に続こうと思います。
写真参照 wikipediaより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:JR_Hokkaido_Yamakoshi_Station.jpg
Googleマイマップ「西高東低~南高北低」
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=117155757855294201939.0004585263f0a10720fca&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&ll=42.250631,140.326653&spn=0.056163,0.140419&z=13
八雲 その2
八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を
これは、スサノオノミコトが詠んだ日本最古の和歌と言われる。
北海道の八雲は、どういう経路か知らないのだが、開拓指導者の徳川慶勝により、その歌に因んで命名されたらしい。
八雲立つ、といえば出雲の枕詞。
出雲で調子の良かった旅唄いだが、果たして、遠い蝦夷地でも神様の導きはあるのか。
という事で、八雲編の後半をどうぞ。
袋小路の入り口は、道幅で5メートルくらいだった。
そんな狭い道。シャッターの下りた店の玄関先でギターケースを開いて座っている僕は、通りがかる人にかなりのプレッシャーを与えたろう。
だけど、その不自然さにプレッシャーを感じるのはこちらも同じ。
例えば、こういう時にいちばん困るのが
「何してるの?」
と純粋に尋ねられる事だ。
だが、この時ばかりは、それでも良かった。
誰か声でも掛けてくれた方が気が楽だった。
反応はといえば、未だカーテン越しの影と
「よ~いよい♪」
と笑いながら通り過ぎたオッチャンだけだ。
ああ! 早く誰か酔っ払い来て!(ストリートミュージシャンには稀有な台詞)
気落ちして歌が止まってしまうと、自分の中の何かが切れてしまいそうだった。
いつもなら一晩に同じ歌を何度も唄うなんて、リクエストじゃない限りやらないんだけど、不本意な昭和ヒットメドレーを繰り返した。
なるべく絡みやすい歌を唄い続けた方が得策と判断した。
手塚幸ファンなら 「どうしたんですか」 と驚くほどのバーゲンセールだ。
バーゲンの甲斐があったのか、右手の車道に車がゆるゆると止まって助手席の窓がウイ~ンと開いた。
中から、女性がにこやかに微笑みかける。
僕も歌の途中だったがチャンスは逃さず、演奏を続けながら微笑み返しを送った。
すると
「そこ、通れますか~?」
車が、入りきれなかったらしい・・・。
すみませんでした~、とわざわざ謝ってくれるお姉さんが、非常に申し訳なかった。
ようやくの好反応とはならなかったが、それでも少し安心する。
袋小路の関係者が、嫌な顔をするでもなかったからだ。
ここで演奏なんて恐らく誰も思い浮かばない反則技的な場所だったにも関わらず、八雲の人は心が広い様だ。
さすがは北海道、開拓民の血か。
唄い出して1時間以上。
普段なら、そろそろ何か反応がないと不安になる時間だった。
そして、実際に不安はあった。
けれど場所が場所だけに、これは仕方ない。
いつも思う様に、唄えるだけマシだとしよう。
飲み屋街としては、人通りも明らかにない。
飲み屋街というか、ここはささやかな飲み屋ブロックなのだから。
人は、少ないが通り続けている。
僕はいつもの小休止を少なくして、なるべく唄い続けていた。
さすがにネタが尽きてきたので(本当は大量にあるのだが、気分の問題)唄い慣れた曲にスライドして、マイペースに切り替えた。
パチンコ屋のネオンもまだ消えてないし大丈夫だ、なんて考えながら唄っていた時だ。
何やら風呂敷包みを抱えたお母さんが、慌しく横切って行った。
普通のお母さん、といった出で立ちだったが、どこかのお店の関係者の様にも思える。
通り慣れた道に、まさか得体の知れないギター弾きが座っているとも思わず驚いたのだろう。
お母さんは、あら、と小声で振り返っていたが、それでも笑顔に見えた。
僕も会釈を返したが、もうお母さんは角を曲がっていた。
用事を終えたのか、さっきのお母さんが戻ってきたのは10分後だったか。
ニコニコと、また駆け足で通り過ぎた。
通り過ぎたと思ったが、違った。目の前に立ち止まってくれた。
「お兄さん、なんかスゴイね~! アタシ、そこのお店で飲んでるから、おいで! ジュースでも奢るからさ!」
人の好い笑顔が印象的なお母さん(推定47歳)は、そう言うと 「そこの奥だから~」 と、再び袋小路の闇へ消えた。
あまりにも不意打ちだったので珍しく戸惑っていた僕だったが、現状打破の機会を逃す訳もなく、急いで荷物をまとめた。
せっかくだからジュースじゃなくてビールを貰おうなんて、不届きな事を念頭に置いていた。
支度の遅い(荷物の多い)僕を心配してくれたのか、再び戻ってきたお母さんに案内されて、お店に入った。入って、驚いた。
小さなスナックか居酒屋さんかと思っていたら
広々としたホールと長いカウンターがあり
なんと特筆すべきはギターやらベースやらドラムセットの置かれたステージがあった。
「ここはねえ、昔はダンスホールだったのさ」
カウンターに案内された僕は、北海道独特のアクセントでお母さんの説明を受けていた。
なるほど、全盛期が偲ばれるといった雰囲気で、ホール中央には不規則にテーブルが並び、数名のお客さんが飲んでいる。男性も女性もお客さんの様で、皆ラフにくつろいでいた。
僕が店内をしげしげと見回していると、上品なママさんがおしぼりを持ってきてくれたので、恐縮しながらも、とりあえず生ビール(恐縮してない)をもらった。
「いやあ。こんな人、珍しいからさあ」
そう言って笑うお母さんとグラスを合わせて、まずはお礼を言った。
お母さんは良い飲みっぷりで
「外なんかじゃなくて、ここで唄っていけばいいよ~
ほら、こっちの方がチップも入るからさ~」
と、僕の肩をバンバン叩きながら話す。
豪快ながら、なんて鋭い所を突いてくれんだろう。
助かります、と照れながらも、心でガッツポーズをする旅唄い。
しばらく色々と話をさせてもらい、僕のビールは2杯目になった。
聞けば、ずいぶん古くからやってるお店で、ゴールデンカップスのメンバーも演奏に来たらしい。
マスターもかなり音楽好きらしいが、今は飲みに出かけていると聞いた。
こういうお店のマスターって、そういう人が多い気がする。
「そろそろ、ステージで唄ったら?」
とママに促されたので、緊張の面持ちで準備に入った。
横目で見ると、ホールのお客さんも期待している様子だ。
そこで更に緊張する旅唄い。
おっとりと上品だけれどやけに手際よくマイクセッティングするママさんに感嘆しながら、僕はたどたどしい挨拶で唄い始めた。
まだまだ完成されたオリジナルも少ない頃で、そうでなくても初めての場なので、カバー曲を中心に唄ったと思う。
それが良かったのか、偶然に居合わせただけのお客さんも、かなり真剣に聴いてくれた。
少しだけ、リクエストにも応えさせてもらった。
悔しい事なのだが、今となっては、お店の名前も、お母さんの名前さえ失念してしまっている。
それでもチップを頂いた事だけは忘れていないのが、なんてイヤらしいんだろう。
何せ、路上で唄い出せはしたものの、実は今夜中に投げ銭が入る自信がなかったのだ。
明日は駅前で昼に唄おうかとも考えていたところに救いのお呼びがかかり、安心感と緊張感が複雑に絡んでいた。
何とか喜んでもらったが、残念な事にお母さんは
「アタシは明日が早いから」
と、途中で帰られた。
お母さんは漁師で、夜中の2時に起きるという。
海の女の優しさと豪快さに、心から感謝した。
「まだ飲んでていいからね」
と言ってくれたお母さんとお店に甘え、僕はしばらくカウンターで飲んだり、演奏させてもらったりを続けた。
そのうち
すごい勢いで酔っ払って入店してきたファンキーなオジサンが実はマスターで
今日は旅のミュージシャンの方が来てるのよ、というママの説明も聞いたか聞かずか
おうおう!! と僕の演奏にノリノリで握手してくれた。
こういうお店のマスターって、そういう人が多い気がする・・・。
結局、0時くらいだったろうか。
お店の閉店に合わせ、僕も荷物をまとめた。
頂いたチップは、函館まで十二分に足りる。
「明日は、函館に行こうと思います」
ママさんには笑顔で挨拶をした僕だったが、実際はまだまだ不安があった。
僕が閉店まで甘えたのは、今夜の行き場を考えていないからだ。
なるべく遅くまで時間を費やしたかった。
本来なら、あまり長居せず、ある程度でお店を出ればよかったのだろう。
申し訳なかった。
外に出ると、八雲の町は眠り始めていた。
酒で熱くなった顔に、冷たい風が気持ちよかった。
だけど僕は知っていた。この心地良さは、あっという間に命取りだ。
まだ9月の末とはいえ、野宿の準備などない僕には堪えるはずだ。
僕は国道5号線に向かって歩いた。
夜の間は眠らない事に決めたからだ。
せっかくなら1駅ぐらい歩いてやれと、僕は星を頼りに方角を決めて歩き出した。
冗談ではなく、カシオペアを見て方角を確かめた。
この行き当たりばったりな決断もまた、途中で後悔に変わる。
案の定、一気に冷えが来た。
コンビニで飲み物を買った後、カバンの中の長袖シャツを出して重ね着した。
この時点では知らないのだが、僕が向かっているのは八雲から1駅の山越(やまこし)という駅だ。
距離で、ほんの4キロ程だ。大した距離でもない。
なのに、2時間もかかった。
その頃、僕の荷物は短期旅行用の車輪の華奢なキャリーバッグで、ギターケースは背負うタイプではなかった。こいつが結構、腕に負担なのだ。
その状態で、そのうち現れる舗装もそこそこな道路を歩くと予想以上に疲れるのだが、路面よりも道そのものが大問題だった。
やがて、歩道が消えるのだ。
コンビニにパチンコ屋、ビデオ屋っぽい灯りを背中に南へ歩く事、20分ほど。
次第に街灯が少なくなり、真っ暗な民家の影だけが右手にある。
更にいうと、南下する僕の左手は海で、思いっきり海岸線になっていた。
大型のトラックや乗用車が結構な速度で走る道だったので、僕は用心深く歩いた。
こんな時間に歩道を歩く人間は誰もおらず、僕は歩いてくる中、どっかの駐車場でカップルを1組見ただけだ。歩道では自転車さえ通らなかった。実に、駅前から20分の距離で。
ただでさえ歩行者なんかいそうもない道を、僕ときたら真っ黒な服に真っ黒なギターケースで、ご丁寧にキャリーバッグまで真っ黒だった。
反射素材は何もなく、轢いてくださいといわんばかりだ。
なるべくガードレールのある側を歩き、ガードレールさえなくなると、歩道と思しき幅のある方を選んで歩いた。
右へ左へと安全な道を探すのだが、その間も信号のない国道をビュンビュンと走り去るトラック。
これは、たまったものじゃない。
大昔の携帯ゲームに
車が左右から走って来る道路を カエルを操って 轢かれない様に渡る
というのがあったが、まさしくそれだった。
しかも、僕はゲームの様に3匹もいない。
それでもだ。
それでも1時間ほど気をつけながら歩いていると、今度は街灯さえなくなった・・・。
落ち着け! 落ち着け! 暗闇に目を慣らせ!
そう言い聞かせて煙草でも吹かしていると、確かに目は慣れた。
慣れたが、道行く車の知った事ではない。
ドライバーは人影など見えない国道を
まさか真っ黒なカエルが右に左に横切ってるなんて思ってくれない。
ひたすら耳を澄まして目を凝らし、僕は神経を尖らせるしかなかった。
冷や冷やモノで、カメの歩みだ。カエルでカメって、どんな生き物だ。
やがて、最大の難関がやってきた。
進行方向へ向かって、ゆるやかな右カーブ。
僕は、海岸線の逆を歩いていた。なんとか時折、自販機などがあって安全だったからだ。
しかし、どう見てもある一点で歩道が消えている。ガードレールが、終わりを告げている。
そのまま車道の端を歩いたりしてると、前方からの車に対して死角になるので
かなりの確率で、カエルさんサヨウナラだ (。-人-。)チーン…
どうしよう。
反対側って、海だよな。
さっきから 「ドドドドドド・・・」 って聞こえるもんな。
海鳴りだよな。
ジョジョじゃないよな。
そして不安げに目を凝らす左前方。
ガードレールはあるけど・・・
歩道、なし(´,_ゝ`)プププ
ノォ~~~~~っっ!!
これは、いくらなんでも歩けないだろう。
考え込んでいるうちに、前方からヘッドライトらしき灯りが見えた。
見えたと思ったら、グゥゥゥウォ~~~~!! と一瞬でトラックが走り抜けた。
右側を歩いた場合のシミュレーション上、まず1匹目のカエルさんが死んだ。
こうなったら、歩道はないがガードレールのある海側を歩こう。
また耳を澄まして目を凝らし、僕は海側に渡って歩みを再開した。
ガードレールが道標にはなっているものの、高さで二十メートルくらいはある断崖だ。
踏み外せば2匹目のカエルさんも無事ではすまない。
車、来ませんように・・・。
そうこうして怯えながら歩く事、5分。
街灯は皆無に等しく、右手にまばらにあったはずの民家の灯りもない。
車も、なぜかピタリと通らなくなった。
こうなると、いちばん明るいのは空だった。見た事もない満天の星空だ。
僕は今まさに星明りで歩いているのだと、妙な感動が胸に沸き起こっていた。
不思議な感慨に、つい立ち止まってしまう。
断崖の下、相変わらず低い音で海鳴りが響いている。
その音は、天空から聞こえてくる様にも思える。
見上げれば星は数え切れないほど、星座盤みたいだ。
水平線の下に、漁船の灯りもチラホラ見えた。
あのお母さんも、そろそろ海に出る時間なのかなあと思い出す。
今日1日を、思い出す。
呑気に酒でも飲みながら列車に揺られた昼間。
唄う場所が見つからないと決め付けて焦り始めた夕方。
開き直って唄い始めた八雲の道端。
今、こうして真っ暗な海沿いの国道を歩いている僕は、一体、何の集大成なんだろう。
失敗や成功はあったろうか。
反省材料はいくつもあったが、どこにも失敗などなかった気もする。
失敗した訳でもないのに、一時はかなりへこんだものだ。
なんて、馬鹿らしいんだろう。
星明りで歩く道のりの険しさを知ったけれど、それもまた僕だけの小さな体験だ。
浮かれてみたり、勝手にへこんだり、誰かのお陰で持ち直してみたり、そんな繰り返しの旅。
いつか、それらは何かになるのだろうか。
もう一度、満天の星空を眺め、何らかの答えをねだる様に僕は大きく息を吸い込んだ。
薄っすらと雲の帯が棚引いて、星々に照らされている。
快晴の様にも見えていたが、雲が出てるんだな。そう思った僕だったが、全くの見当違いだった。
雲に見えていた空の帯は、なんと天の川だった。
星明りに照らされているのではなく、それこそが星の集まりだったのだ。
天の川がこんなにはっきりと見えるなんて生まれて初めてだったので、気が付かなかった。
しばしの感動の後、訳の分からない涙が溢れて止まらなかった。
いや、訳はあったろう。
それこそ幾千億という星の集まりで輝いて見える天の川が、その姿の通り、僕のちっぽけで小さな小さな後悔や経験さえ積み重ねる事でひとつの答えを導けるだろうよと、暗に囁いている気がしたのだ。
明日の函館もまた、知らない町だ。不安はある。
けれど、僕には唄い出す事でしか前に進む方法がない。
唄った結果の対価でしか、生きる希望も実力も手には入らない。
明日は、躊躇せずに唄い出そう。
涙は止まらなかったけれど、僕は歩き出した。
止まらないままに歩き出した瞬間、背面から轟音と共にトラックが追い抜いて行った。
そこで、僕は一気に青ざめた。
猛スピードのトラックのせいじゃない。
あと2、3歩で、道が終わっていたからだ・・・。
実は、立ち尽くしていた所でガードレールは終わり、道の先に茂る雑草の向こうは断崖絶壁だった。
ヘッドライトが照らしてくれたお陰で見えたのだが、ウルウル涙混じりに歩いていたら3匹目のカエルさんも、どうなっていた事やらである。
函館本線八雲駅から南へ1つの山越駅に到着したのは、それから30分ほどだった。
そこでも僕は寒さのために窮地に陥る訳だが、それはまた、次の機会に話そう。
※なお、今回よりコメントの書き込みに、アカウント入力を省略してみました。
設定方法が分かってなかったんです。。。
初コメント歓迎ですので、お試しがてら、よろしくお願いします。
コメント記入者の欄で『名前:URL』を選択してください。
URLは、未入力でもOKです。
携帯からのコメントは・・・どうなのか分かりません。
ちなみに下の写真は、まったく逆方向の積丹半島・島武意海岸でのものw
Googleマイマップ「西高東低~南高北低」
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=117155757855294201939.0004585263f0a10720fca&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&ll=42.255654,140.272483&spn=0.001755,0.004436&z=18
これは、スサノオノミコトが詠んだ日本最古の和歌と言われる。
北海道の八雲は、どういう経路か知らないのだが、開拓指導者の徳川慶勝により、その歌に因んで命名されたらしい。
八雲立つ、といえば出雲の枕詞。
出雲で調子の良かった旅唄いだが、果たして、遠い蝦夷地でも神様の導きはあるのか。
という事で、八雲編の後半をどうぞ。
袋小路の入り口は、道幅で5メートルくらいだった。
そんな狭い道。シャッターの下りた店の玄関先でギターケースを開いて座っている僕は、通りがかる人にかなりのプレッシャーを与えたろう。
だけど、その不自然さにプレッシャーを感じるのはこちらも同じ。
例えば、こういう時にいちばん困るのが
「何してるの?」
と純粋に尋ねられる事だ。
だが、この時ばかりは、それでも良かった。
誰か声でも掛けてくれた方が気が楽だった。
反応はといえば、未だカーテン越しの影と
「よ~いよい♪」
と笑いながら通り過ぎたオッチャンだけだ。
ああ! 早く誰か酔っ払い来て!(ストリートミュージシャンには稀有な台詞)
気落ちして歌が止まってしまうと、自分の中の何かが切れてしまいそうだった。
いつもなら一晩に同じ歌を何度も唄うなんて、リクエストじゃない限りやらないんだけど、不本意な昭和ヒットメドレーを繰り返した。
なるべく絡みやすい歌を唄い続けた方が得策と判断した。
手塚幸ファンなら 「どうしたんですか」 と驚くほどのバーゲンセールだ。
バーゲンの甲斐があったのか、右手の車道に車がゆるゆると止まって助手席の窓がウイ~ンと開いた。
中から、女性がにこやかに微笑みかける。
僕も歌の途中だったがチャンスは逃さず、演奏を続けながら微笑み返しを送った。
すると
「そこ、通れますか~?」
車が、入りきれなかったらしい・・・。
すみませんでした~、とわざわざ謝ってくれるお姉さんが、非常に申し訳なかった。
ようやくの好反応とはならなかったが、それでも少し安心する。
袋小路の関係者が、嫌な顔をするでもなかったからだ。
ここで演奏なんて恐らく誰も思い浮かばない反則技的な場所だったにも関わらず、八雲の人は心が広い様だ。
さすがは北海道、開拓民の血か。
唄い出して1時間以上。
普段なら、そろそろ何か反応がないと不安になる時間だった。
そして、実際に不安はあった。
けれど場所が場所だけに、これは仕方ない。
いつも思う様に、唄えるだけマシだとしよう。
飲み屋街としては、人通りも明らかにない。
飲み屋街というか、ここはささやかな飲み屋ブロックなのだから。
人は、少ないが通り続けている。
僕はいつもの小休止を少なくして、なるべく唄い続けていた。
さすがにネタが尽きてきたので(本当は大量にあるのだが、気分の問題)唄い慣れた曲にスライドして、マイペースに切り替えた。
パチンコ屋のネオンもまだ消えてないし大丈夫だ、なんて考えながら唄っていた時だ。
何やら風呂敷包みを抱えたお母さんが、慌しく横切って行った。
普通のお母さん、といった出で立ちだったが、どこかのお店の関係者の様にも思える。
通り慣れた道に、まさか得体の知れないギター弾きが座っているとも思わず驚いたのだろう。
お母さんは、あら、と小声で振り返っていたが、それでも笑顔に見えた。
僕も会釈を返したが、もうお母さんは角を曲がっていた。
用事を終えたのか、さっきのお母さんが戻ってきたのは10分後だったか。
ニコニコと、また駆け足で通り過ぎた。
通り過ぎたと思ったが、違った。目の前に立ち止まってくれた。
「お兄さん、なんかスゴイね~! アタシ、そこのお店で飲んでるから、おいで! ジュースでも奢るからさ!」
人の好い笑顔が印象的なお母さん(推定47歳)は、そう言うと 「そこの奥だから~」 と、再び袋小路の闇へ消えた。
あまりにも不意打ちだったので珍しく戸惑っていた僕だったが、現状打破の機会を逃す訳もなく、急いで荷物をまとめた。
せっかくだからジュースじゃなくてビールを貰おうなんて、不届きな事を念頭に置いていた。
支度の遅い(荷物の多い)僕を心配してくれたのか、再び戻ってきたお母さんに案内されて、お店に入った。入って、驚いた。
小さなスナックか居酒屋さんかと思っていたら
広々としたホールと長いカウンターがあり
なんと特筆すべきはギターやらベースやらドラムセットの置かれたステージがあった。
「ここはねえ、昔はダンスホールだったのさ」
カウンターに案内された僕は、北海道独特のアクセントでお母さんの説明を受けていた。
なるほど、全盛期が偲ばれるといった雰囲気で、ホール中央には不規則にテーブルが並び、数名のお客さんが飲んでいる。男性も女性もお客さんの様で、皆ラフにくつろいでいた。
僕が店内をしげしげと見回していると、上品なママさんがおしぼりを持ってきてくれたので、恐縮しながらも、とりあえず生ビール(恐縮してない)をもらった。
「いやあ。こんな人、珍しいからさあ」
そう言って笑うお母さんとグラスを合わせて、まずはお礼を言った。
お母さんは良い飲みっぷりで
「外なんかじゃなくて、ここで唄っていけばいいよ~
ほら、こっちの方がチップも入るからさ~」
と、僕の肩をバンバン叩きながら話す。
豪快ながら、なんて鋭い所を突いてくれんだろう。
助かります、と照れながらも、心でガッツポーズをする旅唄い。
しばらく色々と話をさせてもらい、僕のビールは2杯目になった。
聞けば、ずいぶん古くからやってるお店で、ゴールデンカップスのメンバーも演奏に来たらしい。
マスターもかなり音楽好きらしいが、今は飲みに出かけていると聞いた。
こういうお店のマスターって、そういう人が多い気がする。
「そろそろ、ステージで唄ったら?」
とママに促されたので、緊張の面持ちで準備に入った。
横目で見ると、ホールのお客さんも期待している様子だ。
そこで更に緊張する旅唄い。
おっとりと上品だけれどやけに手際よくマイクセッティングするママさんに感嘆しながら、僕はたどたどしい挨拶で唄い始めた。
まだまだ完成されたオリジナルも少ない頃で、そうでなくても初めての場なので、カバー曲を中心に唄ったと思う。
それが良かったのか、偶然に居合わせただけのお客さんも、かなり真剣に聴いてくれた。
少しだけ、リクエストにも応えさせてもらった。
悔しい事なのだが、今となっては、お店の名前も、お母さんの名前さえ失念してしまっている。
それでもチップを頂いた事だけは忘れていないのが、なんてイヤらしいんだろう。
何せ、路上で唄い出せはしたものの、実は今夜中に投げ銭が入る自信がなかったのだ。
明日は駅前で昼に唄おうかとも考えていたところに救いのお呼びがかかり、安心感と緊張感が複雑に絡んでいた。
何とか喜んでもらったが、残念な事にお母さんは
「アタシは明日が早いから」
と、途中で帰られた。
お母さんは漁師で、夜中の2時に起きるという。
海の女の優しさと豪快さに、心から感謝した。
「まだ飲んでていいからね」
と言ってくれたお母さんとお店に甘え、僕はしばらくカウンターで飲んだり、演奏させてもらったりを続けた。
そのうち
すごい勢いで酔っ払って入店してきたファンキーなオジサンが実はマスターで
今日は旅のミュージシャンの方が来てるのよ、というママの説明も聞いたか聞かずか
おうおう!! と僕の演奏にノリノリで握手してくれた。
こういうお店のマスターって、そういう人が多い気がする・・・。
結局、0時くらいだったろうか。
お店の閉店に合わせ、僕も荷物をまとめた。
頂いたチップは、函館まで十二分に足りる。
「明日は、函館に行こうと思います」
ママさんには笑顔で挨拶をした僕だったが、実際はまだまだ不安があった。
僕が閉店まで甘えたのは、今夜の行き場を考えていないからだ。
なるべく遅くまで時間を費やしたかった。
本来なら、あまり長居せず、ある程度でお店を出ればよかったのだろう。
申し訳なかった。
外に出ると、八雲の町は眠り始めていた。
酒で熱くなった顔に、冷たい風が気持ちよかった。
だけど僕は知っていた。この心地良さは、あっという間に命取りだ。
まだ9月の末とはいえ、野宿の準備などない僕には堪えるはずだ。
僕は国道5号線に向かって歩いた。
夜の間は眠らない事に決めたからだ。
せっかくなら1駅ぐらい歩いてやれと、僕は星を頼りに方角を決めて歩き出した。
冗談ではなく、カシオペアを見て方角を確かめた。
この行き当たりばったりな決断もまた、途中で後悔に変わる。
案の定、一気に冷えが来た。
コンビニで飲み物を買った後、カバンの中の長袖シャツを出して重ね着した。
この時点では知らないのだが、僕が向かっているのは八雲から1駅の山越(やまこし)という駅だ。
距離で、ほんの4キロ程だ。大した距離でもない。
なのに、2時間もかかった。
その頃、僕の荷物は短期旅行用の車輪の華奢なキャリーバッグで、ギターケースは背負うタイプではなかった。こいつが結構、腕に負担なのだ。
その状態で、そのうち現れる舗装もそこそこな道路を歩くと予想以上に疲れるのだが、路面よりも道そのものが大問題だった。
やがて、歩道が消えるのだ。
コンビニにパチンコ屋、ビデオ屋っぽい灯りを背中に南へ歩く事、20分ほど。
次第に街灯が少なくなり、真っ暗な民家の影だけが右手にある。
更にいうと、南下する僕の左手は海で、思いっきり海岸線になっていた。
大型のトラックや乗用車が結構な速度で走る道だったので、僕は用心深く歩いた。
こんな時間に歩道を歩く人間は誰もおらず、僕は歩いてくる中、どっかの駐車場でカップルを1組見ただけだ。歩道では自転車さえ通らなかった。実に、駅前から20分の距離で。
ただでさえ歩行者なんかいそうもない道を、僕ときたら真っ黒な服に真っ黒なギターケースで、ご丁寧にキャリーバッグまで真っ黒だった。
反射素材は何もなく、轢いてくださいといわんばかりだ。
なるべくガードレールのある側を歩き、ガードレールさえなくなると、歩道と思しき幅のある方を選んで歩いた。
右へ左へと安全な道を探すのだが、その間も信号のない国道をビュンビュンと走り去るトラック。
これは、たまったものじゃない。
大昔の携帯ゲームに
車が左右から走って来る道路を カエルを操って 轢かれない様に渡る
というのがあったが、まさしくそれだった。
しかも、僕はゲームの様に3匹もいない。
それでもだ。
それでも1時間ほど気をつけながら歩いていると、今度は街灯さえなくなった・・・。
落ち着け! 落ち着け! 暗闇に目を慣らせ!
そう言い聞かせて煙草でも吹かしていると、確かに目は慣れた。
慣れたが、道行く車の知った事ではない。
ドライバーは人影など見えない国道を
まさか真っ黒なカエルが右に左に横切ってるなんて思ってくれない。
ひたすら耳を澄まして目を凝らし、僕は神経を尖らせるしかなかった。
冷や冷やモノで、カメの歩みだ。カエルでカメって、どんな生き物だ。
やがて、最大の難関がやってきた。
進行方向へ向かって、ゆるやかな右カーブ。
僕は、海岸線の逆を歩いていた。なんとか時折、自販機などがあって安全だったからだ。
しかし、どう見てもある一点で歩道が消えている。ガードレールが、終わりを告げている。
そのまま車道の端を歩いたりしてると、前方からの車に対して死角になるので
かなりの確率で、カエルさんサヨウナラだ (。-人-。)チーン…
どうしよう。
反対側って、海だよな。
さっきから 「ドドドドドド・・・」 って聞こえるもんな。
海鳴りだよな。
ジョジョじゃないよな。
そして不安げに目を凝らす左前方。
ガードレールはあるけど・・・
歩道、なし(´,_ゝ`)プププ
ノォ~~~~~っっ!!
これは、いくらなんでも歩けないだろう。
考え込んでいるうちに、前方からヘッドライトらしき灯りが見えた。
見えたと思ったら、グゥゥゥウォ~~~~!! と一瞬でトラックが走り抜けた。
右側を歩いた場合のシミュレーション上、まず1匹目のカエルさんが死んだ。
こうなったら、歩道はないがガードレールのある海側を歩こう。
また耳を澄まして目を凝らし、僕は海側に渡って歩みを再開した。
ガードレールが道標にはなっているものの、高さで二十メートルくらいはある断崖だ。
踏み外せば2匹目のカエルさんも無事ではすまない。
車、来ませんように・・・。
そうこうして怯えながら歩く事、5分。
街灯は皆無に等しく、右手にまばらにあったはずの民家の灯りもない。
車も、なぜかピタリと通らなくなった。
こうなると、いちばん明るいのは空だった。見た事もない満天の星空だ。
僕は今まさに星明りで歩いているのだと、妙な感動が胸に沸き起こっていた。
不思議な感慨に、つい立ち止まってしまう。
断崖の下、相変わらず低い音で海鳴りが響いている。
その音は、天空から聞こえてくる様にも思える。
見上げれば星は数え切れないほど、星座盤みたいだ。
水平線の下に、漁船の灯りもチラホラ見えた。
あのお母さんも、そろそろ海に出る時間なのかなあと思い出す。
今日1日を、思い出す。
呑気に酒でも飲みながら列車に揺られた昼間。
唄う場所が見つからないと決め付けて焦り始めた夕方。
開き直って唄い始めた八雲の道端。
今、こうして真っ暗な海沿いの国道を歩いている僕は、一体、何の集大成なんだろう。
失敗や成功はあったろうか。
反省材料はいくつもあったが、どこにも失敗などなかった気もする。
失敗した訳でもないのに、一時はかなりへこんだものだ。
なんて、馬鹿らしいんだろう。
星明りで歩く道のりの険しさを知ったけれど、それもまた僕だけの小さな体験だ。
浮かれてみたり、勝手にへこんだり、誰かのお陰で持ち直してみたり、そんな繰り返しの旅。
いつか、それらは何かになるのだろうか。
もう一度、満天の星空を眺め、何らかの答えをねだる様に僕は大きく息を吸い込んだ。
薄っすらと雲の帯が棚引いて、星々に照らされている。
快晴の様にも見えていたが、雲が出てるんだな。そう思った僕だったが、全くの見当違いだった。
雲に見えていた空の帯は、なんと天の川だった。
星明りに照らされているのではなく、それこそが星の集まりだったのだ。
天の川がこんなにはっきりと見えるなんて生まれて初めてだったので、気が付かなかった。
しばしの感動の後、訳の分からない涙が溢れて止まらなかった。
いや、訳はあったろう。
それこそ幾千億という星の集まりで輝いて見える天の川が、その姿の通り、僕のちっぽけで小さな小さな後悔や経験さえ積み重ねる事でひとつの答えを導けるだろうよと、暗に囁いている気がしたのだ。
明日の函館もまた、知らない町だ。不安はある。
けれど、僕には唄い出す事でしか前に進む方法がない。
唄った結果の対価でしか、生きる希望も実力も手には入らない。
明日は、躊躇せずに唄い出そう。
涙は止まらなかったけれど、僕は歩き出した。
止まらないままに歩き出した瞬間、背面から轟音と共にトラックが追い抜いて行った。
そこで、僕は一気に青ざめた。
猛スピードのトラックのせいじゃない。
あと2、3歩で、道が終わっていたからだ・・・。
実は、立ち尽くしていた所でガードレールは終わり、道の先に茂る雑草の向こうは断崖絶壁だった。
ヘッドライトが照らしてくれたお陰で見えたのだが、ウルウル涙混じりに歩いていたら3匹目のカエルさんも、どうなっていた事やらである。
函館本線八雲駅から南へ1つの山越駅に到着したのは、それから30分ほどだった。
そこでも僕は寒さのために窮地に陥る訳だが、それはまた、次の機会に話そう。
※なお、今回よりコメントの書き込みに、アカウント入力を省略してみました。
設定方法が分かってなかったんです。。。
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URLは、未入力でもOKです。
携帯からのコメントは・・・どうなのか分かりません。
ちなみに下の写真は、まったく逆方向の積丹半島・島武意海岸でのものw
Googleマイマップ「西高東低~南高北低」
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=117155757855294201939.0004585263f0a10720fca&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&ll=42.255654,140.272483&spn=0.001755,0.004436&z=18
八雲 その1
記念すべき、というか第1回の投稿が北海道の話だった。
(札幌)http://tabiutai.blogspot.com/2009/04/blog-post.html
当初は、どういった感じのストーリーが展開されるのか、まだはっきりとは決まっておらず、とにかく書き出した。
書き出してみて、重いなあと反省して、次にはちょっと旅情めいた事も書いてみた。
(長門)http://tabiutai.blogspot.com/2009/05/blog-post.html
すると今度は、照れくさいなあ、となってしまった。
しかし、旅なんて恥ずかしい事の方が多く
「俺達は恥をかくために旅をしてるんだろう!」
とは、同じく旅ミュージシャンの言葉。
わざわざ恥をかこうとは思っていないが、結果的にそうなる事は多い。
なので恥を忍んで、そんな恥ずかしい、照れくさい話を書き続けている。
北海道の話をしよう。
札幌から函館へ伸びる渡島(おしま)半島に位置する、八雲という町だ。
平成17年の合併で、日本唯一の 『日本海と太平洋の両方に面した町』 になったらしい八雲。
知名度は低いはずだけど、素敵な出会いがあった町。
僕はその時、3度目の小樽で唄った後だった。
下関からスタートして、日本海側を縦断しようと思っていた、2003年の秋。
山陰を過ぎた辺りから順調になったので、寒くなる前に一度、北海道へ渡ろうと思ったのだ。
だから、次の目的地は本州に逆戻りだった。
そうなると一度、青函を渡る事になる。順当に考えれば、次の目的地は函館辺りだろうか。
北海道も3回目ともなれば、さすがに札幌・小樽だけでは物足りなくなっていたので、ちょうど良いかも知れない。
僕は、頭になかったルートを確認するために、午前中の小樽駅でしばし考えた。
函館までは半日を費やす事になるらしいが、実は手持ちが危ない。
ただ、途中の乗り継ぎ駅の長万部(おしゃまんべ)というのが気になる。
そういえば昔、タモさんがテレビで
「おしゃ、まんべ!!」
とか、やってたな。なんか有名な町なんだろうな。
軽々しくもそう思った僕は、そこを開拓地とする事に決めて、ひとまず函館本線に乗り込んだ。
切符は、千円で間に合うだけを買った。
あまり乗客がいなかったので気を緩めてポケットウイスキーなどをチビチビやっていると、列車は石狩湾を右手に見送りながら、やがて山間に入って行く。
天候は、晴れ。
気分は良かった。
ふと、網棚の上にギターを乗せる時に落としたチラシの様なものが目に入り、暇を持て余していた僕は、何気なく拾い上げてそれを眺めた。道央の案内めいたチラシだった。
ひとまずの目的地になった長万部は、まだまだ先だ。小樽から見れば南の太平洋側にある、内浦湾に面した長万部。
その途中に、僕は倶知安(くっちゃん)という地名を見つけた。聞き覚えがある地名だ。温泉もあるらしい。
温泉街は意外に稼げない。
そんな教訓もまだまだ知らなかった僕はワクワクしてしまい、通りかかった車掌さんに切符を見せて倶知安まで幾らなのか聞いてみた。すると、数十円プラスで足りる事が分かった。
程なく、僕は倶知安の駅に降り立った。
うーん。
どうだったんだろう・・・。
地理的には羊蹄山が南南東に見えたはずなのだが、それがキレイに見えたとかいう記憶もない。
今、一生懸命になって思い出してみるのだが、どうにも閑散とした広大な駅前が朧気に浮かぶだけで、具体的な記憶が蘇らない。
蘇らないのは、降りた瞬間に失敗だと決め付け、煙草を一服したのみだからかも知れない。
それは決して倶知安が悪い訳ではなく、下調べもせずに途中下車した自分が悪いのだ。
じゃあ次は長万部だと、素直に長万部までの切符を買った。
本数が少ないので、やけに待った。
暇になると空腹に気付くもので、駅の売店でおむすびを買って食べた。
食べるとなんだか気が楽になるもので、ビールなんか買って飲んだ。
すでに切符を買っているので、出費が気にならないのだ。
まだまだ未熟な旅唄いは、下調べのなさを反省材料にしなかった。しないまま、やがて来た列車に乗り込み、長万部へと向かった。
500円玉があったし、唄えばどうにかなるやと思っていた。
長万部駅は終点だったはずで、居眠りしている所を車掌さんに起こされた。
陽は傾きかけていたけれど、駅前に降り立つと青い空が広がっていた。
大地よりも、まずは広大な空が目に飛び込んだ。
白くかすむ青空から目線を落としていくと海らしき色が見え、その海へ向かって限りなく水平に、建物が並んでいた。
僕は、今もそうするように急いで電話帳を開いた。
― スナック
この町の飲み屋街には、どれくらいの店があるんだろう。どれくらいの規模なんだろう。それを、慌てる様に調べた。
だけど、僕が望むような形の飲み屋街などなさそうだという事に、薄々は気付いていた。
その頃の僕が望んだ、適度に飲み屋が密集して、民家はほとんど無く、代わりに人通りはほどほどにあるという、自分勝手な理想の場所など、ありはしないという事に。
国道を挟んだ海側に数件のスナックや料理屋がある様子だったので、僕はそちらへ渡った。
それから、格子状になったやけに幅の広いその道を、僕は何度も何度も行き来してみた。
だけど夜になったからといって、どうにも座り込んで演奏など出来る雰囲気ではない。
騒音苦情か、でなければ余程の変わり者として、10分で通報される自信だけがあった。
道端で唄いながら旅を続けようという余程の変わり者のクセに、そんな事を考えていた。
僕は、また少し考え込んだ。
どうしようか。
夜にならなければ、分からないこともある。
でも、うまく唄えたからといって、ここで一晩を過ごすにはどうしたらいいだろう。
函館まで行ける小銭は、まだ残っているだろうか。
何も分からない。
何の下調べもない事を、初めて怖いと感じた。
次第に夕日が海と反対側に落ちてゆく。
僕は歩き疲れ、線路を渡る高架の上で黙り込んだ。
とりあえず歩き回ったが、海側も山側も、それっぽい場所が見当たらない。
最後の手持ちで、動くしかない。
改札では、仕事帰りの人や学生で、小さなラッシュになっていた。
ここで唄うのはどうだろうかと、一瞬だけ考えた。
でも、駅前で唄うのは駅員とのトラブルの可能性が高い。
ギターを出してはみたけど止められたじゃ、格好も付かない。
すべてを言い訳にして、僕は移動を決めた。
簡単な直線だけで終わる様な路線図を見ると、函館が聞いて呆れるほど、手持ちはまったく足りやしなかった。動けるのは駅10個分ぐらいだ。
僕はとにかくその中から、いちばん大きい町なんじゃないかと思われる駅を選ぶしかなかった。
いくつかの駅名の中、八雲という駅名が実線で丸く囲まれていた。
多少は、規模の大きい町かも知れない。
僕は、その駅に賭けた。勘だけだ。
1時間もかからず、八雲へは到着した。
駅の規模としては決して大きくなかったが、道路沿いに建つビルや雰囲気は良い感じに思えた。
早速タウンページを開いた僕だったが、すぐに落胆した。スナックの欄は、数行で終わっていた。
スナックの在り処を捜すまでも無く、僕は待合室で考えた。
もしかすると、この駅前がいちばん良いのでは、とも思えた。
時刻は午後7時過ぎ。
まだまだ帰宅する人々が駅を使うだろうし、駅構内から少し離れれば、苦情もないかも知れない。
そして、上手くいけば今日中に函館へ移動出来る。
函館ならばさすがに、深夜まで唄ってどうにかなるだろう。
しかし、その考えもまた、すぐに消えた。消さざるを得なかった。
函館への最終は、すでに終わっていたからだ。
これまで数年。
広島や、大阪や、北海道。九州でも唄い、途方に暮れた事は多かった。
だけど、ここまで心細い事がなかったのも事実だ。
北海道の未知の町で、自分の得意な土俵が見当たらない。
たとえ結果的に一銭も入らない夜だったとしても、唄う事で自分を鼓舞してきた部分がある。
だからといって、まだ唄える場所があるか分からないこの町で、何の反応も実入りもなかったとしたら、一体どうすればいいんだろうか。
すべては、計画性のない行き当たりばったりな動きのせいだ。
余計な出費を抑えて、最初からストレートに函館までを移動していれば良かったのだ。
つまらない後悔が湧き出る。湧き出たが、今更そんなものに意味はない。
残された方法は、八雲というこの知らない町で唄って稼ぐのみだ。
とにかく歩いてみよう、ここで一晩を過ごすとなれば、まだまだ時間はある。
周辺を歩いた挙句に分かった事は、あちこち歩いても仕方がないという事だけだった。
駅から見える距離に、1件のパチンコ屋がある。
大通りから1本裏道に入ると駐車場があり、併設するように飲食店があった。
駅前を除くと、その裏道のみが人通りの多い場所だ。多少なりとも、夜のお店の灯りが見える。
その、ほんの5~6軒のお店が集まる袋小路の入り口で、ここしかないと決めた。
よく、飲み屋のテナントビルの下で唄う事があるが、それと同じ理由だった。
ここを通るからには、お客さんにしても業界人にしても、お酒の入る世界の住人だろうと思ったからだ。
決めたには決めたが、踏ん切りは付かない。
何せ、どっかと腰を下ろしたお店の入り口は、いつ背中のシャッターが開くとも知れない。
この数年に少しだけ蓄えてきた勘を働かせたが、分からなかった。
上手い具合に今からお店を開けそうなお姉さんが通りかかったので
「こちらは営業されてるんですか」 と尋ねると
「いえ・・・今日は閉まってらっしゃると思いますけど」 というギリギリの答えが返ってきた。
それでも少々安心した僕が
「そうですか~。今から唄おうと思ってたので、気になったんです」
なんて余計な一言を発すると
「はあ・・・」
と、要領を得ない感じの作り笑顔で、いなされた。
意味合いとしては 「はあ?」 だったのだろう。
何とかで不安材料のひとつが消えた僕は、意を決してギターケースを開く事にした。
譜面台にハーモニカホルダー、その他諸々が、車も通れない細い袋小路の路上に並べられていく。誰が見ても不思議この上ない光景なのは分かっている。
この時ほど、なんで僕は駅前で唄えないんだろう、と自分で思った事もない。
明らかに、そっちの方が自然に見えるのに。
だけど、先程のお姉さんに 「ここで唄おうと思って」 なんて言ったからには、後へは退けない。
そういった追い詰め方で唄わざるを得ない様にするのが、こういう時の対処法だ。
誰が訝しんでも、何か? と澄ました顔で黙々と準備を進めるのだ。
ポケットウイスキーの残りを流し込み、妖艶なスナックの看板を眺める。
そうすれば、夜を唄う路上唄いの魂は少しずつ盛り上がっていく。
今夜もまた、ここで男と女の飽くなき駆け引きが繰り広げられるのさ、なんて。
が、そこに
チリンチリ~ン ♪
と、可愛らしいお子様のお乗りあそばす三輪車が軽快に通り行くと、路上唄いの魂は少し凹んだ。
お子様の三輪車は、どんな時も戦意を奪う。
いつまでも戦火の絶えない国では、お子様型ロボットの運転する三輪車をそこかしこに走らせればいいと思う。
戦意は奪われたが、喪失はしていない。
したら死ぬ。
そんな訳で、こういう時に便利な長○剛大先生(今更、伏字もないだろうに)の、とんぼよ~、を唄い出す旅唄い。
いきなり、お向かいの2階でカーテンが開くが、唄い始めたからには逆に何が起こっても止める理由にはならない。
カーテン越しの人影に愛想笑いをしながら、僕は歌を続けた。
止めたら死ぬ。
唄い始めまでにかなりの時間を浪費したせいで、40分も唄うと、周囲は一気に人影がまばらになった。
買物帰りの方や三輪車のお子様は消え、逆にフラフラと町を徘徊している様な雰囲気の通行人が増えている。
近隣の苦情が出るならば、すでに出ていてもおかしくない時間なので、あくまで様子を伺いながらだったが、僕はかなり安心して演奏を続けた。
ただし、反応はまだゼロだった。
それでもいい。それでいい。
今夜のうちに、ひとつだけでも反応があればいい。
たったひとつの反応さえあれば、気力は持つ。
唄わなければ何も出来ない身を実感した今となっては、今夜は唄わなかった駅前さえも明日の昼には唄えるだろう。
今夜をどうするかは、唄い終わってから考えよう。
僕は最後のウイスキーを流し込んで、臨戦態勢になった。
~起死回生の八雲編とその後に続く~
Googleマイマップ「西高東低~南高北低」
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=117155757855294201939.0004585263f0a10720fca&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&ll=42.255654,140.272483&spn=0.001755,0.004436&z=18
(札幌)http://tabiutai.blogspot.com/2009/04/blog-post.html
当初は、どういった感じのストーリーが展開されるのか、まだはっきりとは決まっておらず、とにかく書き出した。
書き出してみて、重いなあと反省して、次にはちょっと旅情めいた事も書いてみた。
(長門)http://tabiutai.blogspot.com/2009/05/blog-post.html
すると今度は、照れくさいなあ、となってしまった。
しかし、旅なんて恥ずかしい事の方が多く
「俺達は恥をかくために旅をしてるんだろう!」
とは、同じく旅ミュージシャンの言葉。
わざわざ恥をかこうとは思っていないが、結果的にそうなる事は多い。
なので恥を忍んで、そんな恥ずかしい、照れくさい話を書き続けている。
北海道の話をしよう。
札幌から函館へ伸びる渡島(おしま)半島に位置する、八雲という町だ。
平成17年の合併で、日本唯一の 『日本海と太平洋の両方に面した町』 になったらしい八雲。
知名度は低いはずだけど、素敵な出会いがあった町。
僕はその時、3度目の小樽で唄った後だった。
下関からスタートして、日本海側を縦断しようと思っていた、2003年の秋。
山陰を過ぎた辺りから順調になったので、寒くなる前に一度、北海道へ渡ろうと思ったのだ。
だから、次の目的地は本州に逆戻りだった。
そうなると一度、青函を渡る事になる。順当に考えれば、次の目的地は函館辺りだろうか。
北海道も3回目ともなれば、さすがに札幌・小樽だけでは物足りなくなっていたので、ちょうど良いかも知れない。
僕は、頭になかったルートを確認するために、午前中の小樽駅でしばし考えた。
函館までは半日を費やす事になるらしいが、実は手持ちが危ない。
ただ、途中の乗り継ぎ駅の長万部(おしゃまんべ)というのが気になる。
そういえば昔、タモさんがテレビで
「おしゃ、まんべ!!」
とか、やってたな。なんか有名な町なんだろうな。
軽々しくもそう思った僕は、そこを開拓地とする事に決めて、ひとまず函館本線に乗り込んだ。
切符は、千円で間に合うだけを買った。
あまり乗客がいなかったので気を緩めてポケットウイスキーなどをチビチビやっていると、列車は石狩湾を右手に見送りながら、やがて山間に入って行く。
天候は、晴れ。
気分は良かった。
ふと、網棚の上にギターを乗せる時に落としたチラシの様なものが目に入り、暇を持て余していた僕は、何気なく拾い上げてそれを眺めた。道央の案内めいたチラシだった。
ひとまずの目的地になった長万部は、まだまだ先だ。小樽から見れば南の太平洋側にある、内浦湾に面した長万部。
その途中に、僕は倶知安(くっちゃん)という地名を見つけた。聞き覚えがある地名だ。温泉もあるらしい。
温泉街は意外に稼げない。
そんな教訓もまだまだ知らなかった僕はワクワクしてしまい、通りかかった車掌さんに切符を見せて倶知安まで幾らなのか聞いてみた。すると、数十円プラスで足りる事が分かった。
程なく、僕は倶知安の駅に降り立った。
うーん。
どうだったんだろう・・・。
地理的には羊蹄山が南南東に見えたはずなのだが、それがキレイに見えたとかいう記憶もない。
今、一生懸命になって思い出してみるのだが、どうにも閑散とした広大な駅前が朧気に浮かぶだけで、具体的な記憶が蘇らない。
蘇らないのは、降りた瞬間に失敗だと決め付け、煙草を一服したのみだからかも知れない。
それは決して倶知安が悪い訳ではなく、下調べもせずに途中下車した自分が悪いのだ。
じゃあ次は長万部だと、素直に長万部までの切符を買った。
本数が少ないので、やけに待った。
暇になると空腹に気付くもので、駅の売店でおむすびを買って食べた。
食べるとなんだか気が楽になるもので、ビールなんか買って飲んだ。
すでに切符を買っているので、出費が気にならないのだ。
まだまだ未熟な旅唄いは、下調べのなさを反省材料にしなかった。しないまま、やがて来た列車に乗り込み、長万部へと向かった。
500円玉があったし、唄えばどうにかなるやと思っていた。
長万部駅は終点だったはずで、居眠りしている所を車掌さんに起こされた。
陽は傾きかけていたけれど、駅前に降り立つと青い空が広がっていた。
大地よりも、まずは広大な空が目に飛び込んだ。
白くかすむ青空から目線を落としていくと海らしき色が見え、その海へ向かって限りなく水平に、建物が並んでいた。
僕は、今もそうするように急いで電話帳を開いた。
― スナック
この町の飲み屋街には、どれくらいの店があるんだろう。どれくらいの規模なんだろう。それを、慌てる様に調べた。
だけど、僕が望むような形の飲み屋街などなさそうだという事に、薄々は気付いていた。
その頃の僕が望んだ、適度に飲み屋が密集して、民家はほとんど無く、代わりに人通りはほどほどにあるという、自分勝手な理想の場所など、ありはしないという事に。
国道を挟んだ海側に数件のスナックや料理屋がある様子だったので、僕はそちらへ渡った。
それから、格子状になったやけに幅の広いその道を、僕は何度も何度も行き来してみた。
だけど夜になったからといって、どうにも座り込んで演奏など出来る雰囲気ではない。
騒音苦情か、でなければ余程の変わり者として、10分で通報される自信だけがあった。
道端で唄いながら旅を続けようという余程の変わり者のクセに、そんな事を考えていた。
僕は、また少し考え込んだ。
どうしようか。
夜にならなければ、分からないこともある。
でも、うまく唄えたからといって、ここで一晩を過ごすにはどうしたらいいだろう。
函館まで行ける小銭は、まだ残っているだろうか。
何も分からない。
何の下調べもない事を、初めて怖いと感じた。
次第に夕日が海と反対側に落ちてゆく。
僕は歩き疲れ、線路を渡る高架の上で黙り込んだ。
とりあえず歩き回ったが、海側も山側も、それっぽい場所が見当たらない。
最後の手持ちで、動くしかない。
改札では、仕事帰りの人や学生で、小さなラッシュになっていた。
ここで唄うのはどうだろうかと、一瞬だけ考えた。
でも、駅前で唄うのは駅員とのトラブルの可能性が高い。
ギターを出してはみたけど止められたじゃ、格好も付かない。
すべてを言い訳にして、僕は移動を決めた。
簡単な直線だけで終わる様な路線図を見ると、函館が聞いて呆れるほど、手持ちはまったく足りやしなかった。動けるのは駅10個分ぐらいだ。
僕はとにかくその中から、いちばん大きい町なんじゃないかと思われる駅を選ぶしかなかった。
いくつかの駅名の中、八雲という駅名が実線で丸く囲まれていた。
多少は、規模の大きい町かも知れない。
僕は、その駅に賭けた。勘だけだ。
1時間もかからず、八雲へは到着した。
駅の規模としては決して大きくなかったが、道路沿いに建つビルや雰囲気は良い感じに思えた。
早速タウンページを開いた僕だったが、すぐに落胆した。スナックの欄は、数行で終わっていた。
スナックの在り処を捜すまでも無く、僕は待合室で考えた。
もしかすると、この駅前がいちばん良いのでは、とも思えた。
時刻は午後7時過ぎ。
まだまだ帰宅する人々が駅を使うだろうし、駅構内から少し離れれば、苦情もないかも知れない。
そして、上手くいけば今日中に函館へ移動出来る。
函館ならばさすがに、深夜まで唄ってどうにかなるだろう。
しかし、その考えもまた、すぐに消えた。消さざるを得なかった。
函館への最終は、すでに終わっていたからだ。
これまで数年。
広島や、大阪や、北海道。九州でも唄い、途方に暮れた事は多かった。
だけど、ここまで心細い事がなかったのも事実だ。
北海道の未知の町で、自分の得意な土俵が見当たらない。
たとえ結果的に一銭も入らない夜だったとしても、唄う事で自分を鼓舞してきた部分がある。
だからといって、まだ唄える場所があるか分からないこの町で、何の反応も実入りもなかったとしたら、一体どうすればいいんだろうか。
すべては、計画性のない行き当たりばったりな動きのせいだ。
余計な出費を抑えて、最初からストレートに函館までを移動していれば良かったのだ。
つまらない後悔が湧き出る。湧き出たが、今更そんなものに意味はない。
残された方法は、八雲というこの知らない町で唄って稼ぐのみだ。
とにかく歩いてみよう、ここで一晩を過ごすとなれば、まだまだ時間はある。
周辺を歩いた挙句に分かった事は、あちこち歩いても仕方がないという事だけだった。
駅から見える距離に、1件のパチンコ屋がある。
大通りから1本裏道に入ると駐車場があり、併設するように飲食店があった。
駅前を除くと、その裏道のみが人通りの多い場所だ。多少なりとも、夜のお店の灯りが見える。
その、ほんの5~6軒のお店が集まる袋小路の入り口で、ここしかないと決めた。
よく、飲み屋のテナントビルの下で唄う事があるが、それと同じ理由だった。
ここを通るからには、お客さんにしても業界人にしても、お酒の入る世界の住人だろうと思ったからだ。
決めたには決めたが、踏ん切りは付かない。
何せ、どっかと腰を下ろしたお店の入り口は、いつ背中のシャッターが開くとも知れない。
この数年に少しだけ蓄えてきた勘を働かせたが、分からなかった。
上手い具合に今からお店を開けそうなお姉さんが通りかかったので
「こちらは営業されてるんですか」 と尋ねると
「いえ・・・今日は閉まってらっしゃると思いますけど」 というギリギリの答えが返ってきた。
それでも少々安心した僕が
「そうですか~。今から唄おうと思ってたので、気になったんです」
なんて余計な一言を発すると
「はあ・・・」
と、要領を得ない感じの作り笑顔で、いなされた。
意味合いとしては 「はあ?」 だったのだろう。
何とかで不安材料のひとつが消えた僕は、意を決してギターケースを開く事にした。
譜面台にハーモニカホルダー、その他諸々が、車も通れない細い袋小路の路上に並べられていく。誰が見ても不思議この上ない光景なのは分かっている。
この時ほど、なんで僕は駅前で唄えないんだろう、と自分で思った事もない。
明らかに、そっちの方が自然に見えるのに。
だけど、先程のお姉さんに 「ここで唄おうと思って」 なんて言ったからには、後へは退けない。
そういった追い詰め方で唄わざるを得ない様にするのが、こういう時の対処法だ。
誰が訝しんでも、何か? と澄ました顔で黙々と準備を進めるのだ。
ポケットウイスキーの残りを流し込み、妖艶なスナックの看板を眺める。
そうすれば、夜を唄う路上唄いの魂は少しずつ盛り上がっていく。
今夜もまた、ここで男と女の飽くなき駆け引きが繰り広げられるのさ、なんて。
が、そこに
チリンチリ~ン ♪
と、可愛らしいお子様のお乗りあそばす三輪車が軽快に通り行くと、路上唄いの魂は少し凹んだ。
お子様の三輪車は、どんな時も戦意を奪う。
いつまでも戦火の絶えない国では、お子様型ロボットの運転する三輪車をそこかしこに走らせればいいと思う。
戦意は奪われたが、喪失はしていない。
したら死ぬ。
そんな訳で、こういう時に便利な長○剛大先生(今更、伏字もないだろうに)の、とんぼよ~、を唄い出す旅唄い。
いきなり、お向かいの2階でカーテンが開くが、唄い始めたからには逆に何が起こっても止める理由にはならない。
カーテン越しの人影に愛想笑いをしながら、僕は歌を続けた。
止めたら死ぬ。
唄い始めまでにかなりの時間を浪費したせいで、40分も唄うと、周囲は一気に人影がまばらになった。
買物帰りの方や三輪車のお子様は消え、逆にフラフラと町を徘徊している様な雰囲気の通行人が増えている。
近隣の苦情が出るならば、すでに出ていてもおかしくない時間なので、あくまで様子を伺いながらだったが、僕はかなり安心して演奏を続けた。
ただし、反応はまだゼロだった。
それでもいい。それでいい。
今夜のうちに、ひとつだけでも反応があればいい。
たったひとつの反応さえあれば、気力は持つ。
唄わなければ何も出来ない身を実感した今となっては、今夜は唄わなかった駅前さえも明日の昼には唄えるだろう。
今夜をどうするかは、唄い終わってから考えよう。
僕は最後のウイスキーを流し込んで、臨戦態勢になった。
~起死回生の八雲編とその後に続く~
Googleマイマップ「西高東低~南高北低」
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=117155757855294201939.0004585263f0a10720fca&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&ll=42.255654,140.272483&spn=0.001755,0.004436&z=18
福山
福山市は広島県のいちばん東の端っこで、岡山県・笠岡市と隣接している。
ぶっちゃけ、電車移動なら広島市内に行くより岡山市内の方が近い。
時間で、広島2時間に対して岡山1時間といったところか。
この街で路上演奏が多くなったのは、就職事情だ。
もう、3年前になる。
「旅唄いが就職なんて。プププ、大笑い」
と言われても別に構わない。
またしても女が理由だからだ。
例によって
「きちんと仕事してよ!」
みたいな事を言った女に、はいはい分かりましたと行動に出たのだ。
長い広島生活ではとにかくミュージシャンを働かせたがる連中が多かった。
流川の大御所・ひげGに言わせれば
「ミュージシャンなんじゃけえ、歌わせてくれえや」
である。
だけど誘いを断るのが苦手な僕は、その度に妙な実力を発揮して、一時期だけは大人しく人並みに働いたものだ。
東広島で
「お前は、そんな事してちゃいかん」 (今思えば、いらん世話だな)
と拾われては安月給の店長候補に仕立て上げられ、胡町で唄ってはいつの間にかスタンド(広島では、スナックをそう呼ぶ)の従業員になり、そしてそのうち辞めて、いくつもの店を危機に陥れたものだった。
路上の歌唄いに
「こいつなら安い給料でも文句なく働くだろう」
なんて考えで仕事をさせるから、そうなる。
働いたからには、僕だって人並みの給料を望むのだ。
まあ、辞め方にはいつも問題があったが。
その時は、とある有名メーカーの工場勤務だった。
しかも、不本意ながら自分が望んでの就職だ。
簡単には辞めない覚悟どころか、これで落ち着いてしまっても仕方がないかもと考えたものだ。
面接もすんなりと終わり、研修2週間でみっちり仕込まれ、まずまず優秀な成績を修めたと思える僕は、しかし予想だにしない場所へと配属が決まった。
それが、福山だった。
え~、福山って遠いじゃん。
そうは思ったが、現状ホームレスの僕には何を断る事も出来ない。
はい喜んで! と、未来は一瞬にして決まった。
そして、12時間勤務の合間に路上へ出る生活が始まった。
当初は彼女絡みもあり、広島市内に足を向けていた。
慣れた場所での演奏が楽だし、何よりも時折は固定ファンも寄ってくれる。
しかし仕事がハードになってくると、それもなかなか出来なくなってきた。
それに、往復4千円近い電車代も痛かった。
毎回、そこまでをトントンに出来る事も少ないからだ。
もとより、飯を食うために唄っていた僕。
それをしなくても飯が食えるようになると、生活リズムは変わった。
個室の与えられた寮の売店では給料天引きの社員カードで好き放題に買い物が出来たし、酒だって煙草だって買えた。
路上の野良犬が牙を失うのに、時間は要らなかった。
唄わなくても、生きてはいける。
いつしか、そんな風にさえ考えるようになった。
物は少なくとも、テレビも冷蔵庫もエアコンも揃った部屋。
たまに誰かとつるんでは飲みに出かけ、タクシーに乗り合わせて帰る。
3勤2休、もしくは2勤3休の恵まれた生活は、だけど心を散漫にするだけだった。
ある日の夕方。
僕は、いつもの寮の売店でビールを買い、ギターを持ち出してグラウンドへ向かった。
グラウンドは、町1個分もある工場敷地を出て、すぐ下手にある。
早朝にはゲートボールに興じる年配の方が見られるけれど、子供も少ない地域なのか、後はほとんど人影を見ない。
そんな誰もいないグラウンドで、久しぶりに声を出してみた。
誰ひとり観客はいなかったけれど、僕はその晩に、ようやく街へと向かう気になった。
福山市内の路上シーンは駅前付近に集中しており、地下道で唄う女の子の声も聞こえていた。
数人の通行人が立ち止まって聴いていた。
余談だけど、その女の子は森恵という名前で、現在は東京で活躍中とか。ただし、彼女との接点は僕にはまったくない。
そんな森恵ちゃんの唄う地下道方面から天満屋デパート側へ横断歩道を渡った場所は、時折ストリートミュージシャンを見かける場所だった。
僕も一時期は唄った事があり、今でも福山に行けば、そこで唄うかもしれない。
しかし夜になると通行人は少なく、路上演奏が珍しかった頃ならまだしも、今では一晩中唄っても、誰も声を掛けてくれない日さえある。
だから、僕の唄いたい場所はやっぱり飲み屋街で、そしてそれは非常に危険地域だった。
広島市内はヤクザこそ多いかも知れないが、表立って幅を利かせている事は少ない。
が、福山は違った。
表立って幅を利かせていた。
演奏場所に選んだのは、御船町の交差点を南に曲がった、飲み屋ビルの並び。
僕が広島で最高のとんこつラーメンを出すと思っている店の隣だった。
そこがだ。
最初は良かった。
非常に良かった。
背面のビルを出入りするお客さんからお店の方から、愛想良くしてもらった。
遅くなり目の前にはタクシーが並ぶ頃、僕はラストに美味しいとんこつラーメンを啜って一日を終えられていた。
それがだ。
ある日を境に、苦情が出る様になった。
後々のためにと、騒音の苦情かと尋ねたが、理由は解り難かった。
無論、警察が苦情の詳細を教えてくれる事は少なく、老年のお巡りさんは、慇懃な態度で
「ここは、いけんのだ」
と言うだけだった。
僕は、じゃあ、といつもの事で場所を変えた。
ビル側が苦情を言ってるなら、それでどうにかなると思った。
数回は、それで良かった。
最初は 「ここじゃ、迷惑になるかな」 と敬遠した飲み屋ビルの下だったが、ビルのお店の方も
「あら、ここじゃ珍しいわね~」
とは言うものの、優しく対応してくれた。
なので、その後もそこで唄ったり、深夜遅くなったら駅前の天満屋前で唄って朝を待っては寮に帰っていた。
なのにだ。
その後も唄う度に注意を受ける様になり、移動した場所でも5分で苦情が来た。
そして、ついに警察の口から最終通告が出たのだ。
「この辺が、どういう所か分かっとるか」
やはり、とは思ったがヤクザのせいだ。
「ヤクザですか」
僕がそう言うと、警察の顔がイライラしたものに変わる。
「それは、俺の口から言えることじゃないけぇ。
とにかく、分かるじゃろ。ここは、そういう事をしたらいけん場所なんじゃ」
もう、確信した。
以前から、違法駐車のパトロールが妙だと思っていたのだ。
僕が最初に唄っていたのは、後から聞けば暴力団事務所の思いっきりそばで、警察はその前をパトロールする度に、ビルの中にいるであろう運転手が出て来るまで5分でも10分でも、しつこく車のナンバーをスピーカーで叫んでいたっけ。
車が動かないなら、さっさと駐禁でもなんでも切ればいいものを、何で親切に呼び続けてるんだと思ったものだ。
僕は、うんざりして、いつもの老警官に言った。
「恐い人が、おるんでしょ」
すると僕が理解したと思ったか、相好が崩れた。
「な、分かったな。もう、ここでは止めてくれぇや」
以上が福山市で感じた、警察と暴力団の馴れ合いだ。
これがたまたま関係者の耳に入ったとして、どんなに国家権力が僕の言い分を否定しても、僕は取り消さない。
お得意の常套手段で、道交法とでも何とでも言えばいいじゃないか。
なんで、回りくどい言い方をする必要があるんだ。
僕は流川での数ヶ月に渡るやり取りも含め(これは、また後日に書こうと思う)、広島の警察が、いちばん信用出来ない。
本拠地として唄ってきただけに、ものすごく悔しい。
路上ミュージシャンは、知らず知らずに迷惑をかけている場合が多々ある。
それは僕も認めていて、苦情の指示には素直に従い、時には折り合いを付けてきている。
だけど、自分らの余計な仕事を増やすなと言わんばかりの警察官には、今でも立ち向かう気構えだ。
広島の警察は、せっかく場所の許可を書面で取ろうが、嫌がらせとしか思えない苦情だけを盾にして、演奏を止めさせていた。
苦情が治まれば、後は見て見ぬふりだ。
嫌な思い出を語ってしまった。
嬉しい事もあったから、それを書こう。
やがて、僕は寮を去る事になる。
体調を崩しがちだった僕は、職場に迷惑をかけ続ける事が嫌で、仕事を辞めた。
たかが派遣の僕に優しかった社員の方にも申し訳はなかったが、旅唄いの生活を、僕は結局のところ変えられなかった。
僕は大量の薬剤に頼らなければ、眠る事もできなくなっていた。
酒にも溺れていた。
荷物をまとめ、会社の常駐の方に近隣の駅まで送ってもらった後、僕は福山市内に向かった。
この街で唄う最後の日だと思った。
所持金は上手い具合に電車代で終わり、真昼間の街で、僕は久しぶりに行き場をなくしていた。
孤独と不安感はあったけれど、不思議と懐かしい気分だった。
この気分こそが、僕の基本だと思えた。
そんな中、どこへ行こうかと立ち尽くしていた僕に声をかける人があった。
僕の本名を呼ぶのは、つい昨日まで一緒に寮にいた、元同僚だった。
班が違うために勤務帯は違ったけれど、度々、体調の悪い僕を気にかけてくれていた男の子だった。
「今夜、唄ってから動こうと思うんだ」
そう笑う僕が、よほど頼りなく見えたのだろうか。
彼は、しばらく無難な会話を続けた後、なぜか財布を出した。
「僕、あんまり歌は聴けませんでしたけど、頑張ってくださいね」
そして、少ないですが、と千円札を一枚手渡してくれた。
「どこかで会えたら、聴かせてください」
僕は上手い言葉も返せず、ただ素直に感謝して別れた。
人通りの少ない天満屋デパートの前でも、今夜は頑張ってみようと心に決めた。
彼には、その後会えていない。いつか本当に会えるだろうか。
最後に、寮での花見の思い出を。
いつもギターケースを抱えてはビールを買ってた僕に、売店のオバちゃんがある日、花見に誘ってくれた。
僕が時々グラウンドで唄ってるのを、仕事帰りに見ていたらしい。
「明日、下のグラウンドで町内の花見があるんよ。
皆カラオケが好きじゃけぇ、唄ってくれたら喜ぶよ」
寮で暇を持て余してる同僚のH君に声をかけ、僕はその花見に参加した。
下手じゃったら帰れ言うで、と笑うオッチャンに、じゃあ大丈夫ですと答え、飲んでは唄い、唄っては飲んだ。
同僚は、見ず知らずの輪の中に平気で入っていく僕に驚いていたが、そのうち一緒に飲んで笑っていた。
そのうち、どこで嗅ぎつけてきたのか、医者に酒を止められてる年上のSさんが乱入し、気が付けばフェードアウトする様にグラウンドの隅で吐いていたっけ。
あの人は何をしに来たん、と失笑されるSさんを眺めながら、花見は楽しくお開きになった。
「秋には祭りがあるけえ、唄うてくれたら、皆また喜ぶよ」
そう言われて微笑んだ僕だったが、秋にはもう、いなくなっていた。
グラウンドの桜は、誰も見てくれなくとも、今年も見事に咲くのだろう。
でも、人間が美しく咲くには、見てくれる誰かを必要とするのかも知れない。
見つめたり、見つめられたりしながら、美しく咲き、人を咲かせる人間でありたい。
Googleマイマップ「西高東低~南高北低」
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=117155757855294201939.0004585263f0a10720fca&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&ll=34.484999,133.369904&spn=0.000986,0.002132&z=19&iwloc=0004685178236964629ea
ぶっちゃけ、電車移動なら広島市内に行くより岡山市内の方が近い。
時間で、広島2時間に対して岡山1時間といったところか。
この街で路上演奏が多くなったのは、就職事情だ。
もう、3年前になる。
「旅唄いが就職なんて。プププ、大笑い」
と言われても別に構わない。
またしても女が理由だからだ。
例によって
「きちんと仕事してよ!」
みたいな事を言った女に、はいはい分かりましたと行動に出たのだ。
長い広島生活ではとにかくミュージシャンを働かせたがる連中が多かった。
流川の大御所・ひげGに言わせれば
「ミュージシャンなんじゃけえ、歌わせてくれえや」
である。
だけど誘いを断るのが苦手な僕は、その度に妙な実力を発揮して、一時期だけは大人しく人並みに働いたものだ。
東広島で
「お前は、そんな事してちゃいかん」 (今思えば、いらん世話だな)
と拾われては安月給の店長候補に仕立て上げられ、胡町で唄ってはいつの間にかスタンド(広島では、スナックをそう呼ぶ)の従業員になり、そしてそのうち辞めて、いくつもの店を危機に陥れたものだった。
路上の歌唄いに
「こいつなら安い給料でも文句なく働くだろう」
なんて考えで仕事をさせるから、そうなる。
働いたからには、僕だって人並みの給料を望むのだ。
まあ、辞め方にはいつも問題があったが。
その時は、とある有名メーカーの工場勤務だった。
しかも、不本意ながら自分が望んでの就職だ。
簡単には辞めない覚悟どころか、これで落ち着いてしまっても仕方がないかもと考えたものだ。
面接もすんなりと終わり、研修2週間でみっちり仕込まれ、まずまず優秀な成績を修めたと思える僕は、しかし予想だにしない場所へと配属が決まった。
それが、福山だった。
え~、福山って遠いじゃん。
そうは思ったが、現状ホームレスの僕には何を断る事も出来ない。
はい喜んで! と、未来は一瞬にして決まった。
そして、12時間勤務の合間に路上へ出る生活が始まった。
当初は彼女絡みもあり、広島市内に足を向けていた。
慣れた場所での演奏が楽だし、何よりも時折は固定ファンも寄ってくれる。
しかし仕事がハードになってくると、それもなかなか出来なくなってきた。
それに、往復4千円近い電車代も痛かった。
毎回、そこまでをトントンに出来る事も少ないからだ。
もとより、飯を食うために唄っていた僕。
それをしなくても飯が食えるようになると、生活リズムは変わった。
個室の与えられた寮の売店では給料天引きの社員カードで好き放題に買い物が出来たし、酒だって煙草だって買えた。
路上の野良犬が牙を失うのに、時間は要らなかった。
唄わなくても、生きてはいける。
いつしか、そんな風にさえ考えるようになった。
物は少なくとも、テレビも冷蔵庫もエアコンも揃った部屋。
たまに誰かとつるんでは飲みに出かけ、タクシーに乗り合わせて帰る。
3勤2休、もしくは2勤3休の恵まれた生活は、だけど心を散漫にするだけだった。
ある日の夕方。
僕は、いつもの寮の売店でビールを買い、ギターを持ち出してグラウンドへ向かった。
グラウンドは、町1個分もある工場敷地を出て、すぐ下手にある。
早朝にはゲートボールに興じる年配の方が見られるけれど、子供も少ない地域なのか、後はほとんど人影を見ない。
そんな誰もいないグラウンドで、久しぶりに声を出してみた。
誰ひとり観客はいなかったけれど、僕はその晩に、ようやく街へと向かう気になった。
福山市内の路上シーンは駅前付近に集中しており、地下道で唄う女の子の声も聞こえていた。
数人の通行人が立ち止まって聴いていた。
余談だけど、その女の子は森恵という名前で、現在は東京で活躍中とか。ただし、彼女との接点は僕にはまったくない。
そんな森恵ちゃんの唄う地下道方面から天満屋デパート側へ横断歩道を渡った場所は、時折ストリートミュージシャンを見かける場所だった。
僕も一時期は唄った事があり、今でも福山に行けば、そこで唄うかもしれない。
しかし夜になると通行人は少なく、路上演奏が珍しかった頃ならまだしも、今では一晩中唄っても、誰も声を掛けてくれない日さえある。
だから、僕の唄いたい場所はやっぱり飲み屋街で、そしてそれは非常に危険地域だった。
広島市内はヤクザこそ多いかも知れないが、表立って幅を利かせている事は少ない。
が、福山は違った。
表立って幅を利かせていた。
演奏場所に選んだのは、御船町の交差点を南に曲がった、飲み屋ビルの並び。
僕が広島で最高のとんこつラーメンを出すと思っている店の隣だった。
そこがだ。
最初は良かった。
非常に良かった。
背面のビルを出入りするお客さんからお店の方から、愛想良くしてもらった。
遅くなり目の前にはタクシーが並ぶ頃、僕はラストに美味しいとんこつラーメンを啜って一日を終えられていた。
それがだ。
ある日を境に、苦情が出る様になった。
後々のためにと、騒音の苦情かと尋ねたが、理由は解り難かった。
無論、警察が苦情の詳細を教えてくれる事は少なく、老年のお巡りさんは、慇懃な態度で
「ここは、いけんのだ」
と言うだけだった。
僕は、じゃあ、といつもの事で場所を変えた。
ビル側が苦情を言ってるなら、それでどうにかなると思った。
数回は、それで良かった。
最初は 「ここじゃ、迷惑になるかな」 と敬遠した飲み屋ビルの下だったが、ビルのお店の方も
「あら、ここじゃ珍しいわね~」
とは言うものの、優しく対応してくれた。
なので、その後もそこで唄ったり、深夜遅くなったら駅前の天満屋前で唄って朝を待っては寮に帰っていた。
なのにだ。
その後も唄う度に注意を受ける様になり、移動した場所でも5分で苦情が来た。
そして、ついに警察の口から最終通告が出たのだ。
「この辺が、どういう所か分かっとるか」
やはり、とは思ったがヤクザのせいだ。
「ヤクザですか」
僕がそう言うと、警察の顔がイライラしたものに変わる。
「それは、俺の口から言えることじゃないけぇ。
とにかく、分かるじゃろ。ここは、そういう事をしたらいけん場所なんじゃ」
もう、確信した。
以前から、違法駐車のパトロールが妙だと思っていたのだ。
僕が最初に唄っていたのは、後から聞けば暴力団事務所の思いっきりそばで、警察はその前をパトロールする度に、ビルの中にいるであろう運転手が出て来るまで5分でも10分でも、しつこく車のナンバーをスピーカーで叫んでいたっけ。
車が動かないなら、さっさと駐禁でもなんでも切ればいいものを、何で親切に呼び続けてるんだと思ったものだ。
僕は、うんざりして、いつもの老警官に言った。
「恐い人が、おるんでしょ」
すると僕が理解したと思ったか、相好が崩れた。
「な、分かったな。もう、ここでは止めてくれぇや」
以上が福山市で感じた、警察と暴力団の馴れ合いだ。
これがたまたま関係者の耳に入ったとして、どんなに国家権力が僕の言い分を否定しても、僕は取り消さない。
お得意の常套手段で、道交法とでも何とでも言えばいいじゃないか。
なんで、回りくどい言い方をする必要があるんだ。
僕は流川での数ヶ月に渡るやり取りも含め(これは、また後日に書こうと思う)、広島の警察が、いちばん信用出来ない。
本拠地として唄ってきただけに、ものすごく悔しい。
路上ミュージシャンは、知らず知らずに迷惑をかけている場合が多々ある。
それは僕も認めていて、苦情の指示には素直に従い、時には折り合いを付けてきている。
だけど、自分らの余計な仕事を増やすなと言わんばかりの警察官には、今でも立ち向かう気構えだ。
広島の警察は、せっかく場所の許可を書面で取ろうが、嫌がらせとしか思えない苦情だけを盾にして、演奏を止めさせていた。
苦情が治まれば、後は見て見ぬふりだ。
嫌な思い出を語ってしまった。
嬉しい事もあったから、それを書こう。
やがて、僕は寮を去る事になる。
体調を崩しがちだった僕は、職場に迷惑をかけ続ける事が嫌で、仕事を辞めた。
たかが派遣の僕に優しかった社員の方にも申し訳はなかったが、旅唄いの生活を、僕は結局のところ変えられなかった。
僕は大量の薬剤に頼らなければ、眠る事もできなくなっていた。
酒にも溺れていた。
荷物をまとめ、会社の常駐の方に近隣の駅まで送ってもらった後、僕は福山市内に向かった。
この街で唄う最後の日だと思った。
所持金は上手い具合に電車代で終わり、真昼間の街で、僕は久しぶりに行き場をなくしていた。
孤独と不安感はあったけれど、不思議と懐かしい気分だった。
この気分こそが、僕の基本だと思えた。
そんな中、どこへ行こうかと立ち尽くしていた僕に声をかける人があった。
僕の本名を呼ぶのは、つい昨日まで一緒に寮にいた、元同僚だった。
班が違うために勤務帯は違ったけれど、度々、体調の悪い僕を気にかけてくれていた男の子だった。
「今夜、唄ってから動こうと思うんだ」
そう笑う僕が、よほど頼りなく見えたのだろうか。
彼は、しばらく無難な会話を続けた後、なぜか財布を出した。
「僕、あんまり歌は聴けませんでしたけど、頑張ってくださいね」
そして、少ないですが、と千円札を一枚手渡してくれた。
「どこかで会えたら、聴かせてください」
僕は上手い言葉も返せず、ただ素直に感謝して別れた。
人通りの少ない天満屋デパートの前でも、今夜は頑張ってみようと心に決めた。
彼には、その後会えていない。いつか本当に会えるだろうか。
最後に、寮での花見の思い出を。
いつもギターケースを抱えてはビールを買ってた僕に、売店のオバちゃんがある日、花見に誘ってくれた。
僕が時々グラウンドで唄ってるのを、仕事帰りに見ていたらしい。
「明日、下のグラウンドで町内の花見があるんよ。
皆カラオケが好きじゃけぇ、唄ってくれたら喜ぶよ」
寮で暇を持て余してる同僚のH君に声をかけ、僕はその花見に参加した。
下手じゃったら帰れ言うで、と笑うオッチャンに、じゃあ大丈夫ですと答え、飲んでは唄い、唄っては飲んだ。
同僚は、見ず知らずの輪の中に平気で入っていく僕に驚いていたが、そのうち一緒に飲んで笑っていた。
そのうち、どこで嗅ぎつけてきたのか、医者に酒を止められてる年上のSさんが乱入し、気が付けばフェードアウトする様にグラウンドの隅で吐いていたっけ。
あの人は何をしに来たん、と失笑されるSさんを眺めながら、花見は楽しくお開きになった。
「秋には祭りがあるけえ、唄うてくれたら、皆また喜ぶよ」
そう言われて微笑んだ僕だったが、秋にはもう、いなくなっていた。
グラウンドの桜は、誰も見てくれなくとも、今年も見事に咲くのだろう。
でも、人間が美しく咲くには、見てくれる誰かを必要とするのかも知れない。
見つめたり、見つめられたりしながら、美しく咲き、人を咲かせる人間でありたい。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=117155757855294201939.0004585263f0a10720fca&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&ll=34.484999,133.369904&spn=0.000986,0.002132&z=19&iwloc=0004685178236964629ea
途中下車
最近は、列車旅も少なくなった。
おそらく、当てのない旅というのが少なくなってるからだと思う。
「いついつに」
「どこの街で」
という予定には、高速バスが安くて便利なのだ(※注1)。四日市の即興魔人[ひ]などは、夏が巡り来る毎に青春18切符(※注2)で旅に出てるけど。
いろんな兼ね合いがあり、思惑があり、それでも列車の旅は多かった。
今だって都市圏に行けば、何かしらの電車に乗ってる訳だし。
なのに旅唄い。
列車の乗り継ぎを上手にこなすための必須アイテム『時刻表』を、未だに活用しない。
要は、持ち歩いてないのだ。
愛車にまたがり風を切るライダーならば道路地図が欠かせない様に、列車を乗り継いで移動する歌唄いには、ギターとポケットウイスキー(※注3)に時刻表というのは、三種の神器とも言えるだろう。
差し詰め、ギターが天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)なら、時刻表は八咫鏡(やたのかがみ)か。
すると、ウイスキーは八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)だな。この玉、いちばん使い道が解らんし。
普通の感覚では、列車の乗り継ぎは待ち時間が少ない方が良いのだろう。
何より、目的地に向かう列車でないと意味はなく、その先が続くと思っていたら「○○線は、ここで終わりです」
なんて羽目には誰も遭いたくないはず。
だけど、ある時期の僕にはそれでも良かったのだ。
僕にとっての列車は、ガタゴトと揺られながら景色を眺めてるうちに、知らない街へ運んでくれる楽しい乗り物でさえあれば良かった。
行き止まりのような駅ならば、そこで唄ってみるもよし、何もなさそうならば、また戻れば良かった。
「47都道府県制覇」といった明快な目的もなく、終わりなんて見えない旅の中で、どんな駅だろうが僕にとってはすべてが途中下車地だった。
という訳で八咫鏡を持たない旅唄いは、出発駅で路線図だけを眺めると、おもむろに列車に乗り込んでいた。
おかげで乗り継ぎ駅で1~2時間も待ったりという事は、ざらにあった。
ひどい時期には200円ぐらいの切符を買っては、何も考えずに電車へ乗り込んでいた。
そういう時に気にしているのは、上りか下りだけ。
そんなだから、時には2駅で降りる羽目になり、時には眠りこけ、更には眠ってるうちに3往復ぐらいして元に戻っていたりもした(※注4)。
あえて数往復を狙っている時もあり
理由は、前日に寝る場所もなく彷徨い、疲れきった身体を癒すためだ。
それから、もうひとつ。
ガラガラの始発に座れたが、やがてラッシュが始まって身動きが取れない場合。
荷物が多い旅唄いは、なるべくならラッシュに巻き込まれたくないし、乗降時に迷惑もかけたくない。
僕が今でも路線バスに乗るのを嫌うのは、乗り降りで周囲に迷惑をかけるからなのだ。たまに勘違い野郎が大きいキャリーバッグをこれ見よがしに引きずって、4人掛けの対面席を当然の様に陣取ってる光景を見るが、ああいうのはもう、どうにかして欲しい。
ちょっと、愚痴っぽくなったな。
途中下車は、目的地へ向かうまでの道のりで、文字のごとく途中で寄り道をする事。
焦らず、のんびり、ゆっくり行けばいいよなんて、上辺だけ優しいJ-POP染みた事も言いたくないけど、その旅が、もしも急がないものならば、途中下車もいいだろう。
理由もなく降り立ったのなら、何かあるかもなんて期待しなくていい。
理由を探せたなら、それはそれで素敵。
どこで寄り道をするかは、重要じゃない。
大事な事は、向かうべき方向を見据えている事。
その心が願った寄り道なら、その心に訴えるほどの駅ならば、見知らぬ小さな駅もまた、思い出話ぐらいにはなるだろう。
ずいぶん前、三重県は四日市に向かう途中。
乗り継ぎを失敗して紛れ込んだのは閑散とした駅だったけれど、思いもかけず可愛らしいヒマワリが迎えてくれた。
それだけで、昨夜の寝不足は吹き飛んだっけ。
長い旅の中。 渋滞さえ楽しむ旅は、途中下車の気分とよく似ている。

注1: 高速バスは安さで勝るものがない代わり、とんでもない早朝に目的地で下ろされる。
行き場をなくしてはネットカフェに入り、結局は余計な出費を増やすデメリットもまたある。
注2:僕はもう18歳じゃないからダメだな、なんて思ってたのは遠い昔。
18切符を使ってみたいのは山々だけど、あれは計画性も必要になってくるため、今もまだ使っていない。
春先のヤツが、せめて3週間くらい使えると助かる。
注3:「ポケットのウイスキー空けたら もう一度雪を待とう~」で始まるのは、手塚幸の名曲『西高東低』だが
「普通の人はポケットにウイスキーなんか入れてない」という事もまた、真実。
最近、東京の旅流草一郎のスキットルを奪ったままなので、中に何を入れて返そうか思案中。
注4:山手線でそれをやると、今では規定時間オーバーにより自動改札ではじかれる。
移動目的でなく、先に書いた理由で行き場のないホームレスが延々と眠りこけたり、はたまたエッチな犯罪や鋭利な犯罪目的で乗車してるとみなされるからだろう。
まあ、仕方ないといえば仕方ない。
おそらく、当てのない旅というのが少なくなってるからだと思う。
「いついつに」
「どこの街で」
という予定には、高速バスが安くて便利なのだ(※注1)。四日市の即興魔人[ひ]などは、夏が巡り来る毎に青春18切符(※注2)で旅に出てるけど。
いろんな兼ね合いがあり、思惑があり、それでも列車の旅は多かった。
今だって都市圏に行けば、何かしらの電車に乗ってる訳だし。
なのに旅唄い。
列車の乗り継ぎを上手にこなすための必須アイテム『時刻表』を、未だに活用しない。
要は、持ち歩いてないのだ。
愛車にまたがり風を切るライダーならば道路地図が欠かせない様に、列車を乗り継いで移動する歌唄いには、ギターとポケットウイスキー(※注3)に時刻表というのは、三種の神器とも言えるだろう。
差し詰め、ギターが天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)なら、時刻表は八咫鏡(やたのかがみ)か。
すると、ウイスキーは八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)だな。この玉、いちばん使い道が解らんし。
普通の感覚では、列車の乗り継ぎは待ち時間が少ない方が良いのだろう。
何より、目的地に向かう列車でないと意味はなく、その先が続くと思っていたら「○○線は、ここで終わりです」
なんて羽目には誰も遭いたくないはず。
だけど、ある時期の僕にはそれでも良かったのだ。
僕にとっての列車は、ガタゴトと揺られながら景色を眺めてるうちに、知らない街へ運んでくれる楽しい乗り物でさえあれば良かった。
行き止まりのような駅ならば、そこで唄ってみるもよし、何もなさそうならば、また戻れば良かった。
「47都道府県制覇」といった明快な目的もなく、終わりなんて見えない旅の中で、どんな駅だろうが僕にとってはすべてが途中下車地だった。
という訳で八咫鏡を持たない旅唄いは、出発駅で路線図だけを眺めると、おもむろに列車に乗り込んでいた。
おかげで乗り継ぎ駅で1~2時間も待ったりという事は、ざらにあった。
ひどい時期には200円ぐらいの切符を買っては、何も考えずに電車へ乗り込んでいた。
そういう時に気にしているのは、上りか下りだけ。
そんなだから、時には2駅で降りる羽目になり、時には眠りこけ、更には眠ってるうちに3往復ぐらいして元に戻っていたりもした(※注4)。
あえて数往復を狙っている時もあり
理由は、前日に寝る場所もなく彷徨い、疲れきった身体を癒すためだ。
それから、もうひとつ。
ガラガラの始発に座れたが、やがてラッシュが始まって身動きが取れない場合。
荷物が多い旅唄いは、なるべくならラッシュに巻き込まれたくないし、乗降時に迷惑もかけたくない。
僕が今でも路線バスに乗るのを嫌うのは、乗り降りで周囲に迷惑をかけるからなのだ。たまに勘違い野郎が大きいキャリーバッグをこれ見よがしに引きずって、4人掛けの対面席を当然の様に陣取ってる光景を見るが、ああいうのはもう、どうにかして欲しい。
ちょっと、愚痴っぽくなったな。
途中下車は、目的地へ向かうまでの道のりで、文字のごとく途中で寄り道をする事。
焦らず、のんびり、ゆっくり行けばいいよなんて、上辺だけ優しいJ-POP染みた事も言いたくないけど、その旅が、もしも急がないものならば、途中下車もいいだろう。
理由もなく降り立ったのなら、何かあるかもなんて期待しなくていい。
理由を探せたなら、それはそれで素敵。
どこで寄り道をするかは、重要じゃない。
大事な事は、向かうべき方向を見据えている事。
その心が願った寄り道なら、その心に訴えるほどの駅ならば、見知らぬ小さな駅もまた、思い出話ぐらいにはなるだろう。
ずいぶん前、三重県は四日市に向かう途中。
乗り継ぎを失敗して紛れ込んだのは閑散とした駅だったけれど、思いもかけず可愛らしいヒマワリが迎えてくれた。
それだけで、昨夜の寝不足は吹き飛んだっけ。
長い旅の中。 渋滞さえ楽しむ旅は、途中下車の気分とよく似ている。
注1: 高速バスは安さで勝るものがない代わり、とんでもない早朝に目的地で下ろされる。
行き場をなくしてはネットカフェに入り、結局は余計な出費を増やすデメリットもまたある。
注2:僕はもう18歳じゃないからダメだな、なんて思ってたのは遠い昔。
18切符を使ってみたいのは山々だけど、あれは計画性も必要になってくるため、今もまだ使っていない。
春先のヤツが、せめて3週間くらい使えると助かる。
注3:「ポケットのウイスキー空けたら もう一度雪を待とう~」で始まるのは、手塚幸の名曲『西高東低』だが
「普通の人はポケットにウイスキーなんか入れてない」という事もまた、真実。
最近、東京の旅流草一郎のスキットルを奪ったままなので、中に何を入れて返そうか思案中。
注4:山手線でそれをやると、今では規定時間オーバーにより自動改札ではじかれる。
移動目的でなく、先に書いた理由で行き場のないホームレスが延々と眠りこけたり、はたまたエッチな犯罪や鋭利な犯罪目的で乗車してるとみなされるからだろう。
まあ、仕方ないといえば仕方ない。
福井
片町、といえば北陸・金沢市の繁華街。
だけど今回、僕が唄うのはお隣、福井市の片町。
その頃ちょっとだけ賢くなった僕は、繁華街の名前だけは事前に調べていた。
人との約束が少しずつ入り始めた頃で、金沢はその次の目的地だった。
数日後にそこで、ある男と落ち合う約束だ。
僕と同じ様に旅を礎に唄い続けている男で、香川のコンテストで僕が見事に負けた男だ。
というか、僕はコンテストそのものに負けていたっけ。
コンテスト中に、投げ銭をせがんでいてはいけないという話。
片町の繁華街入り口のアーチには 『FUKUI KATAMACHI』 と書いてある。
規模と知名度でいけば金沢に及ばないという謙虚さか、はたまた決して勝てない悔しさからだろうか。
ま、おかげで目的地探しには悩まなかった街だ。
それに、僕にはちょうど良い大きさの街だ。
市内を路面電車が走る姿は、やはりどこかで落ち着くものだった。
福井へ流れてきたのは、山陰からじゃなかったかと思う。
そう書いてるうちに、そうだったと確信した。
僕にとっては馴染みの出雲、米子と唄ってるうちはまずまずの調子だった。
「まずまず」なんて書くと語弊があるな。要は自分のモチベーションだ。
そのモチベーションを最低限で保つものが収入でもあるのだが、何より兵庫県の日本海側に突入して処女地が続いたため、その都度テンションのアップダウンが激しかった。
兵庫県の豊岡で唄い出すまでに、どれだけの土地を唄わずに通り過ぎた事か。
耳覚えだけで寄ってみた香住も城之崎温泉も、僕が夜通し唄うにはハードルが高かった。
声を張り上げても問題なさそうな場所が見当たらず、正真正銘の無一文で辿り着いた豊岡も、また厳しい立地だった。
その豊岡で、それでも奇跡的に3日ぶりのまとまった収入(4千円ほどだったか)が入ってテンションを上げた僕は、ようやく気分が楽になったものだ。
ただ、楽になったら次は逆にアルコールでテンションが上がってしまった。
テンションの無駄なアップダウンは、とても疲れる。そこが一人旅における、弱点のひとつかも知れない。
降り立ったJR福井駅の前は、すっきりとして見えた。
僕は初めての町を儀式の様にひと眺めして、いつものタウンページで『順化』という地名を確認した。今夜、唄う事になるはずの街だ。それから地図で、そこがさほど遠くない場所である事も確認すると、時間は十二分に残る。
まだ明るい福井の街を、僕は歩いた。
いつもそうする様に、方角だけをなんとなく見当付けて、わざと迂回しながら歩き出した。
駅から左側のうらぶれた商店街で名物のソースカツ丼の店を見つけると、後で食おうかと手持ちを確認した。
それからまた街中をひた歩くと、今度は思いの外に賑やかな通りへと抜けた。
失礼だが、北陸ではまだ金沢と富山でしか唄ってなかった僕は、この賑わいも福井まで南下したら終わっているんじゃないかと勝手に想像していたのだ。それほどに、京都から西の日本海側で食えない思いをしていた。
だから僕は、ギターケースを抱え、キャリーを転がして歩くには不似合いな雑踏の中を、足早に歩き去った。不似合いなのは荷物のせいじゃなく、僕の汚れた風貌だ。
先日、薄ら寒くなってきた9月の夜風に耐えられずに福知山で買った長袖Tシャツも、もうすでに着続けて4日目だった。10月の熊本は汗だくになったが、9月末の日本海側は陽が翳れば冷える。
秋晴れの空を、数羽の鳥が横切る。
アスファルトに塗られた白線の上で、キャリーケースの車輪がガタガタと音を立てる。
僕は、順化、という読み方も分からない町名を目指して歩く。
初めての街で唄う不安が、なのに今日は、心なしか薄れていく。
根拠はなかった。
あるとすれば、それは浮かれ気分で山陰を後にして、一度はボロボロになった事実だけだ。
小学生の男の子からもらった300円で、二日ぶりにカップラーメンを啜った時の侘しさとありがたみだけだ。珍しく一万円札でもポケットに入って、昼間っからビールでも飲んで、公園で古本でも読んでる時には決して感じない、ニュートラルな心の静けさだった。
大方の目安どおりに片町の繁華街入り口へ到達した僕は、いつもなら散策する路地裏を、今日だけは歩かなかった。
夜にならなければ、結局は分からない事だ。
時刻は、午後6時。
まだ陽は翳らず、空に蒼は生きている。
僕は、1枚残した千円札を手に確かめ、駅前へと戻った。
名物・小川のソースかつ丼と、煙草に缶ビール。
それで十分だ。
それで、今夜も唄い出せるだろう。

http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=117155757855294201939.0004585263f0a10720fca&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&ll=36.346103,136.389771&spn=1.955576,4.394531&z=8
※画像転載
http://cityphoto.fc2web.com/machi/18fukui/fukui/fukui.html
だけど今回、僕が唄うのはお隣、福井市の片町。
その頃ちょっとだけ賢くなった僕は、繁華街の名前だけは事前に調べていた。
人との約束が少しずつ入り始めた頃で、金沢はその次の目的地だった。
数日後にそこで、ある男と落ち合う約束だ。
僕と同じ様に旅を礎に唄い続けている男で、香川のコンテストで僕が見事に負けた男だ。
というか、僕はコンテストそのものに負けていたっけ。
コンテスト中に、投げ銭をせがんでいてはいけないという話。
片町の繁華街入り口のアーチには 『FUKUI KATAMACHI』 と書いてある。
規模と知名度でいけば金沢に及ばないという謙虚さか、はたまた決して勝てない悔しさからだろうか。
ま、おかげで目的地探しには悩まなかった街だ。
それに、僕にはちょうど良い大きさの街だ。
市内を路面電車が走る姿は、やはりどこかで落ち着くものだった。
福井へ流れてきたのは、山陰からじゃなかったかと思う。
そう書いてるうちに、そうだったと確信した。
僕にとっては馴染みの出雲、米子と唄ってるうちはまずまずの調子だった。
「まずまず」なんて書くと語弊があるな。要は自分のモチベーションだ。
そのモチベーションを最低限で保つものが収入でもあるのだが、何より兵庫県の日本海側に突入して処女地が続いたため、その都度テンションのアップダウンが激しかった。
兵庫県の豊岡で唄い出すまでに、どれだけの土地を唄わずに通り過ぎた事か。
耳覚えだけで寄ってみた香住も城之崎温泉も、僕が夜通し唄うにはハードルが高かった。
声を張り上げても問題なさそうな場所が見当たらず、正真正銘の無一文で辿り着いた豊岡も、また厳しい立地だった。
その豊岡で、それでも奇跡的に3日ぶりのまとまった収入(4千円ほどだったか)が入ってテンションを上げた僕は、ようやく気分が楽になったものだ。
ただ、楽になったら次は逆にアルコールでテンションが上がってしまった。
テンションの無駄なアップダウンは、とても疲れる。そこが一人旅における、弱点のひとつかも知れない。
降り立ったJR福井駅の前は、すっきりとして見えた。
僕は初めての町を儀式の様にひと眺めして、いつものタウンページで『順化』という地名を確認した。今夜、唄う事になるはずの街だ。それから地図で、そこがさほど遠くない場所である事も確認すると、時間は十二分に残る。
まだ明るい福井の街を、僕は歩いた。
いつもそうする様に、方角だけをなんとなく見当付けて、わざと迂回しながら歩き出した。
駅から左側のうらぶれた商店街で名物のソースカツ丼の店を見つけると、後で食おうかと手持ちを確認した。
それからまた街中をひた歩くと、今度は思いの外に賑やかな通りへと抜けた。
失礼だが、北陸ではまだ金沢と富山でしか唄ってなかった僕は、この賑わいも福井まで南下したら終わっているんじゃないかと勝手に想像していたのだ。それほどに、京都から西の日本海側で食えない思いをしていた。
だから僕は、ギターケースを抱え、キャリーを転がして歩くには不似合いな雑踏の中を、足早に歩き去った。不似合いなのは荷物のせいじゃなく、僕の汚れた風貌だ。
先日、薄ら寒くなってきた9月の夜風に耐えられずに福知山で買った長袖Tシャツも、もうすでに着続けて4日目だった。10月の熊本は汗だくになったが、9月末の日本海側は陽が翳れば冷える。
秋晴れの空を、数羽の鳥が横切る。
アスファルトに塗られた白線の上で、キャリーケースの車輪がガタガタと音を立てる。
僕は、順化、という読み方も分からない町名を目指して歩く。
初めての街で唄う不安が、なのに今日は、心なしか薄れていく。
根拠はなかった。
あるとすれば、それは浮かれ気分で山陰を後にして、一度はボロボロになった事実だけだ。
小学生の男の子からもらった300円で、二日ぶりにカップラーメンを啜った時の侘しさとありがたみだけだ。珍しく一万円札でもポケットに入って、昼間っからビールでも飲んで、公園で古本でも読んでる時には決して感じない、ニュートラルな心の静けさだった。
大方の目安どおりに片町の繁華街入り口へ到達した僕は、いつもなら散策する路地裏を、今日だけは歩かなかった。
夜にならなければ、結局は分からない事だ。
時刻は、午後6時。
まだ陽は翳らず、空に蒼は生きている。
僕は、1枚残した千円札を手に確かめ、駅前へと戻った。
名物・小川のソースかつ丼と、煙草に缶ビール。
それで十分だ。
それで、今夜も唄い出せるだろう。

http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=117155757855294201939.0004585263f0a10720fca&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&ll=36.346103,136.389771&spn=1.955576,4.394531&z=8
※画像転載
http://cityphoto.fc2web.com/machi/18fukui/fukui/fukui.html
岐阜 その2
反省しております。
前回は、少々おふざけが過ぎた様子で。。
今回は決して寄り道の無いよう、したためていきたいと思いますので…
~岐阜・柳ケ瀬編の続き~
時刻は午後の10時を迎えようとしている、岐阜市の歓楽街・柳ケ瀬通。
旅唄い・手塚幸は、おっかなそうな飲み屋街の住人に怯えてしまい、路上演奏を始められないでいるのだった。
昔っから、唄い出す前に許可をもらおうなんざ考えると、ろくな事がない。
「ここで演奏しようと思うんですが」
と、隣のラーメン屋さんに訊ねたら、わざわざ敷地のお店のオーナーさんに話を繋いでくれたものの
「この辺は、若い人いないから…」
という理由で、やんわり断られた別府。
それから
「ここで唄ったら、迷惑ですかね?」
と低姿勢で訊ねたが
「ええ、非常に」
と冷たく断られた下関。
結局は、苦情が出たら退散するつもりで、強引に唄い出すのが最良の手段なのだ。
30歳を過ぎてるとはいえ若造に見られがちな僕。
古くからの飲み屋街で、うるさいだけの(と思われてしまう)歌をジャカジャカやられても迷惑なんだろう。
実際は、歌ってしまえば古き良き時代の(と思われるらしい)フォークソングや歌謡曲中心で、年配の方にこそ受けが良いのだが。
そう。
いつだって、唄ってしまえばどうにかなった。
柳ケ瀬通のど真ん中、とはいかないが、外れでもいいから唄ってみればいい。
大通りに向かって、車がバンバン通ってる道ならば、苦情もないだろう。
そう決意し、僕はグラスに最後のビールを注いだ。
これを飲み干したら、どこかで唄おう。
そんな苦渋の決意に満ちた僕に、ラーメン屋のオバちゃんが声をかけてくる。
「お兄さんは、音楽の方?」
僕は反射的に営業スマイルで
「ええ。あちこち回って唄ってるんですけど、今夜は柳ケ瀬で唄わせてもらおうと思って」
などと、いつもの様に分からない人には分からない受け答えをした。
しかし、オバちゃんは理解してくれた様子で
「そう…遠くからまあ…頑張ってね」
と返してくれた。
地元民の応援を受けた僕は、少し心強くなった。
唄いに出るなら、この瞬間しかない。
「ご馳走様です」
僕は荷物を手に、お勘定を頼んだ。
そしてチラチラと壁を見ながら計算済みの小銭をポケットから総動員させている、その時だ。
あれ…足りない…。
計算上の数字に、あと100円ほど足りない…
僕は急激に青ざめた。
なぜだ?
どうして足りないんだ?
するとキャリーケースの中から、双子の鬼ころしがキャッキャと笑った。
こいつらか!!!
なんと調子に乗って追加したビールの予算は、すでに鬼ころし2パックで支払い済みだったのだ。
頭の中を、言い訳がグルグルと駆け巡る。
皿洗い・・・
いや、1曲唄って・・・
ダメだ! もっとこう、身分を証明するものとか・・・
無い ・゚・(*ノД`*)・゚・。
明細を持ったオバちゃんが、にこやかに僕を見ている。
僕も笑顔のつもりだが、足が震えそうになる。
そして審判の言葉。
「はい、これね」
僕の口から謝罪の言葉が、まさに出ようとした瞬間
あれ…?
少ない…。
ビール1本分、少ない。
もしやオバちゃん、追加分のビールを計算してないのか!?
これなら足りるじゃないか。
僕の心に、マンガでよく見る悪魔が囁きかけた。
「イェーイ、ラッキー」
だが、お決まりの事で、天使も反撃に出た。
「で…でも、よくないんじゃないかなぁ…
そりゃ、オバちゃんが悪いんだけど
でも…よく、ないんじゃないかなあ…」
天使は頼りなかった。
頼りなかったが、なんとか勝利し、僕は恐る恐る自分の首を絞めるように問いかけた。
「あの…これ…」
皆まで言い終わる前に、オバちゃんが笑う。
「サービスしといたから、頑張ってね」
オバちゃ~~~~~~ん!!
。゚:;。+゚(ノω・、)゚+。::゚。:.゚。+。
という事で、深々とお辞儀をした僕に残された道は、さっさと唄い出す事だ。
もう、呼び込みさんが恐いとか言ってられない。
時はゴールデンウイーク明け、平日の飲み屋街。
人は、少ない。
それがどうした。
柳ケ瀬通4丁目入り口の銀行前に陣取った僕は、黙々と準備に入った。
大通りでなく、少しでもアーケード内に入り込んだのは、ギリギリの意地だ。
折りたたみのギタースタンド。
譜面立て。
投げ銭入れのニット帽子。
そして、ギター。
鬼ころし1号も忘れずに。
物々しく始まった作業に、興味本位の呼び込みさんが様子を伺いに来る。
僕は愛想笑いでかわし、歌詞ばかり書き殴った譜面に集中した。
チューニングもそこそこ、静かな静かな柳ケ瀬通にギターが響き始めた。
「上手いねえ」
最初に覗きに来た呼び込みさんだった。
やった…。
それは良くある社交辞令だったかも知れないが、僕は心の底から救われた。
騒々しくてすみませんね、とは返事したものの、もう声を抑える事はしなかった。
いつもならリクエストされるまで唄わない欧陽菲菲も河島英五も、遠慮なく唄った。
まずは、今のうちに受け入れてもらえ。ベタでもなんでもいい、メジャーな歌を唄おう。
未だかつてない緊張感からなんとか解放され、僕は一度ギターを置くと、呼び込みさん達が数人たむろする店の前へ挨拶に行った。
どこから来たの? 岐阜もヒマでゴメンね~、と歓迎ムードで、クラブの社長さんからは生ビールのジョッキまで差し入れてもらった。それから最初に声をかけてくれた方にはチップまで頂いた。
案ずるより…とは言うが、まさに絵に描いたような取り越し苦労だった。
その後は、仕事で愛知から来てるという男性や、陽気なオジさんの集団やらで、度々盛り上がった柳ケ瀬。
トイレは、タクシー会社のやつを使わせてもらった柳ケ瀬。
ありがとう柳ケ瀬。
午前1時を回った終わり際、明日もいるの? と訊かれたが、残念ながら僕には北陸へ急ぐ予定があった。
しかし、必ずまた柳ケ瀬で唄わせてもらう事を心に決めた。
ラーメン屋のオバちゃんに無事に唄い終えた報告をして、アーケードにネットカフェがあった様なので歩いてみた。
ゲームセンターと100円ショップが合体したようなその店で、お決まりの身分証話にケリをつけていると、後ろから声がした。
さっき歌を聴いてくれた、名古屋から来てると言った男性だった。
「もったいない! お前、うちに来い!」
強引だった。
遠慮したものの相当に酔っ払った様子で、これはとりあえず付いて行くしかないと歩いた先はマンスリーマンションだった。
「いちばん上に、コインシャワーがあるでな。
それで終わったら、3階の○○号室にいるから
ピンポンして」
そう告げられ、僕は薄暗い廊下に取り残された。
なんとなく直感で分かっていたが、恐らくこれはシャワーを浴びて戻っても誰も出て来ない気がする。
その男性、寝ながら歩いてたし。
制限時間の壊れたシャワーは100円で浴び放題だったが、案の定ビンゴで、告げられた部屋のピンポンを押しても、ウンともスンとも返事はなかった。
よくある事だとあきらめ、僕はお礼のメモをドアに挟み、再び薄暗いシャワーフロアへ舞い戻った。
ちょっと湿った床を拭けば、脱衣所で丸くなって眠れる。
ギターに湿気が気になったが、どうしようもない。
泊めてやる、とマンションまで連れて行かれて待たされた挙句、1時間経っても誰も戻って来なかった事だってある。
こんな所で眠れる自分を笑いながら眠りに付き、僕は明日、高山に行ってみようかと思っていた。
そして朝方に突然ドアを開けられ
短い悲鳴と共に立ち尽くす住人と思しき女性に起こされた。
どうやら女性用だったらしい(鍵の意味なし)。
が、寝起きでも状況把握は早い旅唄い。
呆然としてる女性の横を大荷物ですり抜けると
「すんませ~ん」
と謝りながら、明け始めた岐阜の街へと出て行くのであった。
通報されなくて良かった。。。
Googleマイマップ「西高東低~南高北低」
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=117155757855294201939.0004585263f0a10720fca&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&ll=35.419423,136.757142&spn=0.000839,0.002199&z=19
前回は、少々おふざけが過ぎた様子で。。
今回は決して寄り道の無いよう、したためていきたいと思いますので…
~岐阜・柳ケ瀬編の続き~
時刻は午後の10時を迎えようとしている、岐阜市の歓楽街・柳ケ瀬通。
旅唄い・手塚幸は、おっかなそうな飲み屋街の住人に怯えてしまい、路上演奏を始められないでいるのだった。
昔っから、唄い出す前に許可をもらおうなんざ考えると、ろくな事がない。
「ここで演奏しようと思うんですが」
と、隣のラーメン屋さんに訊ねたら、わざわざ敷地のお店のオーナーさんに話を繋いでくれたものの
「この辺は、若い人いないから…」
という理由で、やんわり断られた別府。
それから
「ここで唄ったら、迷惑ですかね?」
と低姿勢で訊ねたが
「ええ、非常に」
と冷たく断られた下関。
結局は、苦情が出たら退散するつもりで、強引に唄い出すのが最良の手段なのだ。
30歳を過ぎてるとはいえ若造に見られがちな僕。
古くからの飲み屋街で、うるさいだけの(と思われてしまう)歌をジャカジャカやられても迷惑なんだろう。
実際は、歌ってしまえば古き良き時代の(と思われるらしい)フォークソングや歌謡曲中心で、年配の方にこそ受けが良いのだが。
そう。
いつだって、唄ってしまえばどうにかなった。
柳ケ瀬通のど真ん中、とはいかないが、外れでもいいから唄ってみればいい。
大通りに向かって、車がバンバン通ってる道ならば、苦情もないだろう。
そう決意し、僕はグラスに最後のビールを注いだ。
これを飲み干したら、どこかで唄おう。
そんな苦渋の決意に満ちた僕に、ラーメン屋のオバちゃんが声をかけてくる。
「お兄さんは、音楽の方?」
僕は反射的に営業スマイルで
「ええ。あちこち回って唄ってるんですけど、今夜は柳ケ瀬で唄わせてもらおうと思って」
などと、いつもの様に分からない人には分からない受け答えをした。
しかし、オバちゃんは理解してくれた様子で
「そう…遠くからまあ…頑張ってね」
と返してくれた。
地元民の応援を受けた僕は、少し心強くなった。
唄いに出るなら、この瞬間しかない。
「ご馳走様です」
僕は荷物を手に、お勘定を頼んだ。
そしてチラチラと壁を見ながら計算済みの小銭をポケットから総動員させている、その時だ。
あれ…足りない…。
計算上の数字に、あと100円ほど足りない…
僕は急激に青ざめた。
なぜだ?
どうして足りないんだ?
するとキャリーケースの中から、双子の鬼ころしがキャッキャと笑った。
こいつらか!!!
なんと調子に乗って追加したビールの予算は、すでに鬼ころし2パックで支払い済みだったのだ。
頭の中を、言い訳がグルグルと駆け巡る。
皿洗い・・・
いや、1曲唄って・・・
ダメだ! もっとこう、身分を証明するものとか・・・
無い ・゚・(*ノД`*)・゚・。
明細を持ったオバちゃんが、にこやかに僕を見ている。
僕も笑顔のつもりだが、足が震えそうになる。
そして審判の言葉。
「はい、これね」
僕の口から謝罪の言葉が、まさに出ようとした瞬間
あれ…?
少ない…。
ビール1本分、少ない。
もしやオバちゃん、追加分のビールを計算してないのか!?
これなら足りるじゃないか。
僕の心に、マンガでよく見る悪魔が囁きかけた。
「イェーイ、ラッキー」
だが、お決まりの事で、天使も反撃に出た。
「で…でも、よくないんじゃないかなぁ…
そりゃ、オバちゃんが悪いんだけど
でも…よく、ないんじゃないかなあ…」
天使は頼りなかった。
頼りなかったが、なんとか勝利し、僕は恐る恐る自分の首を絞めるように問いかけた。
「あの…これ…」
皆まで言い終わる前に、オバちゃんが笑う。
「サービスしといたから、頑張ってね」
オバちゃ~~~~~~ん!!
。゚:;。+゚(ノω・、)゚+。::゚。:.゚。+。
という事で、深々とお辞儀をした僕に残された道は、さっさと唄い出す事だ。
もう、呼び込みさんが恐いとか言ってられない。
時はゴールデンウイーク明け、平日の飲み屋街。
人は、少ない。
それがどうした。
柳ケ瀬通4丁目入り口の銀行前に陣取った僕は、黙々と準備に入った。
大通りでなく、少しでもアーケード内に入り込んだのは、ギリギリの意地だ。
折りたたみのギタースタンド。
譜面立て。
投げ銭入れのニット帽子。
そして、ギター。
鬼ころし1号も忘れずに。
物々しく始まった作業に、興味本位の呼び込みさんが様子を伺いに来る。
僕は愛想笑いでかわし、歌詞ばかり書き殴った譜面に集中した。
チューニングもそこそこ、静かな静かな柳ケ瀬通にギターが響き始めた。
「上手いねえ」
最初に覗きに来た呼び込みさんだった。
やった…。
それは良くある社交辞令だったかも知れないが、僕は心の底から救われた。
騒々しくてすみませんね、とは返事したものの、もう声を抑える事はしなかった。
いつもならリクエストされるまで唄わない欧陽菲菲も河島英五も、遠慮なく唄った。
まずは、今のうちに受け入れてもらえ。ベタでもなんでもいい、メジャーな歌を唄おう。
未だかつてない緊張感からなんとか解放され、僕は一度ギターを置くと、呼び込みさん達が数人たむろする店の前へ挨拶に行った。
どこから来たの? 岐阜もヒマでゴメンね~、と歓迎ムードで、クラブの社長さんからは生ビールのジョッキまで差し入れてもらった。それから最初に声をかけてくれた方にはチップまで頂いた。
案ずるより…とは言うが、まさに絵に描いたような取り越し苦労だった。
その後は、仕事で愛知から来てるという男性や、陽気なオジさんの集団やらで、度々盛り上がった柳ケ瀬。
トイレは、タクシー会社のやつを使わせてもらった柳ケ瀬。
ありがとう柳ケ瀬。
午前1時を回った終わり際、明日もいるの? と訊かれたが、残念ながら僕には北陸へ急ぐ予定があった。
しかし、必ずまた柳ケ瀬で唄わせてもらう事を心に決めた。
ラーメン屋のオバちゃんに無事に唄い終えた報告をして、アーケードにネットカフェがあった様なので歩いてみた。
ゲームセンターと100円ショップが合体したようなその店で、お決まりの身分証話にケリをつけていると、後ろから声がした。
さっき歌を聴いてくれた、名古屋から来てると言った男性だった。
「もったいない! お前、うちに来い!」
強引だった。
遠慮したものの相当に酔っ払った様子で、これはとりあえず付いて行くしかないと歩いた先はマンスリーマンションだった。
「いちばん上に、コインシャワーがあるでな。
それで終わったら、3階の○○号室にいるから
ピンポンして」
そう告げられ、僕は薄暗い廊下に取り残された。
なんとなく直感で分かっていたが、恐らくこれはシャワーを浴びて戻っても誰も出て来ない気がする。
その男性、寝ながら歩いてたし。
制限時間の壊れたシャワーは100円で浴び放題だったが、案の定ビンゴで、告げられた部屋のピンポンを押しても、ウンともスンとも返事はなかった。
よくある事だとあきらめ、僕はお礼のメモをドアに挟み、再び薄暗いシャワーフロアへ舞い戻った。
ちょっと湿った床を拭けば、脱衣所で丸くなって眠れる。
ギターに湿気が気になったが、どうしようもない。
泊めてやる、とマンションまで連れて行かれて待たされた挙句、1時間経っても誰も戻って来なかった事だってある。
こんな所で眠れる自分を笑いながら眠りに付き、僕は明日、高山に行ってみようかと思っていた。
そして朝方に突然ドアを開けられ
短い悲鳴と共に立ち尽くす住人と思しき女性に起こされた。
どうやら女性用だったらしい(鍵の意味なし)。
が、寝起きでも状況把握は早い旅唄い。
呆然としてる女性の横を大荷物ですり抜けると
「すんませ~ん」
と謝りながら、明け始めた岐阜の街へと出て行くのであった。
通報されなくて良かった。。。
Googleマイマップ「西高東低~南高北低」
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=117155757855294201939.0004585263f0a10720fca&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&ll=35.419423,136.757142&spn=0.000839,0.002199&z=19
岐阜その1
気がつくと、海のある土地ばかり流れていた。
日本で海のない県といえば、長野・群馬・埼玉・栃木・山梨・岐阜・滋賀、そして奈良の8県。
そのうち、行ってるのは埼玉・岐阜・滋賀・奈良だ。
旅の道すがら、少しでも唄って歩いた都道府県が30といくつかなので、割合的には少ない方だ。
海なし県が、というよりは関東圏が少ないのだが。
関東圏の場合、持ち前の天邪鬼と田舎者根性が威力を発揮して、旅を始めた当初は死ぬまで行かないかもなんて思っていたものだ。
ただ気が小さいだけの話で、今となっては恥ずかしい限りだ。
じゃあ海のない県はというと、これと言って理由が見当たらなかった。
周りに海がないからといって別にどこまでも山が続く訳がないのだし、沖縄のように
「一度、渡ったら、交通費が稼げずに帰ってこれないかも・・・」
なんて不安もない。
誰かさんみたいに徒歩とはいわずとも、なんとか陸路で生還出来るだろう。
まあ、恐らくはきっかけの問題だと思っていた。
が、ある日、もしかしたら僕は海のないところが怖いのかも知れないと感じる事件があった。
仲のいい新潟のミュージシャンが富山から埼玉まで車で移動するというのだが、何やら荷物も多かった様子なので手伝いがてら便乗して行った事がある。
その道中だった。
場所は長野県の松本から、車はカーナビに従って不慣れな県道をひた走っていた。
町の明かりが背中に遠くなると、次第に山深くなり、標高も増した。
高速ETC1000円の時代でもなかったので、貧乏ミュージシャンには仕方のない道のりだった。
その、まさに運命の山中で、僕らは1頭のシカに遭遇した。「うわっ・・・」
と、怯えながらも軽く笑いがひきつり
「出るんだね~」
などと動揺する心を軽くいなしたつもりだったが、そこから先にも出るわ出るわ。キツネの子供みたいなのは走り回るし、カモシカは直立不動で睨むし
極めつけは「もう、ここを抜けたら町だ~」と安心した矢先に
シカの大群(推定、15頭ほど)が車道を走り過ぎた。
お互いに海の近くで育ったシティボーイを自称していた僕らは
「山、恐え~~~!!」
と叫び、コンビニの灯りを見つけては安堵し、町の証である吉野家の看板に狂喜するのだった。
深層心理的に山に畏れを抱いていたのだろうが、この夜の出来事はそれを具象化するための追い討ちであり、トラウマになった。
そういう訳で、海の見える地域にはお調子者が蔓延るという仮説も立てられるかもしれない。
さあ、岐阜の話に進んでみよう。
近畿・中部を行動範囲に入れ、北陸もなかなかに楽しくなってきた僕は、いつも高速バスで素通りばかりしていた岐阜に降り立ってみようと思った。
実際には一度、とあるミュージシャンに誘われて野外の音楽イベントに出演させてもらっていたのだが、いわゆる僕のスタイルとしての『旅唄い』では、なかった。
自らの選択で、どこかで唄ってみようと思ったのだ。
一般の方なら、岐阜県で連想するのは何だろう。
観光の名物にもなっている、鵜飼いで有名な長良川だろうか。
そして、飛騨の小京都と呼ばれている高山も、それに挙げられるだろう。
(余談:『全国小京都会議』というのがあるらしいのだが、そこに高山は加盟していない)
しかし、僕がまず選んだのは『柳ヶ瀬ブルース』でお馴染みの歓楽街だった。
岐阜でいちばんの都市だから、ではなく『柳ヶ瀬ブルース』というのが、なんとも旅唄いっぽい理由だと思う。 ただし、僕はそれを唄わないのだけど。。。
時はゴールデンウイークで、僕は山陰を後にしていた。
その頃から首ったけだったマナカナさん(主にマナさん目当て)主演のNHK連続テレビ小説『だんだん』のロケが始まる直前だった島根県松江市から三重県津市へ南下し、また北上するという、僕ならではの動きだった。
その頃の事はマナカナさん主軸で記憶しているため、1年半経った今も鮮明だ。
学校を卒業した大人は生活の時系列を忘れがちだけど、好きなものがあると便利だと思う。
ちなみに10代後半から20代半ばまでの記憶時系列の主軸は、ALFEEのツアータイトルだ。
何の話だ。
マナカナさんに後ろ髪を引かれる思いで辿り着いた岐阜は、気持ちの問題だろうが新鮮だった。
初めて降り立つ土地なのだから新鮮なのは当然なんだけれど、僕の癖として
『いつも頭に日本地図』
というのがある。
今、立っている場所からの東西南北を考える時に日本地図レベルで考えてしまうのだ。
その地図が、やはり、こう語りかけているようだった。
「ねえねえ。ここ、なんか違うよ。海がないよ」
と、今なら旅の友をしてくれてる白熊のファビぞうが言ってくれそうな台詞を、頭の中の日本地図が囁くのだ。
この街は、勝手が違うかも知れない・・・と、ぼんやり感じていた。
ちなみにファビぞうに出会うのは、それから3週間後くらいの新潟だ。
ともかく僕は今夜の演奏場所になるであろう柳ヶ瀬に向かうため、到着したてのJR岐阜駅から北へ真っ直ぐ、金華橋通りを歩いた。
金華橋は長良川に掛かる橋で、ただし僕の目的地はそこまで行かないため、目にする事はなかった。
お目当ての柳ヶ瀬通までは、およそ1kmだ。
朝からの雨もあがり、よく晴れて暖かい。
時刻はまだ午後の4時頃で、周辺を散策した後はいつもの様に缶ビールを買って、その辺の公園で過ごそう。
そう考えながら金華橋通りを歩いていると、ペンキの剥がれたシャッターが見えた。
わずかに残った痕跡はカタカナで
ギ メ ラ
と読める。
ギメラ・・・。
なんの呪文だろうか。
ドラクエの、ギラとメラを足したような呪文か。
凄い街だ。
呪文屋さんがあるなんて、もしやRPGの世界に紛れ込んだのかもしれない。
「いや、たぶんギフカメラだよ。。。(心のツッコミ)」
つまらない話はさておき、誰も聞かないので言う機会のない話をひとつ。
初めての町で演奏するに当たって、僕は何を目安に移動するのか?
答えは、飲み屋街。
それは、どうやって調べるのか?
電話ボックスにあるNTTの黄色いタウンページ。
僕は初めての街・・・大抵は駅に降り立つと、真っ先に電話帳で『スナック』を調べる。
件数の多さで街の規模に見当をつけたら、そこに並ぶ店名も電話番号も関係なく、とにかく住所を眺める。
その中で登場回数の多い町名をいくつか覚え、駅前には必ずある地図でおおよその場所や距離を調べるのだ。
一時期は勘と雰囲気でなんとなく歩いて探していたのだけれど、そうすると駅前辺りに密集した飲み屋街がない街ではハズレくじを引いてしまうし、時間も浪費する。荷物がなければ楽しい散策になるのだが、必ずギターを抱えている旅唄いにそれは無理な相談。
ただ、この方法にも弱点はあって、それは大都市過ぎる場合、どこに見当を付けていいのか分からない事。
そして当然だけど『スナック』の欄が10行で終わってしまうような街(というか里・・・)に降り立った場合。
後者の場合は急いで次の目的地を探す事になるのだが、手持ちすべてで移動なんかすると、目も当てられない状況に陥ってしまう。
そんな街で起死回生した話は、いつか書く北海道・八雲編にて。
最近、話が脱線する事が多くなってる気がする。
先を急がねば。
柳ヶ瀬ヘ、レッツゴー。
しかし、そんな手馴れた作業にて滞りなくレッツゴーした岐阜の街だったが、頭の日本地図が囁いた違和感もサイレンに変わりつつあった。
柳ヶ瀬というのは言い切ってしまうと、アーケードそのままが飲み屋タウンなのだ。
右のビルも左のビルも、前も後ろも飲み屋的。
正確に書くと、柳ヶ瀬4丁目から5丁目を抜けるまでの区間が、まるっきり夜しか稼動していない感じなのだ。
こんな街は、初めてだった。
だから昼間に通っても閑散とした中で、ちょっと恐いお兄さんが怪しげに立っていたり
たとえ普通のお姉さんであろうともそこにいるだけで
Hな営業のお店の人が休憩でもしてるのかしら、という風に見えてしまう。
いわば風俗地帯なのだ。
したがって、夕方の時間を使ってキョロキョロと下見をしている段階から、僕は痛烈な視線に晒された。
ある人はダークなスーツ姿で腕組みをしたままジッと睨み(思い込みでなく本当に)、ある人はキャバクラの入り口に置いたパイプ椅子に座って煙草を吹かしながらこちらを伺い、ある人はポンポン手を叩きながら 「お兄さん、さっぱりしてったら~」 と笑顔で脅迫し(いや、これは普通か)、なんとも息の詰まる無言の攻防戦だった。
これは、とてもギター演奏なんて無理じゃないかと僕は思い始めた。
何せ、街の一角が隙間なく強力な組合になってるような地域なのだ。
経験上、旅の歌唄いなど、唄わずとも用意でも始めたら
「兄ちゃん、ここで演奏はやめてな」
とか
「何する気?」
とか、凄まれるのだ。
これはいったい、どうしたものか。
だがしかし、柳ヶ瀬もまだ夜の顔を出してはいない。
もしここに、夜の娯楽を求めた岐阜の酔っ払いが多勢で闊歩しようものなら、路上の歌唄いも
「あら、良い雰囲気ねえ」
くらいに落ち着くかもしれないのだ。
夜の魔法というのは、ネオンの魔法というのは、そういうものだ。
そして時刻は21時。
魔法は、掛からなかった。
いや、魔法はとっくの昔に、昼間っから掛かっていたのだろう。
夜の柳ヶ瀬に増えたものは大挙する酔っ払いでなく、貫禄に溢れたおっかなそうなオジサンばかりだった。
更に凄みを増した岐阜の不夜城では、店外で談笑する関係者の姿さえ、どこか余所者を受け入れない魔法に満ちていた。
苦手な解決策だったが、ひとつの案が閃いた。
ここはひとつ、単刀直入に訊いてみればいいのだ。
何も、取って食われる訳じゃなし。
僕は不夜城を真っ向から攻めるのは敬遠して、脇道を使って通りの半ば辺りまで入り込み(すでに弱気)、夕方と変わらず腕組みをしている竹○力によく似たダークスーツさんに声をかけてみた。
この界隈で唄っていいのか、単刀直入に聞くだけだ。
「あの、この辺で・・・(旅唄い)」
「アァ!?(竹○力)」
「こ・・・この辺で・・・ギターで唄って・・・る人とか、いいいませんよね?」全然、単刀直入じゃないし ( ´,_ゝ`)プッ
すると竹○力は、僕の頭のてっぺんから爪先まで睨みながら
「いねえよ、そんなの」
と吐き捨てるのであった。
僕もその力強さに言葉がつまり
「そ、そうですか。いや、僕は、よそから来たもんで、ここで、こっちの、地元の知人が、唄ってるって、聞いたもんで」
と冷や汗を流しながら、どうでもよさそうなウソで取り繕った。
訝しげな眼が、僕を捉えて離さない。
ひ~っ! 取って食われそう!
まあ、僕の貧相な身体じゃ不味いと諦めたのか、食われることは免れた。
免れたが、最後に竹○力は
「お兄さん、そういうのやりたいわけ?」
と、 「わけ?」 に最大限の睨みをきかせて言い放った。
無理です。
柳ヶ瀬。
21時30分。
僕の姿は、道路を挟んだ向かいのラーメン屋にあった。
この苦境をどうやって乗り切るか、今夜の相棒 キリン・クラシックラガー と相談しなければいけなかったからである。
「ねえねえ、ラガーくん。きみ、どう思う? 恐いよね、ナニワ金融の人。んぐんぐ・・・ぷはぁ」
「そうだねえ。恐かったねえ。ほら、もひとついかが? とくとくとく・・・しゅわぁ」
「おっとっと、ありがとう。じゃあ、今夜は、仕方がないからやめようか? んぐんぐ」
「そうだねえ、しゅわぁ」
そういう事で会議は終わりかけたのだが、テーブルの傍らでまだ一個残っていた シューマイくん が痛いところを突いてきた。
「で、どこで稼ぐのシュー?」
更に知りたくもない現実に触れてくれた。
「ぼくらのお金を払ったら、もうないよ。さっき、鬼ころしさんが二人も増えたシュー」
鬼ころしさん達はキャリーの中で、出番はまだかとワクワクしている。
彼女達(男を酔わすのは女性かと)は、いつも路上の友だ。
逆に言えば彼女達は、路上演奏時でないと登場できないのだ、
キャッキャと無邪気にはしゃぐ声は憧れのマナカナさん(主にマナさん)を思い起こさせた。
マナカナさん(特に、TVで向かって左の方)が、僕の歌を待っている・・・。
「そうだな・・・」
僕は呟くと、決意したように、ラーメン屋のオバちゃんに告げた。
「ぷはぁ。ビールもう1本ください」
ああ!!
どうなってしまうの柳ヶ瀬!!
知っているのミユキちゃん?
その追加オーダーは、さっき鬼ころしを買うまでの手持ち計算の上で行ってしまった事を。。。
~続く~
Googleマイマップ「西高東低~南高北低」
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=117155757855294201939.0004585263f0a10720fca&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&ll=35.419423,136.757142&spn=0.000839,0.002199&z=19
日本で海のない県といえば、長野・群馬・埼玉・栃木・山梨・岐阜・滋賀、そして奈良の8県。
そのうち、行ってるのは埼玉・岐阜・滋賀・奈良だ。
旅の道すがら、少しでも唄って歩いた都道府県が30といくつかなので、割合的には少ない方だ。
海なし県が、というよりは関東圏が少ないのだが。
関東圏の場合、持ち前の天邪鬼と田舎者根性が威力を発揮して、旅を始めた当初は死ぬまで行かないかもなんて思っていたものだ。
ただ気が小さいだけの話で、今となっては恥ずかしい限りだ。
じゃあ海のない県はというと、これと言って理由が見当たらなかった。
周りに海がないからといって別にどこまでも山が続く訳がないのだし、沖縄のように
「一度、渡ったら、交通費が稼げずに帰ってこれないかも・・・」
なんて不安もない。
誰かさんみたいに徒歩とはいわずとも、なんとか陸路で生還出来るだろう。
まあ、恐らくはきっかけの問題だと思っていた。
が、ある日、もしかしたら僕は海のないところが怖いのかも知れないと感じる事件があった。
仲のいい新潟のミュージシャンが富山から埼玉まで車で移動するというのだが、何やら荷物も多かった様子なので手伝いがてら便乗して行った事がある。
その道中だった。
場所は長野県の松本から、車はカーナビに従って不慣れな県道をひた走っていた。
町の明かりが背中に遠くなると、次第に山深くなり、標高も増した。
高速ETC1000円の時代でもなかったので、貧乏ミュージシャンには仕方のない道のりだった。
その、まさに運命の山中で、僕らは1頭のシカに遭遇した。「うわっ・・・」
と、怯えながらも軽く笑いがひきつり
「出るんだね~」
などと動揺する心を軽くいなしたつもりだったが、そこから先にも出るわ出るわ。キツネの子供みたいなのは走り回るし、カモシカは直立不動で睨むし
極めつけは「もう、ここを抜けたら町だ~」と安心した矢先に
シカの大群(推定、15頭ほど)が車道を走り過ぎた。
お互いに海の近くで育ったシティボーイを自称していた僕らは
「山、恐え~~~!!」
と叫び、コンビニの灯りを見つけては安堵し、町の証である吉野家の看板に狂喜するのだった。
深層心理的に山に畏れを抱いていたのだろうが、この夜の出来事はそれを具象化するための追い討ちであり、トラウマになった。
そういう訳で、海の見える地域にはお調子者が蔓延るという仮説も立てられるかもしれない。
さあ、岐阜の話に進んでみよう。
近畿・中部を行動範囲に入れ、北陸もなかなかに楽しくなってきた僕は、いつも高速バスで素通りばかりしていた岐阜に降り立ってみようと思った。
実際には一度、とあるミュージシャンに誘われて野外の音楽イベントに出演させてもらっていたのだが、いわゆる僕のスタイルとしての『旅唄い』では、なかった。
自らの選択で、どこかで唄ってみようと思ったのだ。
一般の方なら、岐阜県で連想するのは何だろう。
観光の名物にもなっている、鵜飼いで有名な長良川だろうか。
そして、飛騨の小京都と呼ばれている高山も、それに挙げられるだろう。
(余談:『全国小京都会議』というのがあるらしいのだが、そこに高山は加盟していない)
しかし、僕がまず選んだのは『柳ヶ瀬ブルース』でお馴染みの歓楽街だった。
岐阜でいちばんの都市だから、ではなく『柳ヶ瀬ブルース』というのが、なんとも旅唄いっぽい理由だと思う。 ただし、僕はそれを唄わないのだけど。。。
時はゴールデンウイークで、僕は山陰を後にしていた。
その頃から首ったけだったマナカナさん(主にマナさん目当て)主演のNHK連続テレビ小説『だんだん』のロケが始まる直前だった島根県松江市から三重県津市へ南下し、また北上するという、僕ならではの動きだった。
その頃の事はマナカナさん主軸で記憶しているため、1年半経った今も鮮明だ。
学校を卒業した大人は生活の時系列を忘れがちだけど、好きなものがあると便利だと思う。
ちなみに10代後半から20代半ばまでの記憶時系列の主軸は、ALFEEのツアータイトルだ。
何の話だ。
マナカナさんに後ろ髪を引かれる思いで辿り着いた岐阜は、気持ちの問題だろうが新鮮だった。
初めて降り立つ土地なのだから新鮮なのは当然なんだけれど、僕の癖として
『いつも頭に日本地図』
というのがある。
今、立っている場所からの東西南北を考える時に日本地図レベルで考えてしまうのだ。
その地図が、やはり、こう語りかけているようだった。
「ねえねえ。ここ、なんか違うよ。海がないよ」
と、今なら旅の友をしてくれてる白熊のファビぞうが言ってくれそうな台詞を、頭の中の日本地図が囁くのだ。
この街は、勝手が違うかも知れない・・・と、ぼんやり感じていた。
ちなみにファビぞうに出会うのは、それから3週間後くらいの新潟だ。
ともかく僕は今夜の演奏場所になるであろう柳ヶ瀬に向かうため、到着したてのJR岐阜駅から北へ真っ直ぐ、金華橋通りを歩いた。
金華橋は長良川に掛かる橋で、ただし僕の目的地はそこまで行かないため、目にする事はなかった。
お目当ての柳ヶ瀬通までは、およそ1kmだ。
朝からの雨もあがり、よく晴れて暖かい。
時刻はまだ午後の4時頃で、周辺を散策した後はいつもの様に缶ビールを買って、その辺の公園で過ごそう。
そう考えながら金華橋通りを歩いていると、ペンキの剥がれたシャッターが見えた。
わずかに残った痕跡はカタカナで
ギ メ ラ
と読める。
ギメラ・・・。
なんの呪文だろうか。
ドラクエの、ギラとメラを足したような呪文か。
凄い街だ。
呪文屋さんがあるなんて、もしやRPGの世界に紛れ込んだのかもしれない。
「いや、たぶんギフカメラだよ。。。(心のツッコミ)」
つまらない話はさておき、誰も聞かないので言う機会のない話をひとつ。
初めての町で演奏するに当たって、僕は何を目安に移動するのか?
答えは、飲み屋街。
それは、どうやって調べるのか?
電話ボックスにあるNTTの黄色いタウンページ。
僕は初めての街・・・大抵は駅に降り立つと、真っ先に電話帳で『スナック』を調べる。
件数の多さで街の規模に見当をつけたら、そこに並ぶ店名も電話番号も関係なく、とにかく住所を眺める。
その中で登場回数の多い町名をいくつか覚え、駅前には必ずある地図でおおよその場所や距離を調べるのだ。
一時期は勘と雰囲気でなんとなく歩いて探していたのだけれど、そうすると駅前辺りに密集した飲み屋街がない街ではハズレくじを引いてしまうし、時間も浪費する。荷物がなければ楽しい散策になるのだが、必ずギターを抱えている旅唄いにそれは無理な相談。
ただ、この方法にも弱点はあって、それは大都市過ぎる場合、どこに見当を付けていいのか分からない事。
そして当然だけど『スナック』の欄が10行で終わってしまうような街(というか里・・・)に降り立った場合。
後者の場合は急いで次の目的地を探す事になるのだが、手持ちすべてで移動なんかすると、目も当てられない状況に陥ってしまう。
そんな街で起死回生した話は、いつか書く北海道・八雲編にて。
最近、話が脱線する事が多くなってる気がする。
先を急がねば。
柳ヶ瀬ヘ、レッツゴー。
しかし、そんな手馴れた作業にて滞りなくレッツゴーした岐阜の街だったが、頭の日本地図が囁いた違和感もサイレンに変わりつつあった。
柳ヶ瀬というのは言い切ってしまうと、アーケードそのままが飲み屋タウンなのだ。
右のビルも左のビルも、前も後ろも飲み屋的。
正確に書くと、柳ヶ瀬4丁目から5丁目を抜けるまでの区間が、まるっきり夜しか稼動していない感じなのだ。
こんな街は、初めてだった。
だから昼間に通っても閑散とした中で、ちょっと恐いお兄さんが怪しげに立っていたり
たとえ普通のお姉さんであろうともそこにいるだけで
Hな営業のお店の人が休憩でもしてるのかしら、という風に見えてしまう。
いわば風俗地帯なのだ。
したがって、夕方の時間を使ってキョロキョロと下見をしている段階から、僕は痛烈な視線に晒された。
ある人はダークなスーツ姿で腕組みをしたままジッと睨み(思い込みでなく本当に)、ある人はキャバクラの入り口に置いたパイプ椅子に座って煙草を吹かしながらこちらを伺い、ある人はポンポン手を叩きながら 「お兄さん、さっぱりしてったら~」 と笑顔で脅迫し(いや、これは普通か)、なんとも息の詰まる無言の攻防戦だった。
これは、とてもギター演奏なんて無理じゃないかと僕は思い始めた。
何せ、街の一角が隙間なく強力な組合になってるような地域なのだ。
経験上、旅の歌唄いなど、唄わずとも用意でも始めたら
「兄ちゃん、ここで演奏はやめてな」
とか
「何する気?」
とか、凄まれるのだ。
これはいったい、どうしたものか。
だがしかし、柳ヶ瀬もまだ夜の顔を出してはいない。
もしここに、夜の娯楽を求めた岐阜の酔っ払いが多勢で闊歩しようものなら、路上の歌唄いも
「あら、良い雰囲気ねえ」
くらいに落ち着くかもしれないのだ。
夜の魔法というのは、ネオンの魔法というのは、そういうものだ。
そして時刻は21時。
魔法は、掛からなかった。
いや、魔法はとっくの昔に、昼間っから掛かっていたのだろう。
夜の柳ヶ瀬に増えたものは大挙する酔っ払いでなく、貫禄に溢れたおっかなそうなオジサンばかりだった。
更に凄みを増した岐阜の不夜城では、店外で談笑する関係者の姿さえ、どこか余所者を受け入れない魔法に満ちていた。
苦手な解決策だったが、ひとつの案が閃いた。
ここはひとつ、単刀直入に訊いてみればいいのだ。
何も、取って食われる訳じゃなし。
僕は不夜城を真っ向から攻めるのは敬遠して、脇道を使って通りの半ば辺りまで入り込み(すでに弱気)、夕方と変わらず腕組みをしている竹○力によく似たダークスーツさんに声をかけてみた。
この界隈で唄っていいのか、単刀直入に聞くだけだ。
「あの、この辺で・・・(旅唄い)」
「アァ!?(竹○力)」
「こ・・・この辺で・・・ギターで唄って・・・る人とか、いいいませんよね?」全然、単刀直入じゃないし ( ´,_ゝ`)プッ
すると竹○力は、僕の頭のてっぺんから爪先まで睨みながら
「いねえよ、そんなの」
と吐き捨てるのであった。
僕もその力強さに言葉がつまり
「そ、そうですか。いや、僕は、よそから来たもんで、ここで、こっちの、地元の知人が、唄ってるって、聞いたもんで」
と冷や汗を流しながら、どうでもよさそうなウソで取り繕った。
訝しげな眼が、僕を捉えて離さない。
ひ~っ! 取って食われそう!
まあ、僕の貧相な身体じゃ不味いと諦めたのか、食われることは免れた。
免れたが、最後に竹○力は
「お兄さん、そういうのやりたいわけ?」
と、 「わけ?」 に最大限の睨みをきかせて言い放った。
無理です。
柳ヶ瀬。
21時30分。
僕の姿は、道路を挟んだ向かいのラーメン屋にあった。
この苦境をどうやって乗り切るか、今夜の相棒 キリン・クラシックラガー と相談しなければいけなかったからである。
「ねえねえ、ラガーくん。きみ、どう思う? 恐いよね、ナニワ金融の人。んぐんぐ・・・ぷはぁ」
「そうだねえ。恐かったねえ。ほら、もひとついかが? とくとくとく・・・しゅわぁ」
「おっとっと、ありがとう。じゃあ、今夜は、仕方がないからやめようか? んぐんぐ」
「そうだねえ、しゅわぁ」
そういう事で会議は終わりかけたのだが、テーブルの傍らでまだ一個残っていた シューマイくん が痛いところを突いてきた。
「で、どこで稼ぐのシュー?」
更に知りたくもない現実に触れてくれた。
「ぼくらのお金を払ったら、もうないよ。さっき、鬼ころしさんが二人も増えたシュー」
鬼ころしさん達はキャリーの中で、出番はまだかとワクワクしている。
彼女達(男を酔わすのは女性かと)は、いつも路上の友だ。
逆に言えば彼女達は、路上演奏時でないと登場できないのだ、
キャッキャと無邪気にはしゃぐ声は憧れのマナカナさん(主にマナさん)を思い起こさせた。
マナカナさん(特に、TVで向かって左の方)が、僕の歌を待っている・・・。
「そうだな・・・」
僕は呟くと、決意したように、ラーメン屋のオバちゃんに告げた。
「ぷはぁ。ビールもう1本ください」
ああ!!
どうなってしまうの柳ヶ瀬!!
知っているのミユキちゃん?
その追加オーダーは、さっき鬼ころしを買うまでの手持ち計算の上で行ってしまった事を。。。
~続く~
Googleマイマップ「西高東低~南高北低」
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=117155757855294201939.0004585263f0a10720fca&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&ll=35.419423,136.757142&spn=0.000839,0.002199&z=19
津 その2
その2どころか、書こうと思えば3でも4でも際限なく飛び出す津での話。
それでも前回の予告どおり、ここは津のアニキの話を少々。
少々・・・。
いや、無理か。
何せ、話題が尽きないから。
なので、馴れ初めでも話しておこう。
津での初日、ラウンジ・ジュネスさんにて営業を終えた事は前回に書いた。
話は、そこからになる。
楽しく飲んで唄わせて頂き、Kビル前で再びギターケースを開いているところに話しかけてきたのが、ごっつい顔の尾上さんだった。
えらく興味津々の顔つきで
「自分、津の人間ちゃうやろ? へえ~、ここで唄うん? いつまでおる?」
といった具合。
出会いから今も変わらず、言いたい事だけをマシンガントークで畳み掛ける
そんな尾上さんの口癖は 「聞いて!」 だ。
だから、その日もやっぱり言いたい事だけを熱く語った。
「明日、近くでな、俺らライブやんねやけど、けえへん? いやいや唄うてよ、な!」
彼の暑苦しいほどの勧誘に折れるまでもなく、そうでなくてもこの街でもう少し唄って行こうと思った矢先だったので、僕は不案内な土地柄、場所をよく聞いてから承諾した。
連れの女性は 「そんな急に言うても迷惑やん」 と、彼を制していたが 「いえいえ、出会いですから」 と、僕は約束した。
朝の10時くらいに集まるというので、昼間のイベントだろう。
今晩を、昼間に過ごした野外舞台で寝転がって過ごせば、どうやら会場は遠くなかった。
僕は1時過ぎまで唄い、荷物をまとめた。
深夜だというのに、寝ぼけたようなセミの声を聞きながら、コンクリートのステージ上で眠った。
ひんやりとした感触が心地良いが、明日の朝、背中は痛いだろう。
夏の早朝なので陽は早くから照り付ける。
汗ばんだまま目覚め、気が付けば数日風呂にも入ってない僕だったので、せめてもの礼儀として体をキレイにしたかった。やっぱり、背中も痛い。
ただ、蚊には、それほど刺されていない。これは、夏場の野宿でラッキーというべきだった。
新しい着替えは底を突いていたが、公衆トイレの水道で体中の洗える場所だけはタオルでゴシゴシ洗って、ついでに長い髪もグシャグシャに洗って準備を整えた。
その光景は、海辺やキャンプ地でなら様になるのだろうが、街中の公園ではちょっと目立つ午前6時過ぎ。犬を散歩させていたオバさんの視線が、僕の狭い背中に刺さる。
それでも
「おはようございます」と挨拶すれば「おはようございます」と返ってくる、この嬉しさよ。すると
「これ食べる?」
とオバさんが菓子パンを差し出したので、恐縮しながらも頂いた。
時々、電車で隣り合った方や道を尋ねた方など、特に年配の方から頂き物をするのだが、いったい、どういう基準で人を選んでいるのだろうかと不思議に思う事がある。
ある時
「たまに、その辺のオバちゃんから飴とかミカンとかもらうじゃん」
という僕の何気ない一言に、知人は
「それはない」
と事も無げに言い切った。
ないのか?
「よく道を尋ねられる」とか「よくアンケートに引っ掛かる」とか、声を掛けられやすい人がいるけれど、そういうのと同じなんだろうか。
もし、物を頂きやすい人というのがいるなら、僕はそっちの方だと思う。
午前も8時を回り、更に陽が高くなってくると、今日も1日暑い事が予想された。
これなら、さっきTシャツを洗って干してても乾いたんじゃないかと悔やまれた。
しかし、手で絞った衣類の乾かなさを僕は知っているつもりだ。
もしもTシャツ1枚をあと2時間で乾かそうと思うなら、延々と手に持って振り回し続けなければならないだろう。
その作業でくたくたになるし、何より、朝のシャワータイムより目立つ事は受けあいだ
東京の旅ミュージシャンは、車のドアにタオルを結んで走りながら乾かしていたっけ。
なるほどと思ったが、あれも排ガスにまみれそうだな。
暑さもあったが、時間を潰す作業もなくなったので、コンビニを物色に歩いた。
この街で、いちばん最初に入ったコンビニだ。
道中、その対面に本日の会場と思しきお店の看板が見えたので、なんだこんなに近くなのかと気が抜けた。
昨夜の尾上さんが一生懸命に地図を書いて説明してくれた場所は、彼の
「いや、近いねんけどな」
という言葉とは裏腹に、天竺への道のりほど遠く感じられていたからだ。
知らない街で道順を説明されるというのは、心細さも手伝って、どうにも距離感がつかめない。
会場が分かったので、後は安心だ。
僕はコンビニでお茶のボトルを買い、さっき頂いた菓子パンを頬張った。
こんな時、不健全で有名な旅唄いは、朝から缶ビールなんて飲んだりするのだが
「まあ、ちょっと唄ったら、後はビールでも飲んでて」
という、やはり昨夜の尾上さんの言葉を信じたからだ。
駄目なヤツだ。
指定時刻の10時にはまだ時間があったが、僕は会場になるお店へ到着していた。
「さわ」さんというスナック営業のお店だが、場所を借りたという。だから、機材からアンプからを搬入しないといけないらしい。
誘ってもらったんだから、そのくらいは手伝わせてもらう。
僕は参加したイベントは、なるべく最初から最後まで居合わせたい。
しばらく手持ち無沙汰に煙草を吹かしていると、車が1台やってきた。尾上さんだった。
早いな~! と言われながら、挨拶を交わす。
本日の演奏メンバーも一緒だ。
昨夜、尾上さんと一緒だったキーボードのサツキさん。
それから、ギター・ボーカルのユウコちゃん。
大人しそうな女性二人に、ごっつい野郎が1人加わって、『文音(あやね)』というバンドだという。
会場になるのは階段を上がった2階で、機材セッティングは当人達の都合があるので任せて、僕は更に集まりだした手伝い兼お客さんたちと荷物を運び入れ、椅子を並べ、窓に遮蔽用のアルミホイルを貼った。
アルミホイル作業が気に入った僕は、1人でひたすら、その作業を続けた。
まだ知人と呼べる人はいないし、雑談の糸口も少ない。
黙々と作業を続ける事でしか、皆に認めてもらう術が僕にはなかった。
3人のミュージシャンが音合わせを続ける中、暗幕の隙間から漏れる光をさえぎるため、窓にアルミホイルを貼り続けた。
そんな作業のせいあってか、集まった方々も僕に話しかけてくれ始めた。
なのに、だ。
作業がひと段落したところで挨拶がてらの缶ビールを開けた瞬間、僕はいつものお調子者になっていた。駄目なヤツ。
ともあれ、尾上さんの知人は誰も温かい人達で助かった。
お陰で、緊張しがちなライブ演奏も事なきを得て、反応は上々だった。
まあ、そんな感じの出会いだった。
それから津が気に入った僕は、年に数回、春、秋の辺りを狙って唄いに出掛けていた。
更には、どこで唄っていても難しい正月三が日を、無理やりに津の飲み屋街で唄っていた事もある。
「正月なんて、神社の入り口でも行けばあっという間に稼ぐだろ?」
とは言われるのだが、こちとら夜が専門商売。
しかも、そんな日にそんな場所で唄ったりしたら、きちんとしたくじ引きで営業してる玄人さん達がただじゃおかない雰囲気。夜の街なら見逃される事も、昼日中というのは勝手が違う。
正月と限らず、真冬はどこにいても大変なもの。
どこで唄おうと、実入りと寒さの厳しさで挫けそうになる。
だから、ひたすら動き続ける。
宿泊費に満たない飯代を移動費につぎ込む代わりに、電車でひたすら眠った。
始発から電車で眠りこけて同じ路線を何往復もするなんて迷惑極まりない行為なんだろうが、死にたくなかったというのが現状だ。
好きで選んでいる道。
弱音は吐きたくないが、非常手段で生き延びる事は多々ある。
その翌年から年末は東京のライブハウスで過ごす事にしているが、直前は大抵、津にいる。
だから大晦日に
「良いお年を」 と言った相手に、年始早々から出会ってしまうと
「東京、行ってないの!?」 と驚かれる。
行ってるのだが、1~2日で戻っているのだ。
拠点を決めて短期間にあちこち動く僕は、いつも
「実は、ここに住んでるんだろ? 旅してるとか嘘はつくなよ」
とお叱りを受けたりもする。
多くの人は
『昨日は広島で唄っていて、今日は三重にいて、明日は静岡で唄うつもり』
といった、僕なりの旅唄いのやり方が理解できないのだ。
どうしても、金持ちのボンボンだと思われる節がある。
気軽な身軽な旅唄いのように見えて、その裏には、留まるより動いた方が楽な事実があり、数日の雨を避けるために、せっかく昨夜稼いだ金を全額つぎ込んで、数百キロの旅をする事だってある。
人間、生活において何を優先するかだけだ。
僕にしてみればデザインに飽きたからと、新しいキャリーケースを買う人達は理解不能なのだ。
しかしそれもまた経済を回している事実。
さて。
津のアニキの話が反れてしまった。
津のアニキ・尾上さんは、僕と出会ってからというもの、度々一緒に路上で唄っている。
元々が長渕剛好きで、嘘か真か、僕と同じ場所で路上演奏もやっていたという。
それはそれで構わないのだけど、僕がついつい酒を飲みながら唄うという、これまた見る人から見ればけしからんスタイルでやってるものだから、酒好きには定評のある彼も付き合わないはずがない。
昼間のたこ焼き屋に入って、3人で1万円払ってしまった事もある。もちろん、ほとんどが酒代だった。
しかも彼と来たらその辺の飲み屋は飲み尽くしているような男で
知り合いの若いママさん連中に平気で差し入れを頼む。
挙句、見かけだけはストイックな雰囲気で演奏を行いたい僕の周辺には
飲み屋から直の水割りと
飲み屋から直の灰皿と
飲み屋から直の乾き物と
ギターを持った酔っ払いが2人並ぶ
という、恐ろしい光景になってしまうのだ。
「ちょっと尾上さん・・・これはやり過ぎじゃないん?」
と制止しても
「いい、いい。皆、知り合いやに」
と聞く耳を持たない。
しかも、多少は知らないお店の方が驚く様子を見せながらも、津の飲兵衛たちはその光景に対して寛容なのだ。
同じビルのお店から困った顔をされる事があっても
『よそ者が土足で上がりこんできてやりたい放題やってる』
というのは、尾上さんがいる限り通用しない。
だから、僕一人の演奏の時、その目は冷ややかに突き刺さる。
ただし。
それでも、僕は彼と唄うのが好きだ。
実は、僕の方も年上の彼に慣れ過ぎたのか、酔っ払い同士つまらない喧嘩で別れてしまう事がある。
だけど、数ヵ月後にまた津で唄っていると、どこからかボロボロのギターケースを抱えた尾上さんがやってきて
「いつ来たん? 久しぶりやん」
と、いたずらっぽく笑うのだ。
前回の喧嘩の気まずさに渋い顔をしてる僕に
「まあ、乾杯しよや!」
と、コンビニでいちばん安い酒を手渡し 「さあ、稼ぐで~」 とか言いながら、ドッカと隣に座り込む男なのだ。
僕の分まで手土産を持ってきておいて、何が 「いつ来たん?」 なものか。
実は僕が来たらいつでも連絡するよう、後ろの店の知り合いに頼んでたらしい。
そんな津に、今年はついに出向かなかった。
昨年の盆に行ったきりだ。
生活の仕方と拠点が変わったせいで、動きが取り辛くなった。
来年の1発目は、津にするか。。


Googleマイマップ「西高東低~南高北低」
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=117155757855294201939.0004585263f0a10720fca&ll=35.090698,136.400757&spn=0.95288,1.755066&z=9
それでも前回の予告どおり、ここは津のアニキの話を少々。
少々・・・。
いや、無理か。
何せ、話題が尽きないから。
なので、馴れ初めでも話しておこう。
津での初日、ラウンジ・ジュネスさんにて営業を終えた事は前回に書いた。
話は、そこからになる。
楽しく飲んで唄わせて頂き、Kビル前で再びギターケースを開いているところに話しかけてきたのが、ごっつい顔の尾上さんだった。
えらく興味津々の顔つきで
「自分、津の人間ちゃうやろ? へえ~、ここで唄うん? いつまでおる?」
といった具合。
出会いから今も変わらず、言いたい事だけをマシンガントークで畳み掛ける
そんな尾上さんの口癖は 「聞いて!」 だ。
だから、その日もやっぱり言いたい事だけを熱く語った。
「明日、近くでな、俺らライブやんねやけど、けえへん? いやいや唄うてよ、な!」
彼の暑苦しいほどの勧誘に折れるまでもなく、そうでなくてもこの街でもう少し唄って行こうと思った矢先だったので、僕は不案内な土地柄、場所をよく聞いてから承諾した。
連れの女性は 「そんな急に言うても迷惑やん」 と、彼を制していたが 「いえいえ、出会いですから」 と、僕は約束した。
朝の10時くらいに集まるというので、昼間のイベントだろう。
今晩を、昼間に過ごした野外舞台で寝転がって過ごせば、どうやら会場は遠くなかった。
僕は1時過ぎまで唄い、荷物をまとめた。
深夜だというのに、寝ぼけたようなセミの声を聞きながら、コンクリートのステージ上で眠った。
ひんやりとした感触が心地良いが、明日の朝、背中は痛いだろう。
夏の早朝なので陽は早くから照り付ける。
汗ばんだまま目覚め、気が付けば数日風呂にも入ってない僕だったので、せめてもの礼儀として体をキレイにしたかった。やっぱり、背中も痛い。
ただ、蚊には、それほど刺されていない。これは、夏場の野宿でラッキーというべきだった。
新しい着替えは底を突いていたが、公衆トイレの水道で体中の洗える場所だけはタオルでゴシゴシ洗って、ついでに長い髪もグシャグシャに洗って準備を整えた。
その光景は、海辺やキャンプ地でなら様になるのだろうが、街中の公園ではちょっと目立つ午前6時過ぎ。犬を散歩させていたオバさんの視線が、僕の狭い背中に刺さる。
それでも
「おはようございます」と挨拶すれば「おはようございます」と返ってくる、この嬉しさよ。すると
「これ食べる?」
とオバさんが菓子パンを差し出したので、恐縮しながらも頂いた。
時々、電車で隣り合った方や道を尋ねた方など、特に年配の方から頂き物をするのだが、いったい、どういう基準で人を選んでいるのだろうかと不思議に思う事がある。
ある時
「たまに、その辺のオバちゃんから飴とかミカンとかもらうじゃん」
という僕の何気ない一言に、知人は
「それはない」
と事も無げに言い切った。
ないのか?
「よく道を尋ねられる」とか「よくアンケートに引っ掛かる」とか、声を掛けられやすい人がいるけれど、そういうのと同じなんだろうか。
もし、物を頂きやすい人というのがいるなら、僕はそっちの方だと思う。
午前も8時を回り、更に陽が高くなってくると、今日も1日暑い事が予想された。
これなら、さっきTシャツを洗って干してても乾いたんじゃないかと悔やまれた。
しかし、手で絞った衣類の乾かなさを僕は知っているつもりだ。
もしもTシャツ1枚をあと2時間で乾かそうと思うなら、延々と手に持って振り回し続けなければならないだろう。
その作業でくたくたになるし、何より、朝のシャワータイムより目立つ事は受けあいだ
東京の旅ミュージシャンは、車のドアにタオルを結んで走りながら乾かしていたっけ。
なるほどと思ったが、あれも排ガスにまみれそうだな。
暑さもあったが、時間を潰す作業もなくなったので、コンビニを物色に歩いた。
この街で、いちばん最初に入ったコンビニだ。
道中、その対面に本日の会場と思しきお店の看板が見えたので、なんだこんなに近くなのかと気が抜けた。
昨夜の尾上さんが一生懸命に地図を書いて説明してくれた場所は、彼の
「いや、近いねんけどな」
という言葉とは裏腹に、天竺への道のりほど遠く感じられていたからだ。
知らない街で道順を説明されるというのは、心細さも手伝って、どうにも距離感がつかめない。
会場が分かったので、後は安心だ。
僕はコンビニでお茶のボトルを買い、さっき頂いた菓子パンを頬張った。
こんな時、不健全で有名な旅唄いは、朝から缶ビールなんて飲んだりするのだが
「まあ、ちょっと唄ったら、後はビールでも飲んでて」
という、やはり昨夜の尾上さんの言葉を信じたからだ。
駄目なヤツだ。
指定時刻の10時にはまだ時間があったが、僕は会場になるお店へ到着していた。
「さわ」さんというスナック営業のお店だが、場所を借りたという。だから、機材からアンプからを搬入しないといけないらしい。
誘ってもらったんだから、そのくらいは手伝わせてもらう。
僕は参加したイベントは、なるべく最初から最後まで居合わせたい。
しばらく手持ち無沙汰に煙草を吹かしていると、車が1台やってきた。尾上さんだった。
早いな~! と言われながら、挨拶を交わす。
本日の演奏メンバーも一緒だ。
昨夜、尾上さんと一緒だったキーボードのサツキさん。
それから、ギター・ボーカルのユウコちゃん。
大人しそうな女性二人に、ごっつい野郎が1人加わって、『文音(あやね)』というバンドだという。
会場になるのは階段を上がった2階で、機材セッティングは当人達の都合があるので任せて、僕は更に集まりだした手伝い兼お客さんたちと荷物を運び入れ、椅子を並べ、窓に遮蔽用のアルミホイルを貼った。
アルミホイル作業が気に入った僕は、1人でひたすら、その作業を続けた。
まだ知人と呼べる人はいないし、雑談の糸口も少ない。
黙々と作業を続ける事でしか、皆に認めてもらう術が僕にはなかった。
3人のミュージシャンが音合わせを続ける中、暗幕の隙間から漏れる光をさえぎるため、窓にアルミホイルを貼り続けた。
そんな作業のせいあってか、集まった方々も僕に話しかけてくれ始めた。
なのに、だ。
作業がひと段落したところで挨拶がてらの缶ビールを開けた瞬間、僕はいつものお調子者になっていた。駄目なヤツ。
ともあれ、尾上さんの知人は誰も温かい人達で助かった。
お陰で、緊張しがちなライブ演奏も事なきを得て、反応は上々だった。
まあ、そんな感じの出会いだった。
それから津が気に入った僕は、年に数回、春、秋の辺りを狙って唄いに出掛けていた。
更には、どこで唄っていても難しい正月三が日を、無理やりに津の飲み屋街で唄っていた事もある。
「正月なんて、神社の入り口でも行けばあっという間に稼ぐだろ?」
とは言われるのだが、こちとら夜が専門商売。
しかも、そんな日にそんな場所で唄ったりしたら、きちんとしたくじ引きで営業してる玄人さん達がただじゃおかない雰囲気。夜の街なら見逃される事も、昼日中というのは勝手が違う。
正月と限らず、真冬はどこにいても大変なもの。
どこで唄おうと、実入りと寒さの厳しさで挫けそうになる。
だから、ひたすら動き続ける。
宿泊費に満たない飯代を移動費につぎ込む代わりに、電車でひたすら眠った。
始発から電車で眠りこけて同じ路線を何往復もするなんて迷惑極まりない行為なんだろうが、死にたくなかったというのが現状だ。
好きで選んでいる道。
弱音は吐きたくないが、非常手段で生き延びる事は多々ある。
その翌年から年末は東京のライブハウスで過ごす事にしているが、直前は大抵、津にいる。
だから大晦日に
「良いお年を」 と言った相手に、年始早々から出会ってしまうと
「東京、行ってないの!?」 と驚かれる。
行ってるのだが、1~2日で戻っているのだ。
拠点を決めて短期間にあちこち動く僕は、いつも
「実は、ここに住んでるんだろ? 旅してるとか嘘はつくなよ」
とお叱りを受けたりもする。
多くの人は
『昨日は広島で唄っていて、今日は三重にいて、明日は静岡で唄うつもり』
といった、僕なりの旅唄いのやり方が理解できないのだ。
どうしても、金持ちのボンボンだと思われる節がある。
気軽な身軽な旅唄いのように見えて、その裏には、留まるより動いた方が楽な事実があり、数日の雨を避けるために、せっかく昨夜稼いだ金を全額つぎ込んで、数百キロの旅をする事だってある。
人間、生活において何を優先するかだけだ。
僕にしてみればデザインに飽きたからと、新しいキャリーケースを買う人達は理解不能なのだ。
しかしそれもまた経済を回している事実。
さて。
津のアニキの話が反れてしまった。
津のアニキ・尾上さんは、僕と出会ってからというもの、度々一緒に路上で唄っている。
元々が長渕剛好きで、嘘か真か、僕と同じ場所で路上演奏もやっていたという。
それはそれで構わないのだけど、僕がついつい酒を飲みながら唄うという、これまた見る人から見ればけしからんスタイルでやってるものだから、酒好きには定評のある彼も付き合わないはずがない。
昼間のたこ焼き屋に入って、3人で1万円払ってしまった事もある。もちろん、ほとんどが酒代だった。
しかも彼と来たらその辺の飲み屋は飲み尽くしているような男で
知り合いの若いママさん連中に平気で差し入れを頼む。
挙句、見かけだけはストイックな雰囲気で演奏を行いたい僕の周辺には
飲み屋から直の水割りと
飲み屋から直の灰皿と
飲み屋から直の乾き物と
ギターを持った酔っ払いが2人並ぶ
という、恐ろしい光景になってしまうのだ。
「ちょっと尾上さん・・・これはやり過ぎじゃないん?」
と制止しても
「いい、いい。皆、知り合いやに」
と聞く耳を持たない。
しかも、多少は知らないお店の方が驚く様子を見せながらも、津の飲兵衛たちはその光景に対して寛容なのだ。
同じビルのお店から困った顔をされる事があっても
『よそ者が土足で上がりこんできてやりたい放題やってる』
というのは、尾上さんがいる限り通用しない。
だから、僕一人の演奏の時、その目は冷ややかに突き刺さる。
ただし。
それでも、僕は彼と唄うのが好きだ。
実は、僕の方も年上の彼に慣れ過ぎたのか、酔っ払い同士つまらない喧嘩で別れてしまう事がある。
だけど、数ヵ月後にまた津で唄っていると、どこからかボロボロのギターケースを抱えた尾上さんがやってきて
「いつ来たん? 久しぶりやん」
と、いたずらっぽく笑うのだ。
前回の喧嘩の気まずさに渋い顔をしてる僕に
「まあ、乾杯しよや!」
と、コンビニでいちばん安い酒を手渡し 「さあ、稼ぐで~」 とか言いながら、ドッカと隣に座り込む男なのだ。
僕の分まで手土産を持ってきておいて、何が 「いつ来たん?」 なものか。
実は僕が来たらいつでも連絡するよう、後ろの店の知り合いに頼んでたらしい。
そんな津に、今年はついに出向かなかった。
昨年の盆に行ったきりだ。
生活の仕方と拠点が変わったせいで、動きが取り辛くなった。
来年の1発目は、津にするか。。


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